フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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「蒐集物語」(柳宗悦/中公文庫)を読んで日本民藝館へ。

 ひさびさに手仕事フォーラムの勉強会に参加することもあって、予習も兼ねて未読本棚にあった柳宗悦の「蒐集物語」を読み出した。そこには、手仕事による美しいものたちを民藝館に集めたいという執念が生んだ奇跡としか思えないような蒐集までのエピソードや、ものの見方選び方蒐集の心得が熱く綴られていて、もの好きに加えて数年前から民藝が気になり出しそちらのほうもゆるゆると学習中な自分の、今後バイブルになってゆくような本だった。

 ものを見誤るのは「空手で物に接しないから」だと言い切る。「知恵」や「評判」、「銘」、「金高」でものを計るから、おかしなものをつかまえてしまう、と。知識ではなく直感で見よ、と柳さんはおっしゃる。「先ず見ることが肝心である。見る前に知る働きを加えると、見る働きは曇ってしまう。そうすると美しさはなかなかその姿を現してくれぬ」・・・これは本書で繰り返し述べているところである。

 きものを着るようになって9年。その9年の間に「失敗した!」と思うものもたくさんつかまえてきたし、直感でいいものに辿り着いたこともたくさんある。失敗した場合は「これも勉強代・・・」と反省し、再び同じことがないよう気をつける。最近失敗がないのは、9年の間にたくさんの染織品を見て触ってを繰り返してきたからだと思われる。先日、玉石混淆のきものの某ウェブショップで、しみ等があるからと2,000円の激安価格で売られていたその帯をたちどころに購入したのは、ウェブの小さな写真でもぱっと見ただけでその型染めの素晴らしさが際立っていたからだ。これも型染めが好きで日々この類いを見続けてきた成果だと思われる。おおらかで伸び伸びとした線で描かれたその帯は、手元に届いて即悉皆屋さんに直しに出した。これはまがうことなきいい仕事だと嬉しくなった。

 本書では、「那覇の古着市」の章で琉球の織物との出逢いが綴られている。柳さんたちが美しいと称賛するものを島の人たちは「流行おくれ」だと言い、どうも「自国のものを卑下してか、内地から商人が売りに来るいかものの方を、ずっと新時代のものだと信じ込む」傾向があったらしい。内地では「西洋を真似る輩はとても多いのであるから、非難はできぬ」と柳さん。この「自国を卑下」するおかげで失われた各地の手仕事がこれまでいくつもあっただろうと思うと、もったいなくてしようがない。卑下に加えて、手間ひまかかる手仕事をしていても決して暮らし向きが良くなるわけではないからと手放す人も多かったろう。自分の手でものが産み出せるということそのものが、カメラという機械を通してじゃないと仕事にならないわたしからすれば途轍もなく尊いことだと思われるのだが、手仕事があたりまえの環境で暮らしていれば、そうは考えないのかもしれない。米一粒、キレ一枚たりとも産み出せない側の人間のほうがエラいなんて、そんなのは本来間違った道理だろう。

「蒐集物語」(柳宗悦/中公文庫)を読んで日本民藝館へ。_a0025490_10065640.jpg
 柳さんは蒐集そのものを楽しむのではなく、蒐集したものを民藝館に展示し大勢の人に見てもらうことを望んだ。美しさの共有と伝達をめざしてくれたおかげで、後世を生きるわたしたちもそれらを見ることが叶う。ここで示される美しさはある方面(民藝とよばれる分野)における美でしかないかもしれない。多岐にわたるであろう美しさを丸ごとカバーしているものではないかもしれないが、少なくとも美しさとはなんぞやと考える行為に繋がる。いや、蒐集の姿勢そのものを深く理解すれば、ここに集められたものを通して美しさ全体の真髄に触れることは可能だろう。何度でも訪れて、目を養いたい。

 本書を読み終えた後に駒場公園で撮影する機会があり、終わったその足で民藝館に立ち寄った。「江戸期の民藝」展が開催されており、本書で紹介されているものがいくつか展示されていた。みつめながら、「これがあの・・・」とエピソードを思い返していた。この接続している感触が、たまらない。

(写真は金沢で見かけた火鉢のもとを乾燥している図)

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by naomu-cyo | 2017-06-23 10:09 | 読書 | Comments(0)