「む一ちょ写真日記」:落語
2020-06-08T12:52:58+09:00
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フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。
Excite Blog
意識の進化
http://muucyo.exblog.jp/240371691/
2020-06-08T12:48:00+09:00
2020-06-08T12:52:58+09:00
2020-06-08T12:27:47+09:00
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落語
昔、野田秀樹率いる夢の遊民社の公演が深夜だかにテレビ放送をされたことがあり、ここの舞台を観たことがなかったわたしは楽しみにテレビの前に陣取った。が、そのあとの記憶はない。全くのめり込めないままにおそらく寝落ちしたんじゃなかったか。同じことは落語の収録放映でもお能や歌舞伎の放映でも起きて、ナマモノはやっぱりその場で観ないとダメなんだと痛感した。同じ空間にいて受け取る空気の振動だとか音の響きだとか衣摺れの音だとか、映像になるとそれらが消えてしまっている、と。
そんな経験もあったので落語の動画配信を観ることにあまり気乗りせずにいたのだが、こうまで増えるとどうにか苦手意識を克服したくなる。だから自分なりに理由の分析を試みた。実際に会場でこれらを観るときは、自分の視野自分の視点で観ている。舞台全体が視界に入っていても、主人公の横顔だけクローズアップして観ていたりする。自分の目がその都度望遠レンズにも広角レンズにも変化する、つまり恣意的な観方が可能だ。しかし、映像になってしまうと、映像のカメラはこちらの恣意的な視線には答えてくれないどころか、そのカメラそのものが一つの視点になっており、その視点で観させられているという状況が続く。これがストレスになり、集中できず寝落ちする羽目になる。ナマで観るというのはなんと自由で贅沢なのだろう。
おそらく、わたしの感覚が硬いのだろう。もっと柔軟であったら、ナマと映像の間ですいすいとスイッチを切り替えられるのだろう。仕方なく落語に関しては動画配信の音声だけで楽しんでいたところ、民放深夜で落語の放送があるという。そうそうたる噺家さんが並ぶ。これはとりあえず観てみなくては・・・。
この放送、バラエティー番組の中での落語というスタイルをとっており、司会者が登場する噺家さんを紹介をして進められる。ああ、なるほど。こうなると現場でナマの感じとかいうことを気にしないな、最初からテレビ前の視聴者用に番組として作られているもの。落語の最中のカメラの切り替えや背景装飾の騒がしさは最初気になったけれど、途中で慣れた。落語会というよりも落語ショー感、見せ方のスタイルが別物なのだ。あ、いけるいける、観られる観られる。しかし気を緩めた結果腹ばいになり、深夜であることも手伝って寝落ちした。なにせこの日は朝6時台に起きたのだ、無理もない。
小説を紙で読んでも電子書籍で読んでも音で聴いても小説そのものは変わらない。わたしは紙の手触りも装丁もめくるという行為も好きなので紙で読むのを好む派だが、出版社の有料月刊web配信でいくつかの文学作品を購読している。気になった作品はスクリーンショットをしプリントアウトして手元に置いている。まあ、いつか書籍化すると思うが、手元に欲しい作品はそのとき購入すればいい。このことと落語の放送も同じなのではないかと今回気づいた。向こう側にいる演者と落語は(いい意味で)変わらない。受け手側の手触りの問題なのだ。それはそれ、これはこれ、なのだ。こうであらねばならない、の問題ではない。
とはいえ、配信なり映像なりというのは受け取るこちら側の集中力が寄席などで聴くよりもずっと必要な気がする。モニターなりテレビなりで視界をいっぱいにすることは無理なので、視界に映る別物や手に触れるアレヤコレヤに気が削がれたりする。結果、アウトプットがどうであれ、受け取る側の問題なのだということを痛感したのだった。自分なりの原因がわかって苦手意識は克服できそうだれど、なにセ東京でお安くない家賃を払っているのだ、ナマで聴きに行ける距離なのだもの、ああ、気がねなく寄席に行きたい。新宿や浅草は営業を再開したけれど、まだ行きかねているところなのだ・・・。
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新しい現場、「渋谷らくご」
http://muucyo.exblog.jp/238565060/
2018-06-06T06:27:00+09:00
2018-06-06T06:42:45+09:00
2018-06-06T06:27:32+09:00
naomu-cyo
落語
欧州落語ツアーでお世話になったKさんからある日、ユーロライブでカメラマンを探しているんだけど紹介していいかと問い合わせがあって、トントン拍子に引き受けることが決まった。わたしに引き受けないという選択肢はなかった。これまで面識のなかった芸人さんを撮る機会ができるのはこのうえなくありがたい。客席からも心おきなく撮影できるようにシャッター音がしないミラーレスカメラを導入。いずれ買おうと思っていたものだけれど、今がそのタイミングだろうと踏み切った。想定以上の出費ではあったが、ほかにも活かせる現場があるだろう。
