過去に書籍の仕事でご一緒した編集ライターS嬢と友人Tさんとが仲良しなことがfacebookで判明、それがきっかけになってこまめにやりとりしたり逢ったりするうちに、毎年誕生日時分に遺影を撮って更新していくことにしたからよろしく、といっこしか歳が違わない彼女からまさかの遺影依頼を受けた。
先日わたしの作業場にヘアメイクを仕上げた姿でやってきて、まずはひといきとお茶を飲み飲み雑談をするうちに、この話している雰囲気のまま撮るのがいい気がしたので、テーブルを撮影スペースに移動、レフ板を立てて、一番大きな窓のカーテン越しの光で話をしながら撮影をした。
彼女との話はいつだって楽しい。機知に富み、テンポも良く、ツッコミもボケも自由自在で、かつ記憶力も達者、こっちの意図を汲み取るのにも長けていて、雑談力も高い。さすが、聞いたり書いたりをする人だ。一緒にいてまず楽しくないわけがない。撮るとなったら構えてしまう性分だろうと踏んでおしゃべりしながらを選んだのだが、初回はこれで正解だったと思う。窓の光が目の中に写り込んで大きな目がきらきらしていた。別嬪さんだなあと何度も思った。
撮影中からおなか空いた、早く呑みたい、と連呼していた彼女は、白ワインとつまみを用意してきてくれた。終わったらそのまま呑もうと日程を決めた時点で決めてあったので、わたしも取材先でいただいた金箔入りのシャンパンとつまみを用意してあった。さっきまで撮影で使っていたテーブルでささやかな酒宴が始まった。「きのう、独立記念日だったの」と彼女が話し出したのをきっかけに、お互いの共通事項である独身自営業にまつわる話をひとしきり交わし、そうこうするうちに「あれ?話してなかったっけ?」と家族のことをひとしきり話してくれた。親に対してうらみつらみがあってもいいような経験をしているのに愚痴ひとつ出てこない。程よくドライでもある。それは彼女が自分を養う能力を手にしているからだと思った。西原理恵子女史も言うではないか、「寿司と指輪は自分の金で」と。女は手に職つけろ、と。そしたらいつでもダメな男と別れてやり直せる、と。同じ独身自営業でも、彼女はお金のこととか先々のこととかもしっかり管理していて、自分に足りないのはまさにそこ、と痛感した。次第に彼女が歴戦の猛者に思えてきた。やたら未来への不安をあおって新しいプランをすすめてくる保険のおねえさんと話をするよりもよっぽど、彼女と話したほうが身になる。実体験は強い。そこを乗り越えてきたからなお強い。
参宮橋と初台の中間あたりに作業場を借りている。もともとシェア事務所として借りたのだが、もうひとりが早々に離脱し、今はカメラマン仲間が手助けしてくれたりイベントに貸したりしてなんとか維持を続けている。住まいとは別に場をもつことで引き受けられる仕事も増えてきた。借りものとはいえここは自分の城だからなんとか死守してやると思い、闘いの場のようにとらえていたのだが、思いもかけず撮影後にこんなじっくりした時間をもって、ここって闘いの場ではなく訪れた人と向き合ってじっくり話をする場なのかもなあと思った。そんなやりとりができる空間に育ってきているということか。これはわたし自身が意図的に志向したのではなく、訪れる人たちが導いてくれた方向だ。場は人が作るんだな。わたしひとりではそんなふうになれなかった。
来春、3度目の更新がやってくる。毎年遺影を撮るからと宣言した彼女と撮影後のいい時間を共有するためにも、やっぱり気張って維持していきたい。そうした時間もさることながら、入ってくる光もとても好きだから。