オカンに逢ってきた
2007年 05月 02日
日立に着いたらすでに夕飯時。実家では決して煙草を吸わないので駅前で吸い納めをしてバスに乗る。実家にいた頃は怖くてたまらなかった住宅街の暗がりが今は心地いい。やはり夜は暗くなくっちゃ。
たわいもないおしゃべりをしつつご飯。相変わらず「あれ」とか「それ」とかが多い母親の話をいちいち「あれって何」「それって何よ」と問い正す。おなかもくちると、我が家恒例こたつで居眠りタイム。弟だけはすぐ自分の部屋に戻ってしまう。久しぶりだしゆっくり話したいけど、いつの頃からかあんまり相手にしてくれなくなった。姉としてはさみしい。でも、母とはよく話すようで、以前年上の彼女とだめになったときは、そのいきさつを話しながらぼろぼろ泣いたんだそうな。男のくせに泣くな、とは思わない。むしろ、情緒に欠けているように感じていた弟が泣いたと聞いて、ちょっとほっとしたというか・・・。あたしの前でも泣いて欲しい、「大丈夫だって。次行こ、次!」と肩をバシバシ叩いてやるのに・・・。まあ、行き遅れの姉に励まされてもなんの励みにもならんだろうけどさ。
翌朝、今は半分物置になった自分の部屋で目覚めた。東と南側に窓があるこの部屋は日射しが燦々と降り注ぐ。思えば紫外線浴びまくり。なんの危機感も憶えずに19までのあたしはここで寝起きしてたわけだ。
午前中に幼なじみ宅をふらっと訪問、昼から母と叔母とともにばあちゃんに逢いに出かけ、帰宅後庭で写真を撮り、母の買い物につき合う。実家に帰るとやたら母につきまとう。どこにでも歩いて行っちゃう母にくっついて行くのはけっこういい運動。実家だとほんとなんにもしないで食べてばっかりだから全然おなかがすかなくて、たまのオカンご飯をおいしく食べるにはやはり少しでも動いておなかをすかせておきたいわけだ。
公園の八重桜が重そうに咲いていた。山の端に太陽が沈んでゆくのを久しぶりに見た。近所のおばちゃんに「あら、きれいになったんじゃない?」などとお約束のようにおだてられいい心地になるも、「まだひとり〜?」と釘をさされ「あはは」と笑ってごまかした。おばちゃんちの息子さんもこの連休に帰省するそうで、そのことを嬉しさが隠せないってふうに話してた。
大連にいる父親から電話。向こうでも連休らしく、それを利用して仕事仲間と満州だったところに来ているとのこと。「ハルビン?」ときいたら「そんなに北じゃない、吉林省」だって。「お父さんもカメラ持てばいいのに」と言ったら「撮りにくればいいだろうに」と言っている。そうだなあ、行きたい行きたいって言っているばっかりじゃちっとも行けない。仕事ついでとはいえ、父のそのフットワークの軽さは見習うべきものがある。広いんだろうな、中国。きっと想像もつかないくらい広いんだ。だいたい紫禁城の広さがあんななんだから。桁違いだ、なにもかも。
23時間の滞在で日立とはさよなら。今回は海に逢えなかった。近々またね。心残りがたくさんある。
ウェブサイトを更新しました。5月は「江ノ島詣で」で撮った写真たちです。http://www.mu-cyo.com/