きものを着はじめた頃、絹の多彩な表情にそれはそれは驚いた。手触りも糸の太さも光沢も全然違うのに、それもこれもあれも絹100%。今ならそれぞれがどうしてこうも違うのか少しは理解できるようになったけど、完全に理解しきっているかといえば心もとないレベルで、相変わらず絹の変化ぶりにはっとすることは多い。
ちょっと前に東武百貨店で職人展を見物した。とある染色家さんのブースに「ぐんま200」という絹を使ったきものが4枚展示されていて、1枚1枚手触りを確認。うち3枚はほぼイコールな触感と光沢で、栗で染められた1枚だけが大きく異なる触感だったので、「染料に何の植物を使うかによって触感が異なるなんてこともあるんですか?」と尋ねたところ、「それもあるけれどむしろ、
セリシンの残し具合によるところが多いのよ」と教えていただいた。ほかの3枚よりごそごそしていた栗染めのきものはつまり、セリシンをほかの3枚よりも除いた結果得られた触感なのだという(←と記憶していたのだが、あべこべに覚えてしまっていたようで、読んだ方からご指摘いただいたので、訂正を。セリシンを残すとごわごわの触感が残り、精錬してセリシンを取り除くと滑らかな触感を得られるとのこと。ご指摘感謝です)。へえー!絹ってば、ほんといろんな表情があるのだわ、と知る悦びを満たされ、さんざん触りまくり尋ねまくったけれど、あまりにお値段が張るので、丁重にお礼を言ってその場を後にした。
夏のきものを出したので、たとう紙を開いて風を通す。この帯もその帯も絹なのだ。見た目は全然違うけれど、絹なのだ。当初は単純に柄だけに興味がいっていたのに、いつの間にか素材が気になるようになった。一歩踏み込むとその先に広がりがある。さらに踏み込むとまた広がりが。広がり、いや、深みか。その深みにいちいち引っかかりながら、きものを知ることがますます面白くなっていく。