「喜多八はみまかりました」
2016年 07月 12日
会場からあふれんばかりの人である。存じ上げているお顔がたくさん行き交う。芸人さんのみならず、落語会の主宰さんや客席でお見かけする顔もたくさん。人垣にはばまれて、挨拶するご遺族の姿も小三治師匠の姿も見えず。師匠、まるで高座でマクラをはなすときの軽やかさ。笑いを誘うのだが、そのからっとした口調にむしろ目頭が熱くなる。
献杯後、常日頃お世話になっている方々に挨拶をする。こないだの博多での写真展の前に、喜多八師匠のご遺族に手紙を添えて展示予定の写真を送り、展示許可を仰いだところ、娘さんからお電話をいただいた。展示するのと同じ写真を、ずっと以前の「東京かわら版」での取材後に弟子のろべえさんを通じてお渡ししてあったのだが、遺品の中にその写真が大事にしまわれてあったんだそうな。いい写真だね、と母と話していたところにお手紙いただいたのでびっくりしました。展示、もちろんかまいません。こちらこそありがとうございます・・・そんな言葉をかけていただいた。このことがあったので、娘さんにご挨拶に伺った。直接お顔を見てお礼を伝えられてよかった。
高円寺での展示のときもその写真にはリアクションがとても多く、それはまだ病気の影もまるでない頃の師匠の笑顔の写真なのだった。去年も取材でお逢いしたのだが、びっくりするほどお痩せになっていらして、写真展で展示するにはやや気が引けた。それがリアルな姿かもしれないが、せっかくそれ以前に素敵な瞬間を写せているのだからと、以前の写真のほうを優先した。
師匠がお亡くなりになってから、落語を聴くと喜多八師匠の解釈はこうだったっけなあと思い出して、ああもう聴けないんだった、とさみしくなる。一時期やたら師匠の独演会に行っていたことがあったけれど、いつしか寄席や地域落語会で拝見するというペースに落ち着いた。
ちょっと前に、喜多八師匠と20年来の付き合いでそんな縁からろべえさんの勉強会の席亭を務めているKさんと追悼飲み会をした。そのときにわたしが「5月5日の鈴本で『長短』を聴いたのが喜多八師匠の高座聴き納めになってしまいました」と話したらKさんが、「長短」に取り組み始めた矢先だったのか、とおっしゃった。師匠の「長短」、たしかにこのとき初めてきいたのだった。一回きりになってしまった。あの噺をどう転がしていくのか、その経過を聴いていきたかったけれども。
おしまいに再び小三治師匠が挨拶にお立ちになり、「喜多八はみまかりました。」とまるでひとつの句読点を打つかのように爽やかにおっしゃった。噺家さんの悔やみはどこまでもからりと明るいなあ。師匠の出囃子の生演奏で送られながら会場を後にした。今にも喜多八師匠が現れそうだった。
他の人の噺を聴いて、ああ、喜多八はこうだったとかああだったとか。
もっともっと聴いておけばよかった。