布団に入ったのは夜中の3:00なのに、なぜに目覚ましが鳴る前の7:30に目が醒めてしまったのかが不思議だ。やけにきりっとした寝起きで、床から出てすぐに「魚を焼こう」と思い立ったのも不思議なことだ。
今日の朝食、はとむぎともちきび(ともに岩手)と山査子入りの玄米と白米をブレンドしたご飯を一膳半、アオサー(沖縄)と地のり(伊豆大島)入りの醤油仕立てのおつゆ、エノキダケとズッキーニの梅肉(和歌山)炒め和え、そして冷凍庫に眠っていたいわし明太(福岡)。こんなに食べたのに昼に事務所へ行く道すがら、チロルチョコのハロウィン仕様ボックスを買ってデータをこしらえながら半分くらい食べちゃった。食欲の秋、とはいえ、実りの秋に特化したものは皆無。この秋、栗を食べそこねている。
「うかたま」編集部に納品に伺ったら「サルナシ」というキウイの仲間をご馳走になった。どなたかが山梨に行ってもいできたんだそう。キウイよかずっとうまい。その後青山一丁目までぶらぶら歩き、電車を乗り継いで中目黒で下り事務所までのんのんと歩きながら、心が地味めにうきうきしているのに気付く。この、とりわけ理由の見当たらないほんの少し浮わついた感じ。常日頃かかえている将来への不安が根拠なく一掃された状態。スピッツの楽曲のタイトル「空も飛べるはず」のように空とまでは言わないけどスキップくらいはしちゃえそうな気分。そんなようなすごく中途半端な浮かれ感に包まれて、なんとなく幸せだわあーと思ったのだった。秋の陽射しのせいかもしれない。この時期の柔らかいウォームトーンな陽射しに全身が守られているような気持ちになったから。
集中力が切れたので19:00過ぎには事務所を出た。今日分のやるべきことはやったしたまには近所のスーパーで買い物して帰ろうと思って。バス停までの道すがら、日中とは一転なんとなく物哀しい気分に包まれる。このところ、陽が沈むとぐんと気温が下がる。昼はちょっと暑かったニット帽とコートがちょうどいい案配。どことない物哀しさを払拭するべくやたらと食材を買い込む。パプリカの黄色が眩しくてかごに入れた。ほかに南瓜、春菊、サツマイモ、ズッキーニ、納豆、油揚げ、ヨーグルト、大好きな王林。夕ご飯は鰹節を削りだしをとって南瓜を煮て、春菊と油揚げを足した朝の残りの醤油仕立てのおつゆにアシタバ蕎麦(伊豆大島)を茹でて入れた。京子ちゃんからもらったすだちをきゅっと絞った。なんも起こらない極めてありふれた一日だったけど、いつもよりも少しだけ丁寧に暮らした気がする。そんな日はなんとなく気分がいい。