ぱちが違う世界に旅立って一年がたった。
この一年、繰り返し思い出されたのは一気に衰えてからのぱちの姿ばかりだった。長い時間をともに過ごす中で、愛くるしい場面やどうにも笑っちゃう場面だって山ほどあったのに、わたしがもっと早く気が付き対処していればという後悔が根っこにあるからなのだろう、ぱちの弱った姿ばかり思い浮かんできて申し訳なくて涙が止まらなくなる。一方で、毎朝毎晩仏壇もどきの場所にお線香をあげながら遺影に向かい、朝なら「おはよう、今日はいい天気だよ」などと話しかけ、夜ならその日一日の報告をし、生前と変わらず話しかける日々が続いている。
きのうまでは「一年前の今日、ぱちは生きていた」と思えていた。今日からは違うのだ。そういう一年が新たに始まる。一緒に過ごした日々がどんどん遠のいてゆく。ぱちを構成していた全てをいつまでわたしは記憶の中に繋ぎ止めておけるだろうか。忘れてしまうことがこわい。
この一年、家の中や人目につかない帰り道などでめそめそ泣きながらも、一生懸命やってきた。もりもり働き、友人と出掛け、笑いもし、ちゃんと外の生活を送ってきた。もちろん内の生活だってちゃんと送っている。でもぱちの存在感がこの狭い家の中のあちこちに残っていて、そこに今はいないぱちの姿を見てしまう。この冬もこたつを出せないような気がする。ぱちとこたつ、これはもう切っても切り離せない関係だったから。こたつを出すにはまだ時間がかかるようだ。
きのうの朝、母から電話があった。出張仕事のお土産を送ったので、届いたよありがとうから始まり、近況をひとくさり話した後で、「もう一年たつでしょ」と向こうから切り出した。うん、お寺から法要の案内がきたけれど、家でわたしなりにやることにするよ。まだ納骨してないのかって言う人もあるんだけど、手元に置いておきたいんだよね、と伝えると、「それでいいのよ。別にうちはどこかの熱心な信者ってわけじゃないんだから。それは奈緒美のやり方で供養してあげればいいの」と母は強く言った。ぱちのことを通して、今まで知らなかった母の一面を垣間見る機会がたびたびあり、それがわたしの支えにもなって、気付かせてくれたことでぱちに改めて感謝している。逝ってもなお存在感を放つ。大した猫である。
「岡部はあるとき、お迎えがあった患者はほぼ例外なく穏やかな最期を迎える、と気づいたそうです(中略)。『死期が近づくと患者さんは食べられなくなり、水分を受け付けなくなり、血圧が下がり、嚥下ができなくなる。これがナチュラル・ダイイング・プロセスである。血圧が下がって脱水症状になり、脳循環の機能が低下した結果、【お迎え】現象が出現するようになっているのかもしれない』」
ぱちが逝く2日程前からの状況が書かれてあることとまさに一致しており、ということはぱちはとても自然で穏やかな形でその瞬間を迎えられたのだろうと思えた。悔やまれてならないのが息を引き取る瞬間に立ち会えなかったことで、でもこの一節に出逢って少し救われたのだった。息を吸い込んだ瞬間に心臓の鼓動がふっと停止した、かのようなとても穏やかな表情で永遠の眠りについていたぱちが思い出される。
鎌倉のSさんから小包が届いた。開けたら猫のご飯が箱いっぱいに詰まっていて、ぱちちゃんの供物にとの手紙が添えられていた。銀座のきもの屋の女将は「一年早いね。今夜は献杯します」とメッセージを寄越してくれた。そしてこの日記に何度も励ましの言葉を送ってくれたSさんからもあたたかいメッセージが書き込まれていて、思い出してくれる人たちのかけがえのなさが胸に沁みた。
いろいろと、尽きない。尽きなさすぎて散漫な一周忌日記になってしまった。家の中がさみしいことに慣れてしまったけれど、外で過ごしているときはさみしくないわけで、家をさみしくなくする必要もない、さみしい領域のひとつふたつもっていていいのだろうと思う。このさみしさはぱちと過ごせて幸せだったことの結果生まれた感情なのだもの。友人が子どもの頃一緒に暮らした犬のことを時折思い出して、胸のうちがあたたかくなる、と話してくれた。一年たって、まだまだその境地に達し得ていないけれども、わたしにもいつかぱちを想って涙ではなくあったかい気持ちだけで満たされる日が来るだろう。それにはまだ時間がかかりそうだ。