毎日新聞日曜版の「新・心のサプリ」という連載を毎度楽しみにしている。気に留まった新聞記事を切り抜いて保存してある中で、この連載記事の切り抜きがダントツで多い。書き手は心療内科医である海原純子さん。
こないだの日曜日は海原さんの同居猫との終の別れの話だった。猫に異変が見られ病院に連れていき、手術は成功したが突然具合が悪くなり、酸素ボックスを借りて自宅療養。苦しげな呼吸を続ける一方で表情は病の影もなく幸せそうだ。友人の獣医によると、「呼吸状態が完全に死の直前」なのにその状況は不思議だという。そこで海原さんは「幸せそうな表情の猫は私に何を伝えたいのか」と考え、「もしかすると、猫は、私が大泣きせずに自分の死を受け入れられるまでがんばるつもりなのだ」と気付いたという。「そうか、大丈夫よ。ありがとう」と伝えると、すぐに猫は「あまりにも美しい寝顔でいまにも起きてきて空を見上げそうな表情」で旅立ったとのこと。
愛猫ぱちを看病した4ヶ月の日々のことを思い出した。一度は盛り返した食欲は秋に入った頃に再び衰え、どんどん食に執着を見せなくなり、細っていった。再び元気を取り戻すことはないのではと思うと、別れを受け入れたくないわたしは毎日ぱちの前で「おいていかないで」とおいおい泣いた。「夏を乗り越えようね」と励まし、夏を越したら今度は「一緒に桜を見よう」と言葉をかけるようになっていたのだが、今から思えば、次から次へと希望を口にするわたしにぱちは限界を感じていたのかもしれない。それでもけなげにふるまってくれてはいた。終の別れの3日前あたりだっただろうか、ほとんど何も口にしなくなったぱちに、もう我慢しなくていいよ大丈夫だよとようやく言ってあげられた。そしてわたしが仕事で出ている間に静かに生涯を閉じた、愁嘆場を避けるかのように。すーっとした安らかな寝顔のような顔をしていた。
海原さんのエッセイを読んで改めて、猫は、そしてぱちは、こっちのことを全部お見通しだったんだな、ちゃんと通じているんだな、と振り返った。そうして、ぱちを想ってまたおいおいと泣いた。2年半がたつけれど、何かっていうとこうして涙が止まらなくなる。おとといの夢にも出てきた。夢の中で顔をわたしにぐっと寄せてきたのを、朝目覚めたときにはっきりと憶えていた。仏壇にお線香をあげながら、「夢に出てきたねー。ありがとう」とお礼を伝えた。しばらく振り返らずにいられたんだけど、あーあ、またむしょうに逢いたくなっちゃったよ、ぱち。