4ヶ月続けてみて、この現場を楽しむ気持ちが増し続けている。語り芸のおもしろさの奥行きを毎度感じ、おもしろくない芸人さんがいない、つまり、登場する人それぞれ何かしらおもしろい。高座のみならず、バックヤードである楽屋もおもしろい。楽屋とスタッフルームとがひと続きなので、躍動感がじかにこちらにも伝わってくる。毎月決まった期間開催される会だしもう何年もそのスタイルで続いているわけだからもっと通常運転気味な雰囲気が漂っていてもおかしくないと思うのだけれど、毎回ものすごい熱量を感じる。芸人さんが日々いろいろなこととたたかっているのが垣間見える。
そこで感じる熱を写真に撮りこめたい。この高座のこの瞬間。噺の中の悲喜こもごも。立ち上ってくるその人のたたずまい、さらに人生。たたかいの記録。6月の渋谷らくごはもうじき開幕。
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「喜多八はみまかりました」
http://muucyo.exblog.jp/22988839/
2016-07-12T06:53:00+09:00
2016-07-12T07:26:57+09:00
2016-07-12T06:53:42+09:00
naomu-cyo
落語
会場からあふれんばかりの人である。存じ上げているお顔がたくさん行き交う。芸人さんのみならず、落語会の主宰さんや客席でお見かけする顔もたくさん。人垣にはばまれて、挨拶するご遺族の姿も小三治師匠の姿も見えず。師匠、まるで高座でマクラをはなすときの軽やかさ。笑いを誘うのだが、そのからっとした口調にむしろ目頭が熱くなる。
献杯後、常日頃お世話になっている方々に挨拶をする。こないだの博多での写真展の前に、喜多八師匠のご遺族に手紙を添えて展示予定の写真を送り、展示許可を仰いだところ、娘さんからお電話をいただいた。展示するのと同じ写真を、ずっと以前の「東京かわら版」での取材後に弟子のろべえさんを通じてお渡ししてあったのだが、遺品の中にその写真が大事にしまわれてあったんだそうな。いい写真だね、と母と話していたところにお手紙いただいたのでびっくりしました。展示、もちろんかまいません。こちらこそありがとうございます・・・そんな言葉をかけていただいた。このことがあったので、娘さんにご挨拶に伺った。直接お顔を見てお礼を伝えられてよかった。
高円寺での展示のときもその写真にはリアクションがとても多く、それはまだ病気の影もまるでない頃の師匠の笑顔の写真なのだった。去年も取材でお逢いしたのだが、びっくりするほどお痩せになっていらして、写真展で展示するにはやや気が引けた。それがリアルな姿かもしれないが、せっかくそれ以前に素敵な瞬間を写せているのだからと、以前の写真のほうを優先した。
師匠がお亡くなりになってから、落語を聴くと喜多八師匠の解釈はこうだったっけなあと思い出して、ああもう聴けないんだった、とさみしくなる。一時期やたら師匠の独演会に行っていたことがあったけれど、いつしか寄席や地域落語会で拝見するというペースに落ち着いた。
ちょっと前に、喜多八師匠と20年来の付き合いでそんな縁からろべえさんの勉強会の席亭を務めているKさんと追悼飲み会をした。そのときにわたしが「5月5日の鈴本で『長短』を聴いたのが喜多八師匠の高座聴き納めになってしまいました」と話したらKさんが、「長短」に取り組み始めた矢先だったのか、とおっしゃった。師匠の「長短」、たしかにこのとき初めてきいたのだった。一回きりになってしまった。あの噺をどう転がしていくのか、その経過を聴いていきたかったけれども。
おしまいに再び小三治師匠が挨拶にお立ちになり、「喜多八はみまかりました。」とまるでひとつの句読点を打つかのように爽やかにおっしゃった。噺家さんの悔やみはどこまでもからりと明るいなあ。師匠の出囃子の生演奏で送られながら会場を後にした。今にも喜多八師匠が現れそうだった。
喜多八師匠、そちらの世界でも稽古をなさっていてください。我ら早かれ遅かれ参ったときに師匠の一席を伺うのを楽しみにしておりますんで。今生でのお勤め、ご苦労さまでありました。
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旅する写真展in博多
http://muucyo.exblog.jp/22946565/
2016-06-28T10:35:00+09:00
2016-06-28T18:20:40+09:00
2016-06-28T10:35:09+09:00
naomu-cyo
落語
旅する写真展。なかなかにいい響き。噺家さんたちの写真とともに、声がかかればどこへでも。実際には当日早い飛行機で福岡空港へ飛び、そのまま地下鉄で博多駅直結の建物内ホールに入り、大慌てで設営。開場10分前に完了してお弁当をいただいて開演、高座撮影をし、師匠方を見送った後お客さんがはけるのを待って撤収、再び地下鉄で空港へ行き、帰京。旅感を味わうことなく戻ってきた。
展示をするというので開場がいつもより早めに設定されており、ロビーではドリンク販売もあった。珈琲片手に写真を眺めるお客さんたちを後方からそっと眺める。きものでいらしている女性がぽつぽつ。老若男女入り交じる。ほのぼのとした雰囲気があるのは博多ならではなのかどうか。東京だとひとり客もけっこういるけれど、こちらはふたり客が多いようだ。ご夫婦でとかそういう感じだろう。
お囃子 恩田えり
かな文 「一目あがり」
さん光 「ん廻し」
