カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 more... 最新のコメント
検索
タグ
記事ランキング
|
2018年 02月 24日
先日、同い年の知り合い(Fさん)が亡くなった。闘病している様子は日々のSNSからは伺えなかったし、彼女と密に付き合っていたわたしの友人Wさんによると、寝耳に水の知らせだったようだ。
Wさんを通じてFさんと知り合ったのはかれこれ7,8年前になるだろうか。料理人であるFさんをその後きもの雑誌で撮影したこともあった。共通の友人知人も多かったし、SNSをまめにやっていらしたから、実際は会っていないけれど会っているような気がしていた。乳癌による多臓器不全が死因で、病院で息を引き取るぎりぎりまでふつうに暮らしていたそうだ。羨ましいほどに、清らかに美しく楽しく住みなしている人だった。 こんなふうにして、誰それが亡くなったということがこれからどんどん増えていくのだろう。自分だっていつそっちの世界に行くかわからない。自分の年齢が上がるということは、付き合いのある人たちの年齢も上がっていくことだから、20代30代のときとは風景が違ってくる。 ときどき、今は亡き人のことをふっと思い返す。2015年の初冬に逝った愛猫ぱちのことは相変わらず頻繁に意識にのぼってくるが、めそめそ泣き続けることはなくなった。涙は出るが、長いこと一緒に暮らしてくれてありがとうという気持ちが上回るようになった。 おととしの暮れに突然逝ってしまった落語大好きKさんのこともよく思い返す。彼が長いこと応援していた今では真打ちになった若手噺家さんの活躍を見るにつけ、「Kさん、頑張っているようですよ、彼は」とふっと心の中で呼びかける。Kさんにはたびたびご飯をご馳走になったし、韓国旅行にも連れて行ってもらったし、議論も交わしたし、生意気言っても許してもらっていたし、写真をたくさん褒めてもらった。御徒町に渋い居酒屋を見つけたから一緒に行きましょうという話をしてあったのだが叶わなかった。 噺家さんの訃報が入ると、取材でお目にかかったときのことを思い返す。先日亡くなられた志ん駒師匠は、2004年の「落語ワンダーランド」でお目にかかった。この本がわたしの噺家さん撮影初めなので、志ん駒師匠か小三治師匠のどちらかが初めて撮影した噺家さんのはず。志ん駒師匠がそのときお召しになっていたジャケットの内側には、師匠である志ん生の本名と志ん駒師匠の本名とが並んで縫い取ってあった。そんな話を志ん駒師匠の弟子である駒次さんにしたら、「そのジャケット見つからないんですよ。事によったら捨てちゃったんじゃないかって話で」とのこと。亡き後にも笑いを残していかれた。 ![]() いよいよ危ない、という父親のもとへ駆けつける当時付き合っていた彼を東京駅で見送ったことがあった。お父上にお逢いしたことはなかったけれど、その人あっての目の前のこの人と思うと、なんて声をかけたらいいかわからなかった。友人やお世話になっている人の親御さんの葬儀に立ち会って、お逢いしたことのない故人であっても、自然とありがとうございますという気持ちになった。 子どもの頃はわからなかった、弔うという気持ち。齢を重ねることで自然とそういう気持ちが身に付いていた。他人事ではないと思うようになったせいもあるだろう。なんでも自分事ととらえられればもっと優しくなれるのだろうけれど、死という究極の出来事においてでしかまだ作用できていない気がする。まるで未熟なままだが、さらに経験を重ねることでどうにかなっていくものなのだろうか。
by naomu-cyo
| 2018-02-24 10:54
| 逢った人のこと
|
Comments(2)
![]()
自分も去年10月に父親が亡くなって、いつか来るであろうと思っていた日が来てしまったことで、いろいろと考えることが多くなったよ。
自分も激しい衰えを感じるし、あんなに元気だった母親も80過ぎてどんどん弱っていく。 時の流れは止められないんだなと。 一方、この歳にして惑いまくっているのってどうなのか?というのも切実。
じゅんのすけさん・・・喪中のハガキをいただいたから、今年は年賀状をお出しできませんでした。年々増えていっている気がします。
いつか来るってわかっていても、そのときが未来永劫来て欲しくない、いつまでも娘としてどこか甘えていたい、と願うのは、わたしが独り身なせいもあるかもしれません。両親に対してそんなふうに思えるのは、ある意味しあわせなことだなと思います。わたしも相変わらず惑いっぱなしです・・・。おそらく、生きるということを前向きにとらえ続けるかぎり・・・諦めないかぎり、ずっと惑うものなのではないでしょうか。惑うっていうのは可能性を見いだしたり信じられたりするからでもあると思って。
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||