友人の編集者宅へ遊びに行くとときどき、「この中に欲しい本あったら好きなだけ持ってってやー」と本溜まりを示される。こんなとき、自分からなかなか選べない、でも気にはなっている、という作家の本を選ぶ。川上弘美「いとしい」もその中から選んできた一冊だった。
堅めの本が続いたのでここはひとつ柔らかそうな本を、と我が家のストック本の中から「いとしい」を引っぱり出し読み始めた。あ、こういうふうに物語が流れていく感じ好きだなあ、主人公の心模様の表現なども手に取るように細やかでとても素敵だと思っていたのだが、途中で物語が転調する。そしてこの転調具合がどうにもわたしが苦手な類いで、読むのがちょっとしんどくなりながらも表現の柔らかさや細やかさに包まれつつなんとか読み進めるうちに出逢った一文にはっとした。
「誰かを好きになるということは、誰かを好きになると決めるだけのことなのかもしれない」
あちゃー。これだ、これなんだ。かつてのわたしにはできて今の自分にはできないこと。先だっても、自分の熱しにくく冷めやすい傾向を目の当たりにし、溜息をついたのだった。静かにでも熱を孕みながら想いを重ねていく、身体の全細胞にしみわたらせるかのように想う・・・という、それこそ「いとしい」というにじみ出る感じがわたしには遠い感情だ・・・。読み終えてまず思ったのが、なんて雑にできているんだろう、わたしの感情構成ってば・・・ということだった。雑。そう、雑なのだ。自分を表すのにぴったりな言葉にようやくにしてめぐり逢った心地だ。開き直ってレッツ雑でいくのか、脱・雑をめざすのか。四十路、はたしてどうなることやら、やら・・・。