権太楼 「猫の災難」
中入り
権太楼 「らくだ」
よく笑うお客さんだった。ホールでの落語会に撮影で入るといつも感じる。こんな大きな舞台の上でひとり、たくさんの観客を相手にするってことのすさまじさたるや。高座に座ればおそらく、多くの人たちの気が一心に自らに注がれるのを感じないわけにはいかないだろう。それを受けて、注視する側になにかしらの心の動きをもよおす役目を果たす。とんでもないことだよなあと思うのだ。噺家さんというのはそういう場を求め続けるわけだから、やはり常人の神経ではないと思う。これが業というやつなんだろうか。
劇場スタッフさんが撤収を手伝ってくれたおかげで、早々に完了した。お礼を述べて会場を後にして空港へ。土産物屋をひやかし喫煙所で一服、あっという間の博多時間だった。展示できてよかった。もちろんやれれば満足というものでもない。もう一歩でも二歩でも進みたい。次回は10月末鹿児島で。]]>
大分県人落語会と落語教育委員会へ
http://muucyo.exblog.jp/22909701/
2016-06-16T03:28:00+09:00
2016-06-16T11:24:19+09:00
2016-06-16T03:28:32+09:00
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落語
きのうは大分県人落語会、今日は落語教育委員会へ。大分県人・・・のほうは被災した大分を応援しようという会で、出演者の噺家さんたちはノーギャラ、木戸銭は被災者支援にまわすとのこと。文治師匠がfacebookでしきりに呼びかけをしていたので、この日逢う予定になっていた友人も誘って出かけた。落語教育委員会のほうは喜多八師匠への追悼の気持ちを込めて久しぶりに観に行った。
6月14日大分県人落語会@日本橋公会堂
じゃんけん「転失気」
緑太 「猿後家」
鳳志 「牛ほめ」
栄馬 「茄子娘」
文治 「寿限無」
中入り
朝也 「やかんなめ」
市馬 「七段目」+俵星玄蕃
栄馬師匠の高座を聴くのは初めて。「茄子娘」を聴いて、扇橋師匠がよくこの噺をかけていたっけなあとしみじみする。とても引いた高座なのに、口調やリズムにおかしみがあふれていて、またそれがご本人の風貌や雰囲気にとても添っていて、聴けてよかったとほくほくする。色紋付の冴え冴えとした青緑色がとてもお似合いだった。
文治師匠はよく軽めの噺をかけていらっしゃるけれど、この師匠がやるとどえらい噺な気がしてくる。「寿限無」が壮大な叙事詩に聴こえてくるから面白い。
朝也さんは来春真打ち昇進が決定し、おそらく今乗りまくっている二つ目さんだと思われる。彼の高座を初めて聴いたとき、声のボリュームが大きいにも関わらず聴いているうちに睡魔に襲われるということが度々あったのだが、ここ3年くらいでがらっと高座が変わった気がする。眠くならなくなったし、前のめりで聴くようになった。先々がものすごく楽しみ。
市馬師匠、ふだんそんなに大きな所作をしない印象だけれど、そこは「七段目」、所作が多い。それを拝見して、なんて鷹揚できれいな所作をする方なのだろうと今更気付いた。ずんとした存在感があるのに、上空にとーんと抜けていくようなそれでいて前にもとーんと伸びてゆくような、そんなすがすがしい軽やかさ。
6月15日落語教育委員会@なかのゼロ
扇遊・歌武蔵・喬太郎各師匠による、人の話(噺)を聴くときは携帯の電源をOFFにしようのコント。
ろべえ 「唖の釣り」
歌武蔵 「五人廻し」
中入り
扇遊 「夢の酒」
喬太郎 「純情日記横浜編」
喜多八師匠が先月17日にお亡くなりになって、今回は扇遊師匠が出演された。わたしが喜多八師匠の高座を最後に拝見したのは5月5日の鈴本演芸場夜席で、「長短」だった。去年金馬師匠の「長短」を拝見して目からウロコの衝撃を受けた。これまで聴いた「長短」はイマイチ面白どころがわからないでいたのだけれど、ようやくたどりつけたような心地だった。喜多八師匠のはやはりほかの「長短」とはまるで違い、金馬師匠のともまた違うのだけれど、とてもしっくりくる「長短」で、取材の折には病気でしんどそうだとお見受けしていたけれど、高座は相変わらずの喜多八節で、ああいいなあと思ったのだった。亡くなってからちょくちょく師匠の高座を思い出す。その日によって思い出す高座は違い、いかにたくさんの喜多八噺が強く印象に残っているかに気付かされ続けている。
芸人さんの追悼は明るい。明るいだけにせつないし喪失感がじわっと迫ってくる。しみじみめそめそするほうがずっとラクチンなんだと思う。「アカルサハ ホロビノ姿デアラウカ」・・・「右大臣実朝」(太宰治)の中の実朝の言葉。何か大きなヒントがこの言葉にはあるとずっと思っているのだけれど、まだ見つからないでいる。喬太郎師匠の「純情日記横浜編」を聴いたら、純度の高さを取り戻したいと強く願う自分に気付いた。師匠方が実にすがすがしく楽しげに高座を勤めていらっしゃるのがありがたかった。
客席で無責任に笑っているのが大好きだ。でも高座もやっぱり撮っていきたい。お客の視点をもちながら高座を撮りたい。最近高座撮影からやや遠のいているのだけれど、長らく続いたなんとなく無気力な心地から脱しつつあるので、気持ちを切り替えてゆかなきゃだ。おそらく、人生は長いようで長くない。ましてや肉体労働、どこまでもつかわからない。さあ、今こそ。
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写真展、よもやま噺、落語愛。
