どうして撮りたくなったのかを探しに。
2008年 10月 10日
先日、暗室を借りにN氏の事務所へ伺った。作業の合間合間にN氏と話していて痛感するのは、自分のものの見方の底の浅さと甘さ。N氏の話を聞いていると、この人が写真という平面的な表現にいかに奥行きを添えているかがとてもよくわかる。絵作りの上での奥行きのみならず、ふだんのものの見方やとらえ方、考え方などがおのずと総動員されて絵作りがなされているということ。何事にも造詣が深く、ただ知っているのみならずそれにちゃんとN氏の意見なり思うところなりが伴っている。雑学大好き、なだけとは訳が違うのだ。
たしかにそれも大事。面白いと感じること、かっこいいと感じることはとても大事だ。ただそれは瞬発力でしかないように思う。マンネリを感じてしまうのもそこに起因していると思われる。その奥にある本質的なものをあぶり出す力がわたしには欠けている。写真を撮り始めて10年以上たつわけだし、そろそろ「撮るのって楽しー!」だけの次元から脱却していかねばならんとこの頃切に思う。もったいぶった意味を加えようってんじゃなく、表現としてたしかな厚みのあるものを生みたいと心から思う。ずっと写真を続けていくためにそういうことをおろそかにしてはいけない。
海外にぽーんと行けちゃう人は何を尻込みしているのかと思うだろうけど、ひとりで国境越えすることにたくさんの勇気がないと行けない自分は行動に移すまでにひじょうな時間がかかるのだ。自分はベオグラードで何を見たいのだろう何を知りたいのだろう。ユーゴの内戦を描いた映画たちと米原万里さんの作品の影響で行ってみたいと思ったわけだが、どうして行ってみたいと思ったのだろう・・・。その「どうして」を探ることが今の自分には必要なんだと思う。