いろいろ模様の八月
2005年 08月 13日
また、20年というひとつの節目のせいか日航ジャンボ機墜落の特集も数多かった。
小学4年のときだったか、「はだしのげん」の実写映画を観た。恐怖と「原子爆弾って何?」という問いとが残り、その後図書館で広島・長崎の本や太平洋戦争の本を借りまくった。探してみると実にたくさんの戦争物があり、そこにはそれぞれの悲劇があった。当時は八月になるとテレビで戦争関係の映画やドラマをたくさん放映していたので、それも食い入るように見た。
大人になるに従って、映画に描かれた戦争を見るようになった。どうして戦争物に執着するのか自分でもよくわからない。集団の心理がどう働くか、どんなからくりがあったのか、いちばん得をしたのは誰か、すべての価値観の崩壊の瞬間はどんなだったのか、戦争に翻弄された人たちがどう生きるのか・・・それらを知ったからといってどうするわけでもないのに。
身の回りに戦争体験者がいなかった。祖父は視力が悪すぎて兵隊にとられなかったときいている。終戦時三歳だった父は仕事で行った中国で抗日記念日になると「日本はこんなひどいことをしたんだぞ」と現地スタッフに責められたと話していた。
きのうはジャンボ機墜落の特集を見てた。20年前のあの夜のことはおぼろげながら憶えている。小学六年時で、ちょうど父が出張から戻ってくる頃だった。テレビにテロップが流れ、台所の母に「飛行機が行方不明になったって!」と告げた。仕事先から帰国する父が乗っている飛行機だったらどうしようと不安になったが、国内線だったのでまずその可能性はないと母が言った。そのままテレビを見ていたら(たしかトップテンを見てたんだった)墜落のテロップ。身体の中をひやりとしたものが通り過ぎていった。
何歳のときの八月をどう過ごしたかというのは想い出せないのに、「八月」ときくとなんだか心がざわつくような気がする。誰かが体験した「八月」がわたしの記憶の中にインプットされていて、「忘れるな」ってざわつかせるのかもしれない。
おととい友人に長男が誕生した。日本にとって特別な感のある八月、友人にとってはまた格別な感慨を伴う八月になったに違いない。おめでとう。
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でも20年前、事故の時って何してたか思いだせ無いです・・・
日航機事故の特番見てたら飛行機に乗るのがとてもこわくなてしまいました。
あと、坂本九さんも。
あれ?僕も川上慶子さんとは同じ年だったと記憶してたんだけど。むーちょさんと僕は同じ学年だったのかな?・・・(・∀・)
飛行機事故というと、向田邦子さんも思い出してしまいますねえ・・・。
うちは父親が頻繁に飛行機に乗っていたので、人ごとじゃないっていう気持ちになったものです・・・。