http://muucyo.exblog.jp/22585855/
2016-03-11T00:38:00+09:00
2016-03-11T00:40:33+09:00
2016-03-11T00:38:44+09:00
naomu-cyo
落語
見にきてくれた友人と話していたところに「あなた、これ撮った人?」と尋ねてきたおじさま。「ハイ、武藤です」とこたえると、「ワタシね一朝さんの後輩なのよ、高校の」と話し始める。おじさんが高1のとき、高3の一朝少年は文化祭で落語を披露したんだそうな。「ほかの誰よりもうまくてねー。数年前に高校の同窓会があったときに、一朝さんを呼んで落語をやってもらったのよ」と言いながらおじさま、ミニ写真アルバムを鞄から取り出し、ページをめくり始めた。噺家になった一朝師匠の高座写真と、師匠を取り囲んでの記念写真と、師匠とおじさんの2ショット写真。日々持ち歩くくらい大事にしているんだなあ。師匠にしてみたら数ある過去の高座のひとつ、なのかもしれないけれど、おじさんにとっては一生もんのとっておきなのだ。
ギャラリー横の座・高円寺2でドキュメンタリー映画の上映があった日。すらりとしたおじさまの目的は映画鑑賞のようだが、立ち止まってじっくり写真を見ていらした。振り返るとわたしが撮影者であることを確認してから、「一朝さんと小柳枝さんの高座の出の姿を今度じっくり見てよ。なんともいいんだ、謙虚さがにじみ出ているんだ」と嬉々として教えてくださった。
ある雨の日の夜。フロアの腰掛けに座って「行けるかも」とメールをくれた友人を待っていると、若いカップルがやってきた。後ろからこっそり観察していると、彼は彼女に向かって師匠方の高座について熱く語っている。そこで挙げられる名前から、どうやらこのカップルは寄席好きだと想像できる。彼は殊更に金馬師匠に強い反応を示し、彼女のほうは喜多八師匠かっこいいときゃあきゃあしている。何度も行ったり来たりしながら眺めているその後ろ姿を眺めていたら、やたら嬉しくなった。結局友人はこの日は来られなかったのだけど、声はかけなかったまでも落語愛あふるるカップルに出逢えてあったかい気持ちに。
若い女子数名がかたまって「きゃあ、喬太郎ー!」と、喬太郎師匠サンタ写真の前で黄色い声。ふふふ、その反応を待ってました。その写真は撮ったわたしでさえもきゅんきゅんしてしまう1枚なの。「いなせなサンタで」とお伝えしたら見せてくださったポーズと表情。隠れポイントはサンタ服なのに靴下がふつうのだってところなのよ。
扇橋師匠と小三治師匠のにっこり見合っている2ショット写真。背景の壁にかかっている絵には女性の上半身裸が描かれている。この写真の展示許可をいただくために小三治師匠の事務所にこの写真を送ったところ、マネージャーさんからお電話をいただき、「師匠がこの写真を欲しいって言ってます。後ろの絵のおっぱい見てふたりしてにやついているみたいだ、って話してますよ」と教えていただいた。そんな2ショット写真を携帯カメラでうんと寄って撮ろうとしているご婦人がいらしたので、さすがにこれは止めたほうがよかろうと思い、「そこまで寄って撮るのは肖像権の問題とかあるので控えてもらえますか」と声をかけたところ、「思い出に、と思ったのよー」と後ろにさがって全体ならいいわよねとご婦人。思い出に・・・同じ時代を生きててよかったって思いますものね、と心の中で思う。
やはりある日、フロアの腰掛けに座っていたら、座・高円寺スタッフさんが登場。「事務局に、武藤さんにツイッターでメッセージ送ったんだけれど返事がこない、と電話がありまして」とやや戸惑い気味。メッセージを確認すると届いていた。金馬師匠の大ファンという方からで、今回の展示に師匠の写真は出ているかどうか確認したい旨したためてあった。後期に、だいぶ以前の取材時の写真を展示してます、と返信すると、ウェブサイトで宣伝させていただきますわたしも必ず見に伺いますとの返事。師匠の大ファンでウェブサイトまで開設しているらしい。ファンの力ってすごいなあと感心した。
会場に置いておいたメッセージノートには、「昇太師匠の写真、エロい!かっこいい!」なんてコメントもあって、見にいらした落語ファンの方たちの生の声がとても楽しく、それに触れるたびに見ていただいたことがほんとにありがたいという気持ちでいっぱいになった。写真を選ぶとき1枚を選ぶのは困難を伴いたくさん迷いもしたけれど、その結果の1枚に感想を寄せていただくのはやはり嬉しい。それぞれの落語愛に触れ、わたしの中の落語愛も大いに刺激されたのだった。]]>
写真展、無事終了。
http://muucyo.exblog.jp/22578467/
2016-03-09T10:23:00+09:00
2016-03-10T03:36:42+09:00
2016-03-09T10:23:59+09:00
naomu-cyo
落語
* * * * *
前回の展示もひと月間だったけれど今回のほうが長く感じたのはおそらく開場時間の長さゆえだろう。9時から22時まではさすがに長い。どのタイミングで会場にいればたくさんの人に逢えるか、結局しまいまで読めなかった。撮影続きだったので、終わって夕方以降に顔を出し3時間くらい様子見して事務所に戻ってデスクワークするか、見にきた人とそのまま飲みに行くかの日々を送った。
