フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
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誰が撮るよりも。

 先月のとある取材にて、よくお目にかかる方の撮影をした。毎月撮影で関わっている現場の中心人物で、ご本人自体がそもそも話すプロであり言葉の研究者でもあり・・・と実に多才な方で、今回は研究者の立場にスポットライトを当てた取材。これが実に面白かったのだが、自分では反省することしきりの現場となった。自分まだまだ、である。

 発注元の担当女子とはかれこれ干支ひとまわりくらいの付き合いで、彼を取材したがっていたのでわたしが仲介したこともあり、ならば撮影はむーちょにと機会が転がり込んできた。一方的に知っている相手を撮るとかその日初めましてな相手を撮るいつもの取材とはちょっと違う。毎月お世話になっていて現場では頻繁に話をするけれど、よく存じ上げていると言えるほどの付き合いでもない。メディアにもちょこちょこ登場する方なので、わたしにとってはある意味2.5次元的な存在でもある。現場でするような話以外のことが聴けそうだという楽しみがある一方で、緊張もあった。よくお逢いする方だもの、誰が撮るよりもカッコよく撮りたい・・・と真っ先に思った。また、ふだん話している顔を眺めていて、泣きぼくろのある側の顔の方が表情が柔らかくて好きだな・・・という先入観もあった。そこに、自分がセッティングした取材場所が逆光が思ったより強くハレーションが起きた。そこまでふわっとした光で撮った写真にはしたくない。そういうあれやこれやが撮る自分をガチガチに縛ってしまって、なんだか空回り気味。多分なんとなく照れくささもあったんだと思う。いつもの撮影のときのような調子がまるで出てこなくなっていた。

誰が撮るよりも。_a0025490_08453253.jpg
 インタビューにはそこそこ時間が取られているので、その時間中になんとか自分のリズムを取り戻し、結果ギリギリセーフだったかなとは思う。その後写真セレクトの時点になって、わたしが知っている彼のいい顔との脳内すり合わせが始まった。「っぽい」か「っぽくない」か・・・判断がよくわからなくなって、いつもよりたくさんの時間がかかった。やっぱり事前に余計なことを考えるといけない、まっさらな気持ちで臨めなくなる・・・そんなこととっくにわかっていたはずなのにまだそんな状況をふっと招いてしまうのだ、いともたやすく。そういえば去年、大好きな某作家の取材のときにも似たようなことがあった。わたしの記憶の中にあるよりも目の前のその人は明らかに肥えまくっていて、記憶の中の姿に基づいてカッコよく撮りたいのに実在の姿とうまく整合できなくて、いい塩梅に落とし込めず負け感たっぷりで納品した。思い込みやファン気が高じすぎたということか・・・あ、そうか、毎月現場でご一緒するその方のファンなのだ、わたしは。おそらく。

 話自体はとても面白かった。どこまで原稿に反映させるかはライターさん次第だが、ふだん聴けないようなラディカルな意見も聴けて、思わず笑いながら撮った。多才な中にはしっかりと一本筋が通っていた。一方で、余計な思い込みに振り回されながらあーでもないこーでもないと撮っているわたし。このコントラストは自分に足りないものを容赦なく照らす。自分の思い込みに振り回されるなんて、まだまだですよ。果たして誰が撮るよりもカッコよく撮れただろうか・・・こう思うこと自体がそもそも余計ごとなのかもしれないが。

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by naomu-cyo | 2019-09-04 09:18 | お仕事 | Comments(0)