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1 2016年 07月 10日
先月、わたしと同世代の夫婦と老犬D三名の家族写真の撮影依頼があった。Dは末期ガンに冒されており、余命宣告をされたという。いつも夫婦のうちどちらかがDとの写真を撮っており、そういえばそろって写真を撮ってなかった、Dが逝ってしまう前にお願いしたい、とのことだった。
Dの懸命な姿を見てぱちの晩年を思い出したりもして、せつなくなりながらの撮影だった。そして数日前、永眠の知らせが届いた。ああ、逝ってしまったか。D、お疲れさまでした。最後の最後まで奮闘しなさった。帰宅してぱちの遺影にお線香をあげながら、Dがそっちに行ったから仲良くするんだよと話しかけた。老いて逝ったDもぱちも不自由な肉体を離れて、今頃あっちの世界で走り回っているだろうか。それとも日陰に寝そべり涼んでいるだろうか。愛犬愛猫の訃報が周りで続いている。喪失のいたみに想いを馳せ、自分のいたみもまたぶり返す。たとえ長生きの果ての死だとしても「大往生」という言葉を使わないようになった。死に直面したときに、一分一秒でも長く、いつまでだって生きていて欲しかった、と思ったから。「大往生」なんてない、と思ったから。 ![]() ▲
by naomu-cyo
| 2016-07-10 03:08
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2016年 04月 29日
先週末、琉球紅型の新作展のお知らせをいただき、青山のゑり華へ足を運んだ。この日は夕方からの観劇の時間までに覗こうと予定していたきもの催事がほかにふたつありまずはゑり華を訪れたのだったが、結果的に琉球紅型に圧倒されるうちに時間が過ぎ、タイムアウトとなった。
お店に入ってすぐ、藍地に大きく花が筒描きされた帯地に目が留まる。いろいろと現代の琉球紅型を見ているけれど珍しい構成だったので、それについて店主に尋ねるうちに話は琉球紅型の歴史の話にまで膨らんだ。 以前伺ったときに教えていただいた琉球紅型の濃い黄色の話。ここまでの濃い黄色は古いフクギじゃないと採れないもので貴重であり、それは琉球王家が用いる色であった、と。琉球紅型を継承する城間家にもそこそこ古いフクギがあるんだそう。 くだんの筒描きの琉球紅型帯は、去年城間家十六代目当主となった栄市氏の手によるもの。「うちくい」(風呂敷)にあった絵柄の部分を帯のお太鼓に描いたもので、栄市氏の発想によるものだという。ふだん目にする琉球紅型の精緻で鮮やかな柄の繰り返しは、まるで美術品の如しで今の自分にはちょっと重たく、価格も含めて遠い存在だったのだが、この栄市氏の帯地にはすっと入っていける。南国の太陽に向かって植物が伸びていくかのような柄の大らかさと余白に魅力を憶えた。 ![]() この日は展示に合わせて自分もリサイクルで見つけた琉球紅型帯を締めていった。帆掛け船の柄で、以前これを締めていたら日本民藝館で同じ柄を見たことがあると声をかけられた。柄ゆきは同じでも型は微妙に違う。琉球紅型は型の複製をしてもかまわないんだそうで、一部表現が違うなどしていくつかの帆掛け船の型があるんだそう。資料を確認した後、「これは第三の型ですね」と店主。描かれた波の表現が資料にあったものと違うのだとか。 ![]() ▲
by naomu-cyo
| 2016-04-29 09:19
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2015年 06月 12日
数年前の母の日に贈ったブーゲンビリアの鉢植えが、こないだ帰省したときに玄関先で真っ赤に咲いていた。もっと大きく育ったら地植えにして、狭いながらも父が手間ひまかけている庭に彩りを添えてくれるといいなと、たまに帰省して眺めるだけだからそんな呑気なことを思う。南国の花が果たして北関東に根付くのか。都内で豪勢に咲いているかの花を見かけたことがあり、好きな花なこともあって贈ったのだった。おととしと去年に贈った紫陽花の鉢植えも無事に育っていた。父は植物を育てるのがうまいのに、娘はといえば枯らす名人で、おととしの暮れに買い求めて名前まで付けた盆栽は去年の夏には枯れ果てた。やはり手間ひまをかけるかどうかのみならずセンスの問題でもあるのだろう。
いつの間にか父の盆栽熱が再燃していて、徐々に盆栽ゾーンが広がっている。今回お初にお目にかかる立派な盆栽があったので、この盆栽かっこいいねと父に言ったところ、後藤さんの形見分けでいただいたのだという。後藤さんとは父の上司にあたるんだったか、毎年年末になるとご自身で打った蕎麦をスーパーカブに乗って届けにきてくれた方で、思い返せばここ数年後藤さんの手作り感満載の蕎麦にお目にかかっていなかった。そうか、亡くなられたのか。 ![]() ▲
by naomu-cyo
| 2015-06-12 13:54
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2012年 04月 09日
3月末の連日撮影のさなかに事務所移転を完遂させねばならず、頭の中がこんがらがるようなスケジュール調整をし、28日夜に夜逃げの如くなんとか赤帽さんに残りの荷物を運んでもらって、ようやく引っ越しが完了した。現時点でもまだ、高輪から代々木へと物を移動したというレベルで、片付いているとは決して言えないような光景だ。にも関わらず、全て運び入れたその翌日、新事務所で撮影に及んだ。
