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1 2017年 03月 18日
そういえば、きものを着始めてかれこれ9年になる。まさか身につけるものにこんなにも云々するようになるとは思ってもいなかった。きものを通して新しい自分を見つけたような心地。おしゃれについて考えることが案外好きらしい、自分。また、ディティールに興味があるらしい、自分。この9年でいったいきものにいくら使ったのか、計算するだにおそろしいので考えないことにしている。道楽とはそういうものだろうし、魅了された、のひと言に尽きる。
今年に入り、きもののコーディネイトを記録することにした。同じようなものをうっかり買ってしまうのを防ぐためである。記録しながら、それを選んだときのことが思い出される。これ、好き!と直感で飛びついていると思っていたけれど、わたしなりに購買ストーリーがあるらしい。 15日の毎日新聞朝刊にMIHO MUSEUM館長の熊倉功夫氏のインタビューが掲載されていた。「道具を通して歴史を学ぶ」という見出しで、茶の湯文化について話していらっしゃった。その最後が「『物語』は物が語り継いでいます。語りを残していないものは単に『物』。語りはすなわち歴史。歴史を道具の中で楽しんでほしいですね」と締めくくられていた。 わたしが購入したきものや帯そのものに物語があるのかどうかはわからない。だけれど、それを選んで買い求めたわたしの側には物語があるわけで、そうなるとそれらはわたしにとっては単なる「物」ではなくなる。他者にはなんとも感じない「物」であっても、わたしの側には大いに感じ入る「物」だ。価値観の相違の面白さよ。 現時点できものや帯の支払いが6月まで3つ並行している。やっちまった阿呆だなあと思う一方で、仕方ないよね魅了されてしまったんだから、とも思う。かなり忙しくしている時期だったから調子に乗って買い物したわけだけど、ひとつとして後悔するものはない。これじゃあまるで光源氏の心境だ。みんなラブ。藤壺の女御も六条御息所も葵の上も紫の上も朧月夜の君も明石の君も末摘花も空蝉も夕顔もみんな愛しい女人たち、と丁重に扱う光源氏の心境が、対象が人ではなく物だけれど、なんとはなしにわかる。手元にあるものみんな好きなのだ。嗚呼、多情。わたしには、お前だけだよ、なんてこと言えない。 * * * * * * * * * * * * * 支払い終わってないよコーディネイト。お正月に着たいなあと思って宝尽くし柄の小紋を。帯は取材先でひと目惚れ。6月まで頑張って支払いまっせ。 浅草演芸ホールに雲助師匠のトリを観に行った日のコーディネイト。師匠の「死神」が鳥肌が立つほどに面白かった。 横浜の呉服屋さんへ浦野理一展を観に行った日のコーディネイト。素敵なのがいくつもあったけれど、手が出ない金額ゆえに断念。このきものに出逢ったのは、おととしの春、某新真打ちのパーティーにお呼ばれして、めでたいなあとほろ酔いで立ち寄った銀座きもの青木で遭遇。わたしがめでたいわけでもないのに、ひょいっと手を出してしまった。帯は吉田美保子さんの作品。個展で拝見し、この爽やかな色目が忘れられず、つい・・・。 着物セレクトショップの新年会にお呼ばれしたときのコーディネイト。縞が好きなんだよなあ・・・。そして同じく型染めも大好き。 我が家の亡き猫・ぱちのファンの方からお食事に招かれた日のコーディネイト。鵠沼にある老舗・三笠会館に連れて行っていただいた。建物に味わいがあるうえに、お料理も心に残る美味しさだった。いつも激励のお言葉をいただく。ほんとうにありがたい。出逢わせてくれたぱちに感謝してもしきれない。 思えば、手に入れるときの物語のみならず、こうしてコーディネイトして出歩くことで、そこにさらに物語が加わることに気付く。あの日あのときこんなきものを着て、誰と逢って何を食べてこんな話をして・・・。わたし自身の記憶と結びつくきものたち、愛しい布たち。物語という名の物欲でもあるか・・・。うーん、やっぱり多情だな。いつかこの想いも落ち着く日が来るのだろうか・・・。 ▲
by naomu-cyo
| 2017-03-18 03:35
| お着物
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