展示中のあれこれは改めて書き記すとして。今回の展示は「落語」「東京かわら版」というキーワードのおかげで、ふだんの展示よりも不特定多数の方に見ていただき、感想をいただいた。11年分の「東京かわら版」での写真たちを前後期合わせて約70枚に絞るのはけっこう困難だったし、展示ぎりぎりまでヒヤヒヤしたけれど、及第点とれるくらいにはまとめられたかなあと思う。
たくさんいただいた言葉の中でわたしの涙腺を決壊させたのは、高野ひろしさんの言葉だ。
「東京かわら版のステキな写真でお馴染みのむ〜ちょ武藤さんの展覧会、最終日の昨日、ギリギリに駆け込んで間に合った! いちいち額装しないでズラリ見せてくれるのが、いかにもフランクなむ〜ちょさんらしいね。
あした順子ひろしさんの写真に釘付けになった。ひろしさんがさ、とってもいい顔してるんだ。僕は辛うじて順子さんに首投げされるひろしさんに間に合っている。『笑芸人』って雑誌で「芸人の住む街」という連載をしてた時、ひろしさんちの前を通った。外壁が真っ黒な家だったな。やっぱ暗い人なんだろうか?って思ったんだけど、む〜ちょさんの写真見てホッとした。
む〜ちょさんが撮る写真は優しい。一瞬の隙を突くな〜んてことはしないんだ。柔らかく穏やかな顔ばかりがズラリと並んでた。つまり武藤さんは無糖じゃなくて、写真に上品な甘みを加える人ってことさ」
とご自身のfacebookページで紹介してくださった。
コメント欄に「見にいらした画家さんには『これからはその人が生来もっているさびしさとか侘しさも切り撮れるようになっていくといいね』との言葉をいただきました。味わいのある、ご本人をほわっと思い出せる、そんな写真を撮り続けたいなあと思います」と書き込んだところ、高野さんは、「落語も色物も僕らを気持ちよくしてくれる芸能です。クールな目で裏の裏まで見透かすような写真もあれば、その高座を見ていないのに上機嫌にしてくれる写真もあります。む〜ちょさんには心地よい写真を撮って貰いたい、そう思うんです」とお返事をくださり、それを読んだら一気に涙が止まらなくなり、撤収終わって事務所でデスクワークをしながらだーだー泣いた。常日頃寄席などで「やっぱり落語はいいなあ」とほくほくした気持ちでいっぱいになるのだが、その気持ちのままにこの師匠のこの表情、見てもらいたいなあという写真を選んだら、朗らかな写真だらけになった。その結果いただいた言葉。
後白河法皇が編んだ「梁塵秘抄」の中の「遊びをせんとや生まれけむ」をもじって付けた今回の展示タイトル。演者と観客の幸福な落語時間を想う。観客が写っているわけではないけれど、演者の前にはたくさんの観客がいる。12月末に談笑師匠の一門会に伺ったとき、階段状の客席の端っこから高座を見た。わたしの視界には手前の客席に座る人たちの横顔も入っていて、みんな頬が緩んで口角が上がり、あったかい表情で高座を見ていた。それはとても幸福な光景で、すごく印象に残った。そういうことも今回の展示に込めたかった。
お礼ハガキの手配も済んだし、それをしたためながら展示を振り返り次に繋げていきたいと思う。やることはたくさんある。まだまだ。ほんの序の口。]]>
写真展「噺をせんとや生まれけむ」、あと一週間。
http://muucyo.exblog.jp/22538161/
2016-02-29T07:36:00+09:00
2016-02-29T07:37:08+09:00
2016-02-29T07:36:20+09:00
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落語
武藤奈緒美写真展「噺をせんとや生まれけむ」
後期日程 2月16日(火)〜 3月6日(日)9:00~22:00
@座・高円寺 B2F Galleryアソビバ JR中央線高円寺駅北口下車徒歩5分
演芸誌「東京かわら版」でこの11年間に撮る機会をいただいた師匠方の写真が並びます。
開館時間が長いこともあり常駐はしておりませんが、合間をみてちょいちょい会場に行く予定であります。 今週は4日以外は会場に顔を出せそうです。日中は撮影が入っているので、夕方以降2時間程滞在予定です。ぼーっと珈琲飲んでいたりするので、見かけたらお声かけくださいませ。
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まさかのプリンターお陀仏〜絶賛写真展準備中〜
http://muucyo.exblog.jp/22291261/
2016-01-27T02:15:00+09:00
2016-01-27T02:15:53+09:00
2016-01-27T02:15:07+09:00
naomu-cyo
落語
SOSを三方向に放つ。ひとりは新品同様のこのプリンターを譲ってくれた御仁。某プリンターメーカーの方と仕事上の付き合いがあり懇意にしているご様子だったので、その人脈にすがって速やかに修理できないものだろうかと泣きつくと、ご本人が修理対応できるからということで、早速夕方見にきてくださった。あれやこれや試すもお手上げ。メーカーの方に連絡をとってみますとのこと。
あとのふたりはともに同業女子。ひとりは以前もプリントでお世話になったMちゃん、もうひとりは事務所からそう遠くないところに住んでいるEさん。プリントの枚数が多いことや近距離なこともあり、Eさんの「プリンター取りにおいでよ、丸ごと貸すよ」の言葉にすがった。型番も同じ系統なので借りてきてすぐに使えた。