自然光でアクセサリーの撮影。アクセサリー作家・白洲千代子さんの個展用DMの撮影で、打ち合わせ段階で作品を見せてもらい、背景は何色にしようかなと考えたときにふと、手持ちの帯を背景に使ってみてはどうだろうと思い至った。作品にはふんだんにエメラルドが使われていたのを思い浮かべ、それらが映えそうな3本の帯を選ぶ。現場で見てもらった結果、若竹色の帯を使うことに。帯も使い様、腰に巻くだけではないのだ。 ![]() というわけで、ゆるゆるとスタートした新事務所。お披露目できるのにはまだ日数がかかりそうだし出費もかさみそうだ・・・。 ▲
by naomu-cyo
| 2012-04-09 10:22
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2011年 04月 11日
近所の公園の桜の花びら。
![]() ▲
by naomu-cyo
| 2011-04-11 03:40
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2004年 09月 18日
バスで毎度のことだけど爆睡。終点に着いて降りようとしたら、おばあさんに声をかけられた。「バスで眠ったら危ないわよ」。一瞬なんのことかわからず、「ああ、乗り過ごしたら大変ってことですか?」と聞き返す。「違うわよー。バスって案外外人多いのよ。今日なんて半分は外人よ」とおばあさん。「それが何か?」と私。「ほら、物を盗まれたりするでしょ」とおばあさん。
「わざわざご丁寧にどうも」と言ってその場を去ったけど、なんだかむしょうに腹が立った。「おばあさん、あなたは外国人に何かされたことでもあるんですか?」と言ってやればよかった。それに、バスの乗客は毎度のようにお年寄りが半分以上。どこが「半分は外人」なんだ!「外人=悪さをする人」論の根拠はどこさ?・・・こういう考えが蔓延していったら、関東大震災の後に「朝鮮人が井戸に毒をまいた」という噂が広がって虐殺されたような事件が再び起こらないとはかぎらない。・・・どんな国籍の人だって、いい人もいればふつうな人もいるし、悪い人もいるだろう。 ニューヨークに住む友人から先日届いたメールを思い出した。「世界が非難するアメリカって、ホワイトハウス・メイドのアメリカなんだよ。アメリカ人のひとりひとりがイラク攻撃を支持してるわけじゃない」と。http://www.mu-cyo.com/ ▲
by naomu-cyo
| 2004-09-18 02:03
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2004年 07月 04日
またパソコンの前にひっくり返った状態で目が覚めた。あれれ、「スーパーサッカー」観て、ネドベドの負傷退場を残念がっていたはずだけど・・・?
突然バッテリーが切れてしまったかのように眠りに落ちる。起きたときに、なぜこんなところでこうして眠っているのかまるでわからない。ただし、自分んち以外で転がってたってことはないけど。 どこでも眠れるということ。どんな状態でも眠れるということ。これって一種の防衛本能みたいなものなんだろうか。身体を守ろうとする本能が働いて、「今ここで休め」と信号出して眠くさせる。夏でも冬でもこんなだけど、そういえば風邪をまるでひかない。身体のいうこときいてすぐ眠ってしまうからか。 バッテリーが夜の9:00に切れるなんてこともあるんだけど・・・もしかしてただのなまけもの・・・? ▲
by naomu-cyo
| 2004-07-04 08:37
2004年 06月 28日
祖師谷大蔵までの最終バスに乗り遅れた。次のバスは、祖師谷のずっと手前までしか行かない。さて、どうしよう、まあとりあえずその途中までのバスに乗って終点まで行きがてら考えるとするか・・・。というわけで乗り込んだ桜小学校行き。どうしようか思いつかないうちにあっさり終点まで着いてしまった。
歩いて帰ってみよう。距離はけっこうあるけど、ま、何か考えごとでもしながらぼんやり帰ろうと思い、世田谷通りを右に折れて住宅街に入った。 このへんは自転車で何度も走っているから道はわかっている。けれど、なんとなく何か違う気がした。東京農大の裏手から蛙が一斉に鳴くのがきこえてきた。こっちが鳴き声のほうに近づくとぴたっと声が止む。通り過ぎたらまた「げこげこ」の合唱。この住宅街は街頭が少なく、すれ違う人の性別すら判断がしにくい。昔からあるであろう住宅の横の細い道をすぎたとき、その匂いが嗅覚を強く刺激した。それは何度もかいだことのある「くちなし」の匂いだった。見回しても姿が見えない。落ちる寸前の爛熟した匂いはしばらく鼻の奥にとどまった。 自転車に乗ってさっと通り過ぎてしまうと気付かないその場その場に滞留した空気や匂い。いつもと何か違うと感じたのはそれだった。たまにはこうして歩いていくのもいい。暗くて視覚が落ちる分、ほかの感覚が研ぎ澄まされるのがよくわかる。 ▲
by naomu-cyo
| 2004-06-28 05:58
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