やっぱり大好き車谷長吉!
2009年 10月 07日
ふだんから気になる言葉とか好きな言い回し、心に留めておきたい文章のあるページの隅っこを少し折り返しておく。車谷氏の二作を読み終えたらその折り曲げた箇所があまりにもたくさんあって表紙が斜めに浮き上がっていた。珠玉の言葉の連続。
先日作品ファイルを見せに行った老舗出版社で「車谷さんの作品が大好きで」と言ったら、「だいぶ濃い作品が好きなんですね」と言われた。なるほど、濃い、か。指摘されて気付く、その「濃さ」にも魅了されていることに。濃密な生死が描かれた作品が多数ある。
随筆「物狂ほしけれ」。「徒然草」を引用し訳文と車谷氏の言葉とが綴られていく形式。「基本は世の中に背中を向けて必死に生きることである。『必死』とは『必ず死ぬ』ことである。いつ死んでもいい、と覚悟することである。人はそれが恐いから、必死に生きないのである」「必死にならんと、軽はずみに栄光を夢見ても、あきまへんな。わい、そない思いますわ。世の俗人は必死になるのが、恐いのである。その癖、虫のいいことを考えるのが俗人である」「恥も外聞も捨て、なりふり構わぬ体で生きて来たのである。これが人の生きる道ではなかろうか」・・・背筋がしゃきっと伸びる心持ち。スミマセン・・・と謝りたくもなる。
一転、旅行記「世界一周恐怖航海記」はユーモアにもあふれていた。「長吉。」と大書された法被を着用して世界一周する船に夫婦で乗り込んだときの体験記で、船内の人間観察、訪れた土地の風景風俗、読んだ本の感想などが描かれた含蓄のある記録だ。
「文学のほか一切を捨てて生きて来た。無常(死)を感じたら、文学をやる以外に生きる道はなかった」「この船に乗って痛感するようになったことの一つは、人生の一回性、一過性ということである。見るもの、聞くものがもう二度と目にすることはないのだという哀切さで感じられる」「人の魅力は『生活の破綻』の臭いをさせているかどうかによって決まる」なんてことを書いていると思ったら、「女は『飽き』の来ない女が一番だ」「嫁はんに小馬鹿にされる。見捨てられる。それが恐ろしい」とも書いている。
人の心の暗く深い淵をたくさんのぞいてきて、そうして一回ぐるっとめぐって得たかのような開放的な境地が感じられる作品だった。だから時にユーモラスだったり馬鹿馬鹿しかったりする箇所がある。それが車谷氏のもつ「かわいげ」かなと思う。子どもの頃から親に「かわいげがない」と言われてきたわたしは、男性である車谷氏が放つ「かわいげ」にほろほろっとなってしまう。男、女、関係なく「かわいげ」って大事だよなあと作品とまるで関係ないことに感心した。
もういつ死んでもかまへん、って口ぶりの車谷氏だけど、まだまだ長生きして持ち味はそのままにいくつもの文学を生み出して欲しい。「文学」という言葉がこれほどまでに似合う現役作家もそういないし、何しろご本人にお逢いして撮らせていただきたいのだもの。
(「物狂ほしけれ」(平凡社)と「世界一周恐怖航海記」(文藝春秋)から随時引用させていただいました)
この人、油断できないよ。
人をだましてべロッと舌を出すようなところがある。
それが面白いんだけど、写真撮るときには気をつけてね^^。
他の数人と交替で「人生相談」に回答してるんですけど、
毎回ものすご〜い回答なのです。
なんともいえないくらいスゴイの。
機会があったら読んでみてください。