幸い協力してくれる人たちがいたから大事にはいたらずに済みそう。でもここはもっとてんぱってもおかしくないところ。にもかかわらず、わたしはなんだかとても楽しんでしまっている。いざとなれば必要経費だ新調すればいい、徹夜も厭わず、と思っていることも大きい。どんなに小規模の展示でも出費はそれ相応ある。今回もちょっと高めの用紙を使うので、印画紙代だけでぎょっとするような値段になった。それからDM代、切手代、デザイン代、インク代・・・。場所代がかからないのが救い。販売可能な展示じゃないから、全部持ち出し。でもふだんコンスタントに営業活動をしていないから、数年に一度の写真展はある意味営業なわけで、そこでかかる経費はこれつまり宣伝費用なのだ。しゃあないと腹をくくり、出費の嵐に吹かれまくる。
ふだんは素朴な生活に親しんでいるので、こういうときには潔く使う。生きたお金の使い方をする・・・ちょっと、いや、けっこう強がり入っているけれども・・・。写真展の楽しみは、慌ただしい準備期間の後にたくさんの人に逢えることだ。来てくれた人たちに、わたし自身が楽しみながら展示写真を選んでいた気持ちが伝わるといいな。
武藤奈緒美写真展「噺をせんとや生まれけむ」
2月2日(火)〜 3月6日(日)9:00~22:00
(前半は14日まで、後半は16日〜3月6日まで。2月15日は休み)
@座・高円寺 B2F Galleryアソビバ JR中央線高円寺駅北口下車徒歩5分
演芸誌「東京かわら版」でこの11年間に撮る機会をいただいた師匠方の写真が並びます。
2月5日〜14日まで開催される第6回高円寺演芸まつりの関連展示です。
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年末見納め聞き納め備忘録、その2。
http://muucyo.exblog.jp/22025596/
2015-12-30T11:06:00+09:00
2015-12-30T11:19:52+09:00
2015-12-30T11:06:29+09:00
naomu-cyo
落語
柳家小三治独演会、柳家権太楼一門の暮れの会、立川談笑一門会、映画「ハッピーエンドの選び方」上映+柳家三三師匠のトーク&落語会、道楽亭での落語会・・・とみっちり。行く先々で師匠方から来年2月の東京かわら版写真展での写真展示許可を取り付ける。皆さん快く応じてくださった。
小三治師匠の高座を拝見するのは随分久しぶり。お元気そうで何よりだ。自由だなあって毎度感じることをこのたびも感じた。実際のところはわからないけれど、風が吹くままその日の心の向かうままに高座をつとめていらっしゃるように見える。「初天神」を聴きながら気付いたのは、登場するきん坊やその父親の年の頃を匂わすような表現を特にしていないということ。大きく描いて細部はおのおのの想像力に預けるかのよう。きっとこれまでもそうだったんだろうけど、ようやくそこに気付いた。枝葉を取り除いて幹だけになったみたいな「初天神」、これで十分わかるし面白いのだ。
暮れの会。甚語楼師匠「松曵き」、権太楼師匠「強情灸」「二番煎じ」「芝浜」。甚語楼師匠の高座をちょいちょい聴いている。毎度毎度大満足、素晴らしく面白かったとほくほくする。もっともっと注目されてもいいんじゃないの、と生意気ながらも思う噺家さんのひとり。以前聴いた甚語楼師匠の「佃祭」は今でも記憶に残る高座のひとつ。
談笑師匠の一門会も久しぶりだ。あったかいなあって感じる一門会、大いに笑う。師匠がお弟子さんの成長を望み面白がっている様子が伝わってくる。師匠の前で萎縮するのではなく思いきり高座を楽しんでいるお弟子さんの様子もいい。師匠と弟子とで一門という枠を取っ払い噺家同士として落語界の中で切磋琢磨しているのが強く感じられる。途中、高座を見つめるお客さんの横顔がみんなほんわかと笑っているのに気付いて、間に合わないかもってあきらめずに足を運んでよかったって思った。それにしてもお弟子さんの吉笑さんと笑二さんにものすごい伸びしろを感じる。
今年の落語聴き納めのつもりで行った道楽亭での会。トリの二つ目さんの「文七元結」に憤りを憶えた。時間がないからダイジェストでと断って始まったのだけれど、ダイジェストでもなんでもない、「文七元結」がきいて呆れるような内容で、ちょいちょい入るくすぐりで笑っているお客さんもいるにはいたけれど、わたしはそこに全く乗れず、これが聴き納めかと思うと悔しく、なんとか時間を作って聴き納め直したいと思ったけれど、時間的に難しく。ああ、やりきれない。この二つ目さんの高座は8年程前に初めて聴いたときの「長屋の花見」がいちばんよかった。今回久しぶりに聴いたけど、いくら小規模な会だからってそれはないでしょうに。珍しく、行かなきゃよかったと後悔。
今年はぱちのことがあって、夏以降娯楽を楽しむ状況にも心境にもなかった。ここにきてようやく心が落語を欲し出し、駆け込むようにして聴きにいった。いいな、やっぱり落語はいいな。大仰なことがなくて、こっちも大仰にかまえないで、ふらっと楽しい。ちょいとそこまで、ってな感覚で噺の世界に遊びにいき、ふわっと戻ってこられる。この軽みがいい。高座撮影も楽しいけれど、客席でけらけら笑うのもやっぱり楽しいや。笑った後の帰り道、徐々にひっそりした気分が戻ってきてしまうのだけれど、笑った余韻がほのかに宿ったまま、泣いているばっかりだった家での時間を少しずつ変化させていく。
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煙草=コミュニケーション・ツールの実践
http://muucyo.exblog.jp/21706506/
