「東京かわら版」が6月号でめでたく500号を迎えた。せっかくの記念号、今回表紙の小朝師匠の取材希望日にすでに先約が入っていて残念ながら撮影叶わず・・・。それにしても41年間毎月欠かさず発行してきたってすごいこと!平成16年11月号、表紙に写真が使われるようになってから始まった「東京かわら版」とのおつきあいは「もう11年!」と思っていたけど、500号という歴史を考えたらまだたった11年なんだよなあと思い直す。最初の取材は立川談春師匠で、編集人の佐藤さんと取材場所を探しに赤坂をうろうろして、とあるお店に飛び込みで取材許可をいただいたのをいまだに鮮やかに憶えている。あの当時はまだポジフィルムで撮影してたんだった。
関わるようになるまで落語を聴いたことがなかった。何度か取材を重ねるうちに、インタビューでこんなに面白いんだからそれぞれの師匠方が勝負している現場はもっと面白いんじゃないかと思い、誘われるままに柳家小三治師匠の独演会へ行き、それで落語にはまった。見るものすべて聴くものすべてが新鮮でたまらなかった。
同じ噺なのに毎回どういうわけだかおかしくて、落語の笑いっていうのは一回性のものじゃなく普遍のものなんだと知った。今も昔もおかしみとかかなしみとかの大元の部分はきっとさほど変わってなくて、そこをすくいとっているから落語はいつまでもおもしろいし繰り返しきいても飽きがこないんじゃないか。一方、長屋が舞台の噺だと、昔はよくあるご近所付き合いだったけど、それが希薄だと言われる現代にあってみれば、落語で描かれる人付き合いはもしかしたら憧憬の対象にすらなっているのかもしれない。そんなことを、思う。
きのうは500号記念のパーティーだった。わたしもお呼ばれに預かり、会場を埋め尽くす芸人さんや関係者、顔見知りの落語ファンの方々とほうぼうでおしゃべりをした。この11年でたくさんの方々と知己を得た。それもこれも東京かわら版がきっかけ。いくら感謝してもし足りない。喫煙所でとある落語会の主宰の顔見知りのおじさまから「7日、高座撮影してくんない?」との依頼。まるで「ちょっと味噌貸してちょうだいよ」って言うみたいなノリで。ふたつ返事で引き受けて、こういう軽いやりとりそのものがもう落語みたいだなあって思う。ステージでは衣装きものに身を包んだ市馬師匠とこみちさんが高らかに歌い、獅子舞が会場を練り歩き、お歴々方がご挨拶。40年以上続けてこられたということがどういうことなのかを目で見て肌で感じた。
そして今日は記念の落語会。わたしは高座撮影と、中入りのロビーでちょっとした余興に関わる。準備もぎりぎり終わったし、お祝いのハレ感をめいいっぱい楽しんでこよう。