きのうはぱちの命日だった。秋を感じ始めた頃から脳裏をちらちらし始めた2年前の記憶、看病の日々。仕事が猛烈に忙しいのは、その記憶にどっぷりこもらないようにという亡き猫の差配なのかと思えてしまう。事務所から駅までの暗い夜道を歩きながらふっと思い返しては無防備に泣くことが何度かあった。
命日の朝は月命日同様魚を焼いて仏前にお供えをし、いつもより長く手を合わせた。
消さないメモリーカードがある。それはぱちが逝く2日前だったかに最後に顔を並べて撮った写真と、ぱち最期の日の朝に撮った写真とが残っているカードで、この2年まともにそれを開くことができないでいたのに、撮影した他のカードと間違えてこのカードをPCにコピーし、開いてしまった。びっくりした。そこには息もたえだえのぱちと泣きはらした自分の顔が写っていた。ぱちは記憶の中のぱちよりもずっと小さく、どう見てもおしまいが近いという風情だった。看病渦中に自分が在ったときには、まだまだ生きて欲しいという強い念があるから見て見ぬふりというか思考が停止していたというか、受け止めきってなかったのだろう。2年たってそれを見ると、明らかにぱちはもうじきお迎えが来るという状態だった。2年後のわたしは「ああ、ぱちはすっかり生き切ったんだ」と理解した。こんなになるまで、ぎりぎりのところまで、生き切ったのだ、と。命をすっかり使い切った、もうひとかけらも命の灯火が残っていないという姿であった。
少し前に、漫画家のヤマザキマリさんが新聞の人生相談に寄せられた、「大病して足が不自由になった87歳の祖母に明るさを取り戻すにはどうしたらいいか」という相談に対し、自分の母の老化を受け止められずどうしたら元のように戻ってくれるのか改善策を模索する日々を過ごしたのちに「老いとは決して元に戻るものではない」と気付いたと述べ、「私の母もあなたのおばあさまも、自然の摂理に全うに、生き物として正しく生きているだけなのです」と答えていらした。去年の暮れ、ヤマザキさんのインタビューを撮影する機会があり、最初の挨拶で裏に猫写真を刷った名刺を渡したのがきっかけでお互いの猫話になり、取材だというのに涙が出てきてしまったのを思い出した。あのときも命を全うするという言葉を使っていらしたと記憶している。かつて一緒に過ごした猫の最期のことを懐かしそうに話してくだすった。涙を伴わずに思い返すのには時間が必要だということも。
生を全うし、訪れた最期をぱちは静かに受け入れたのであった。そこをちゃんと理解するのにわたしには2年の時間が必要だった。あのとき自分が、とか、もうちょっとちゃんと向き合っていたら、とか、自分の所業を責めるのに熱心で、ぱちが生き切った全うしたのだということをちゃんと理解できていなかった。今度こそ、言葉の上だけではなくしっかと受け止められた。
座布団の上に無造作に置いた膝掛けの形がぱちの寝姿に一瞬見えた今朝。この住まいのあちこちにぱちの残像はまだまだ濃く残っていて、残像に見守られながらわたしは日々を過ごしている。命日くらい終日しんみりしてたっていいだろう。遺影を眺めながら強烈にぱちに触れたくなって、記憶の中の触感を思い返す。それは今でもあったかく柔らかい。