2015-10-05T00:56:00+09:00
2015-10-05T01:07:22+09:00
2015-10-04T11:22:27+09:00
naomu-cyo
落語
過日、落語協会3階で「東京かわら版」の取材撮影。8年ほど前にも一度巻頭に登場したことのある師匠で、前回は煙草を吸っている写真も掲載された。煙草をお吸いになる姿が殊更にさまになる師匠で、わたしの中では落語界のクラーク・ゲーブルだ。
「かたくならずにざっくばらんに行きましょうや」と椅子に腰掛けるや、「煙草は吸うの?」と編集Kさんに尋ねる師匠。彼は吸わない人なので、代わりに「わたしが持ってます」と差し出すと、メンソールかあ女の人はメンソール好きだよなとおっしゃいながらお財布から60円を出して「ハイ、これ煙草賃。シャレだよ、シャレ。よく前座にやるんだ」と言って一本取り出し火をおつけになった。これでわたしのほうの気持ちがだいぶほぐれた。師匠がこのノリならあれこれお願いしても大丈夫だろう・・・。
取材途中で「やっぱりメンソールじゃないのがいいな。武藤さんが好きなの買っていらっしゃい。それもらうから」と千円札をお出しになる、「おつりは戻すんだよ」と笑いながら。小走りで買いに出かける。煙草を抜き取るときの師匠のえへへっていう笑顔、いたずらがばれた少年のようだ。「医者に止められてるんだよ」とおっしゃいながら「いやあ、(煙草が)進むなあ」と今気付いたかのようにおっしゃる。いろんな師匠の煙草を吸う姿を見てきたけれど、この師匠の煙草とともにある空気はなんだか落語の登場人物みたいだ。長旅の途中、茶屋であるいは六郷の渡しの土手で腰をおろして一服つけているみたいな。せかせかしたところのない大らかな、煙草を吸っていることさえ忘れてしまっている忘我の境地のような・・・そんな喫煙図。
落語に関する師匠の思うところをたくさん伺った。こちらも思いつくままに質問を投げかけた。カメラマンとして関わっているくせに、すっかりまぎれこんでた。これも煙草のやりとりがもたらした間合いな気がする。煙草を渡しながら一歩近寄ってみたらそこには8年前と変わらぬ落語熱や気概が充満していた。渡しておきながらなんだけど、医者に止められている煙草をちょっと控えつつ、どうかこれから先も末永く高座に上がり続けていて欲しい。
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GARAGE SALEと扇橋師匠こぼれ話
http://muucyo.exblog.jp/21455843/
2015-07-17T11:07:00+09:00
2015-07-17T11:12:53+09:00
2015-07-17T11:07:29+09:00
naomu-cyo
落語
初日、オープンから1時間後に会場到着。外は台風接近の影響で強い雨が降ったり止んだりの危うい天候。にも関わらず、会場になっている「間・Kosumi」は盛況で、熱気がものすごかった。
ちょうどほこりよけの布を探していた。今使っているものは冬物の素材で目に暑苦しい。何か涼しげなもの・・・と手当たり次第に探していたら、綿麻の白生地、ちょうどいい寸法のを見つけた。ほかに縞模様の布を2枚手に取りそちこち眺め回していたらふっと見つけた、小鹿田焼のとっくり!いかにも小鹿田焼な柄ゆき。もちろん、これは買いである。我が家にはひとめ惚れした琉球もののおちょこがふたつあるのだが、とっくりがなかったし。民藝タックできっと親和性があるだろうと想像して。
けろ企画さんと橙灯さんに挨拶をしたら、こないだこの日記にコメントを寄せてくださった方も会場にいらして、そこから扇橋師匠に関するわたしの日記を読んだこと、会場オーナーが扇橋師匠の隣人さんであることを教えられ、びっくりした。通夜告別式にも行ってらしたんだそうで、そこでひとしきり生前の師匠の思い出話を伺った。「師匠、珈琲がお好きで、よく、『るーちゃん、珈琲入ったよー』と声がかかって、飲みに伺ったのよ。写真を撮るのもお好きで、うちの息子も随分撮ってもらってかわいがってもらったわ。下のうどん屋さんに小三治さんがナナハンで乗り付けて、扇橋さんとよくうどん食べていたのよ」・・・なんと、なんとなんと!噺家さんや演芸関係者による思い出話は伺う機会があるけれど、隣人さんから伺うなんて滅多にないわけで、すっかり興奮してしまった。町内の人と交流しながらふつうに暮らして高座に上がっていらっしゃったのだなあと。当たり前のことだけど、そういう日々のことも師匠の高座を作る要素のひとつだったんだろうなと思い返されて、この偶然の出逢いを嬉しく思いつつしんみりともした。
このGARAGE SALEは明日18日まで。熱い会場で橙灯さんのアイスコーヒーを堪能するもよし。
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扇橋師匠のお通夜へ
http://muucyo.exblog.jp/21448971/
2015-07-15T10:20:00+09:00
2015-07-15T10:21:02+09:00
2015-07-15T10:20:07+09:00
naomu-cyo
落語
扇橋師匠の写真はありますか、あったら見せて欲しい、こちらにも何枚かあるから必ずしも使うかどうかはわからないのだけれど、と申し訳なさそうにおっしゃるので、東京かわら版の取材でお撮りしたものが何枚かあります、高座とインタビューの写真をそれぞれご用意します、とお返事して電話を切った。
