「キュレーターズ・チョイス07」に行って思ったこと。
2007年 09月 30日
野外フェスで雨にあたったり、畳の上に転がったまま寝てしまったり、モニターの前で意識不明と覚醒を繰り返して朝を迎えたり、冷房のきつい乗り物内で爆睡したり・・・など、うかつと適当を積み重ねていたら丈夫極まりない自分でもどうやらちょっとだけ風邪をひいたみたいだ。首から上がだるい。こんなとき、体温計が壊れたまま放置してある我が家では、冷えピタをおでこに貼ってなんでもない風を装う。
撮影前にちょっと寄り道して東京写真美術館へ。知人より招待券をいただいた「キュレーターズ・チョイス07」を観る。それぞれの学芸員が自分の意にかなった写真作品を選びコメントをつけて展示してある。「キュレーターが選んだ」という点以外、どこも共通項がないのではと思われる作品たち。着眼点の違いが観られて面白かった。
狸の死骸が腐敗し骨になるまでを定点撮影した一連の作品には目をみはるものがあった。写真の技術がどうのこうのと言うんではなく、写っているものそのものが、これ以上ないって程リアルでどきどきした。それからセバスチャン・サルガドの一連の作品。例えば、今朝作った味噌汁が思ったよりずっとおいしくできてちょっとハッピー・・・みたいな日常の中の些細な幸せを吹っ飛ばしてしまうような、現実を鋭くかつドライにとらえた作品が多く圧倒された。思わず写真集を購入。
最近まめに写真集を探しては購入している。今までそういうことを怠ってきた。写真を撮る者のくせして世の中にたくさんいる仲間の作品をまるで知らずにきていた。まねをしようとか、知識として入れておこうというんではなく、どういう意図でその人は写真を撮っているのだろうとか、どういうコンセプトで写真集が編まれているのだろうとか、そういうことを見て考えるのも大事なことだし、なにより人の作品も面白い。心をぐぐっとわしづかみにされることだってある。そうして最後のページまで眺めた後、「あたしもいつか写真集を出したい」という想いが胸に去来する。撮り散らかしているばっかりで、いまだテーマなどみつかっていないのだけれど。それでもわけもわからず写真をもっともっと撮りたくなる。
京都音博に行って、それまでなんとなく漂っていた無気力モードから見事脱することができたので、先週は二度ほど暗室を借りて暗闇に身を浸してきた。楽しい。やはり楽しい。大して技術的なこだわりがあるわけではなく、ほんとふつうに焼いているだけなんだけど、それでもなんでも楽しいからやめられない。いつか、この楽しくてたまらない作業の集積が写真集という形で日の目を見ますように・・・なんて虫のいい話。
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