フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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さよなら、車谷さん。

 生きている中でいちばん好きな作家・車谷長吉氏が死んでしまった。

 高校ぐらいから意識して文学作品を読むようになった。故人の作品ばかりだったが、大学時代後半あたりから存命の作家の作品をぽつぽつ読むようになり、今では生きている人7割、故人3割といったところか。その生きている作家で強く惹かれていたのが車谷さんだった。

 何がどうで惹かれるのか、うまく説明できなかった。好きな人のことをどうして好きなのか事細かに説明できないのと同じで、とにかく好きなのだった。ひとつ言えるとしたら、そばに見当たらないようでいて実はたしかに存在している暗がりというか深淵というか、そういう存在に気付かせてくれるところに惹かれていたのだと思う。

 最初はなにやら粛々とした気持ちでページをめくっていた。それが、さまざまな作品を読むうちに、おかしみを感じるようになってきた。ギャグ、というのではない。生きていくということはいくつもの困難に突き当たる道行きなのだろうけれど、その困難の先にほの見える滑稽さとかおかしみとか、なんていうか、泣きながら笑う、諦めながら笑うとでもいうような、そういう感じがひしひしと伝わってくるようになり、心の中で、「長吉さん」と親しげに呼ぶようになった。

さよなら、車谷さん。_a0025490_1041756.jpg
 「四国八十八ヶ所感情巡礼」(文藝春秋)には大いに笑った。巡礼先のあちこちでとにかく頻繁に便意を催している。巡礼どころではない。長吉さんがまた催してる、と読みながらくすくす笑った。詩人である奥様とのやりとりも面白かった。以前とある方の作品が某賞を受賞し、著者近影を撮影したご縁で祝いの席に呼ばれたことがある。そこで文藝春秋の編集者にお逢いした。「車谷長吉さんの作品が大好きなんです」とお伝えしたら、「あなたそんなこと本人の前で言ったら取り憑かれるわよー」と半分真面目に半分笑っておっしゃっていた。生きている作家の中で唯一「文士」という響きの似合う人だなと思っていた。念じていれば、ほうぼうで「お撮りしたい」と言っていれば、いずれ撮影する機会がめぐってくるに違いないと信じていたのだが。叶わぬ夢になってしまった。

 タモリと吉永小百合とうちの母親と同い年だった長吉さん。ほか3人が元気な姿を見せているのを思えば、長吉さんの死はあまりにも早い。亡くなり方はとても長吉さんっぽい感じがするけれど、もっと先でもよかったでしょうに。晩婚でいらしたのだし、これから先もっと奥様と二人三脚を繰り広げていただきたかった。

 もう長吉さんのような作家には出逢えないような気がする。さみしい。

 
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by naomu-cyo | 2015-05-19 10:41 | 読書 | Comments(0)