落語鑑賞日記~この2週間の落語~
2009年 10月 28日
「東京発・伝統WA感動~道具仕立て芝居ばなし~」 江戸東京博物館ホール
彦丸 「たらちね」
平治 「源平盛衰記」
歌武蔵 「相撲巷談」
権太楼 「芝浜」
正雀 「鰍沢」
平治師匠から依頼されていた宣材写真を届けようと出演される会をたぐってみたらこの会。見逃すところだった!当日券が若干出るというので急ぎ会場に向かう。客席は満席、なのになんとなく硬い。歌武蔵師匠が爆笑を誘発してだいぶほぐれたところで権太楼師匠の「芝浜」。素晴らしかった!前半の究極な貧乏所帯の有様と、後半のゆとりの生まれた所帯の有様とでは、家にさしこむ光加減までもが違って感じられる。話芸なのに光加減が感じられるなんて。絞り出すように「おっかあ、俺を助けてくれ」と言うその響きから、もう死ぬしか道が残されていないまでに追い込まれた人間の心理が伝わってくるよう。そうした表現があるからこそ、描かれてはいないけど死にものぐるいの人生巻き返しをしたのも想像できるし、後半のゆとりが生まれた生活風景が見えてくる。すごい「芝浜」だった。
「五六の會」 ハイライフプラザいたばし
おじさん 「子ほめ」
さん弥 「悋気の独楽」
右太楼 「試し酒」
右太楼 「黄金の大黒」
さん弥 「おしくら」
今やすっかり楽しみになった会。右太楼さんは落語そのものがもつ面白さを、さん弥さんはご自身自体の挙動不審ゆえの面白さを、それぞれ発揮してくれる会。このふたり、まるでタイプ違いの面白さだから毎回とても楽しめる。右太楼さんの袴姿が惚れ惚れするくらいにりりしく美しかった。前座のおじさん、高座初見。「子ほめ」の「タケ」が「与太郎」みたいでくすくす笑ってしまった。「試し酒」、登場人物三人だけの室内噺で、酒杯を重ねていくことで時間の経過がわかる。けど、噺の核はいったいどこなんだろう。どこに重きを置くかで全然違った噺にもなりそう。見ているだけで「もう飲めないっす」という気分にさせられる。それを余裕で飲んじゃう久蔵がすごい。
「喜多八膝栗毛 秋の宵」 博品館
ろべえ 「金明竹」
喜多八 「もぐら泥」
喜多八 「目黒のさんま」
林家花 紙切り
喜多八 「明烏」
久しぶりに行った会。やっぱり喜多八師匠は素敵!もちろん期待して行くんだけど、終わるとそれ以上の満足感をいただける。初めて聴いた頃は師匠の高座に孤高感を強く感じたものだけど、今は親しみのような感情を憶える。全部に対して言えるのは、言葉を尽くして説明しているわけではないのに、その情景がたちのぼり匂いや温度がしっかり感じられるということ。絶品の「明烏」では吉原の夜のにぎわいが手に取るように感じられた。まるで大門から中を覗き見しているかのような心地になった。そして師匠はこの日還暦を迎えられたそうで、会場にはバースデーソングが!赤いチャンチャンコ姿で登場して欲しかったわ~。
連日の疲れと睡眠不足がたたって何度か気が遠くなりかけたけど、楽しい番組だった。文左衛門師匠の「桃太郎」、絶品。この噺、こんなに面白かったっけ?というほどに面白かった。師匠は持ちネタがものすごく多いわけではなさそうだけど、その分ひとつひとつの噺の練り上げ度が高い。とても繊細で精緻で絶妙な噺のこしらえ方をされているように思う。年末の「芝浜の会」が楽しみ。トリのさん喬師匠は「井戸の茶碗」。師匠のこの噺は何度か拝聴したけれど、今までのものよりぐーんと面白くリズミカルになって聴き易かった。屑屋の清兵衛さんのキャラクターがさらに立体的になって、噺全体の流れがすごく気持ちいい。一緒に聴きに行った編集者のWさんが「モノクロだったのがカラーになった感じ!」と表現されていて、言い得て妙!と思った。すごいな、さん喬師匠。還暦を越えてもまだまだ攻めの姿勢でいらっしゃる。かっこいい。
「扇辰・喬太郎二人会」国立演芸場
市也 「転失気」
扇辰 「夢の酒」
喬太郎 「笠碁」
喬太郎 「館林」
扇辰 「盃の殿様」
市也さんが出てくると母親のような気持ちでエールを送る。落語界のジャニーズのようなお顔立ち。お願いだから太らないで!と思う。余計なお世話なだろうけど。扇辰師匠「夢の酒」と喬太郎師匠「笠碁」はお互いたっぷりめ。扇辰師匠、相変わらず妖しげ。師匠演ずるところの女性はどことなくぬめーっとしていて、女をなめると後でエラい目に遭うよ、っていって匕首忍ばせていそうな感じがする。喬太郎師匠、わたしは新作よりも古典を聴く機会のほうが多い。「笠碁」という噺自体が好きだけど師匠のは今まで聴いたものよりずっと具体的。喬太郎師匠の風貌が登場人物に重なって見えてくる。隠居さんっぽい。ちょっと太ったような気も・・・。楽屋同期のお二人のせめぎ合いが少し感じられて、そういうところもひとつの楽しみだ。一緒に観ていたWさんと、「落語漬けな一日、お疲れさまです」と言い合う。