「原由美子の仕事1970→」を読む
2015年 05月 06日
紹介されているファッションページの数々がどれも素敵でかっこいい。そのページを作り上げるためにスタッフが持ち得る能力やセンスを全て動員し集中して取り組んでいたであろうことが、20年30年前のものからでもしっかと伝わってくる。ファッション全盛時代の勢いが眩しい。なんとなくイイ感じという曖昧な次元ではなく、コンセプトや理由が感じられる強いページは時代を経ても色あせないんだなあということを胸に刻んだ。果たして自分はそんなふうに撮れているだろうか。とにかく写真が美しいんである。そしてひとつひとつに物語が感じられ、面白いのだ。
体験から出てくる言葉はどれも滋味深い。映画の衣装を担当したときの彼女の実感「登場人物のキャラクター設定にもとづいた衣食住すべてにこだわらないと、説得力あるリアリティは生まれないと信じている」という言葉には思わず赤線を引いた。あるシチュエーションを撮影するとき、現在進行形ではなく再現してもらう場合も多々ある。そのとき、どうやってリアリティをのせるかという点が自分には大事なところで、リアル一辺倒だと写真という静止画にしたときに魅力的にならない場合もある。「説得力あるリアリティ」は毎度の課題だ。
「時を経ても魅力を失わない装いの提案を理想としてきた」
「仕事をいただいたら『ともかくやる』という覚悟が要る。撮影の日程が重なったら不可能だが、それ以外は引き受ける」
「たかがファッションではなく、されどファッションを目指して私自身は仕事をしてきたつもりだ」「ひたすら実用に徹底するのではなく、どこかに夢と余裕を感じさせつつ表現できたらと考えている」
「あの時、あの機会をとらえなかった自分を絶対に後悔したくない。その思いが私のスタイリストという仕事と真摯に向き合う気持ちをより堅固にしたようだ」
・・・うんうんと大いに納得な言葉、ふむふむなるほどな言葉、目からウロコな言葉、いろいろある。大御所の原さんと自分を比較検討するなんて大それたことだけれども、原さんだって最初から大御所だったわけではなく、積み上げ積み上げしてきて今があると思われるので、その積み上げの一端なりとも自分の中に吸収したいと思いながら読んだ。それに、たとえ結果的に無理だったとしても、素敵な仕事をしているトップクラスの人たちを目標にしていたいとずっと思ってきた。そして思った、トップクラスの人たちはやはりすごく勉強家なのだ。必死で取り組んでいるのだ。ゆえに澱みないのだ。足りてないところがわかっていながらもたもたしている自分が浮き彫りになる。お恥ずかしいかぎりだ。
自分の仕事ぶりの確認作業になった本書であったが、ものが大好きな自分にとってはファッションってば面白いんだなあと再発見するきっかけにもなった。この本を読んだせいなのかはわからないけれど、それまで以上に着ることを楽しみたい想いが増した。モチベーションの上がらない衣服なんて一枚たりとも欲しくないという気持ちは継続中で、今まで以上に吟味が真剣になった。自分の装いへの意識だけでなく本分である仕事のほうの意識をもっともっと高めるべきでは・・・と、怠けた連休最後に思うも後の祭りか、明日からもりもり働こう。
落語家さんの中でも、
登場人物の設定を表に出ない部分まで細かく決めて噺を構成するとおっしゃっている方は少なからずいらっしゃるようですね。
僕みたいに病気になると、
働く気力や仕事のために努力しようという気が薄れますので(汗)、
これからも健康に気をつけて頑張ってください♪
個展を開かれた際には真っ先に駆け付けますので(^0^)/
落語に関しては、なにかしらのリアリティが感じられれば描写はさほど細かくないほうが好みです。あんまり親切でなくていいというか(笑)