某日某朝、伊賀の街を散歩していた。古い街並で軒が低い。ふと見上げると2階の窓の磨りガラス越しに人形の後ろ姿が透けて見えた。ちょっと遠いけれど、気になったから撮る。撮り終えると、外で掃除をしていたその家の方とおぼしき男性が「何?何か撮るようなものあったー?」とびっくりした様子で話しかけてきた。あ、すみません、ガラス越しに見えた人形のフォルムがきれいだったんで、窓を撮ったんです、と答えると、「へえー!」と笑っていた。
磨りガラス越しだから人形としての線はぼやけて見える。だからなのか、人が立っていると見えないこともない。実際の人形は小ぶりだけれど、たとえばそこだけクローズアップして人間のサイズ感で見せれば、青いきものを着た柳腰の女性の後ろ姿に見えないこともないんじゃないか・・・。
こんなふうに思うのはおそらく、江戸川乱歩の「人でなしの恋」や「押繪と旅する男」を好むせいもあるかと思う。人形に焦がれる男やのぞきからくりで見た押繪細工の中の女性に恋する男が出てくる物語で、彼らは人ではない異形のもの、人形に生を見い出し、美を見い出し、添い遂げたいと熱望した。それらの物語に強い衝撃を受けた自分は、人形を見るとつい彼らの情念を思い出して、別次元を覗き見するような心地になるのだ。