撮影と打ち合わせを終え、事務所に戻る。あの取材はいつだったっけと調べたら2011年4月下旬の日付だった。4年も前のことだけど情景をわりとはっきり記憶しているのは、やはり写真を撮ったからだろう。インタビュアーの質問に即答するというんではなく、ご自身の間合いで・・・たとえば煙草の煙を吸い込んでゆっくりはき出して灰をとんとんと落とした後に答えるみたいな・・・お話しになる、そんなゆったりとしたインタビューだった。これが好きでね、とおっしゃって店の看板メニュー「楽屋もち」をお食べになったっけ。
お撮りした写真の中から2枚を選ぶ。高座はこっち、インタビューはこっち。ほかにも何枚かあるけれど、この2枚がわたしの記憶に強く残る扇橋師匠のお姿だ・・・と思ってそれを扇辰師匠に送ったら再び電話があった。、お手数おかけしました、ありがとうございます。むーちょ、ちょっと話してもいい?実はね、どっから見っけてきたのか、「この写真がいいね」ってみんなが言う写真があったのよ、でも撮ったのが誰だかわからなくて、それで別な写真にって話していたんだけど、むーちょから届いた写真を見てこれだよこの写真、この煙草を吸っている写真だよ、ってなったんだ。これを使わせてもらいます、ありがとう・・・そう伝えられた。なんてカメラマン冥利に尽きることだろう。
昨夜お通夜に伺った。お焼香が始まる前で斎場は偲ぶ人たちでごった返していた。扇辰師匠をお見かけしたので挨拶をしたら、わざわざ祭壇が見えるところまで案内してくださって、見て見てほらあそこに師匠の写真が。おかげさまです、ありがとうございます、と丁重にお礼をおっしゃられた。いえいえこちらこそ、お声かけいただきありがたいことですと伝え、お焼香に並んだ。後ろに並んでいらした方が遺影を見て、「あ、扇橋さん、煙草吸ってる。懐かしい」とおっしゃった。この遺影を見た人が記憶の中の師匠といつでも結びつくといいな。扇橋師匠、ほんとうにお疲れさまでした。そしてこのたびのご縁、ありがとうございました。
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ふたつの訃報。
http://muucyo.exblog.jp/21437959/
2015-07-12T02:50:00+09:00
2015-07-14T10:09:08+09:00
2015-07-12T02:50:06+09:00
naomu-cyo
落語
「幻の漂泊民・サンカ」が初見で、「日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能」(ともに文春文庫)、「『悪所』の民俗誌 色町・芝居町のトポロジー」「旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世」(ともに文春新書)、「辺界の輝き 日本文化の深層をゆく」(五木寛之共著 岩波書店)と読み継いだ。漫画「花の慶次」を読んで「漂白の民」という存在が気になり出し、民俗学関係のそのテの本を探るうちに沖浦氏の作品にいきあたったと記憶している。どこで見たのか失念したが軽快に飛田新地を歩く氏の写真を見たことがある。文体は明るく内容は読みやすく、こちらの好奇心をかき立てるような作品ばかりだった。点でしか知り得てなかったことが、氏の作品を読んだおかげで線で繋がったことも多い。歴史の檜舞台に登場しない大多数の民衆に宿る文化の面白さもたくさん教えてもらった。
そして、入船亭扇橋師匠が亡くなった。享年84歳。
落語を聴くようになって11年、寄席に行くと扇橋師匠の高座に出くわす機会がたびたびあった。ふわふわっとした軽い口調で何度も聴いた「弥次郎」や「道具屋」。「茄子娘」は師匠の高座で初めて聴いた。師匠の高座を聴くと、寄席っていいなあと感じたものだった。渋い色目のきものの袖からちらりと赤い襦袢が見えるといつもどきっとした。「東京かわら版」の取材でも二度お目にかかっており、最初は小三治師匠との対談、二度目は新宿末廣亭裏にある喫茶店「楽屋」での単独インタビュー。おもちを食べのんびりと煙草を吸い、島倉千代子さんからいただいたジャンパーをお召しになっていらしたっけ。高座のみならずインタビューのときでも、ご自身の間や空気をまとって端然としてらした。独特の、無類の、師匠だった。
世間の人が60そこそこで引退する中にあって、ご自身の生業からの引退と生を終えることとがイコールという、ある種特殊な世界に生きていらしたおふたり。自営業であるわたしからすれば、おふたりの生きようは心底羨ましい。その生業を続けていける腕と場とがあったということだもの。もう作品が増えていかなかったり高座を拝見できなくなったりするのがさみしい。ご冥福をお祈りします。
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祝!「東京かわら版」500号記念落語会@よみうりホール
http://muucyo.exblog.jp/21297291/
2015-06-01T14:54:00+09:00
2015-06-01T14:55:14+09:00
2015-06-01T14:54:35+09:00
naomu-cyo
落語
記念の会だしお客さん参加型の企画をということで、すっかり定番となった12月号の表紙のサンタ役をお客さん投票で決定しようという話に。言い出しっぺなこともあり、わたし自らサンタ服に身を包み、投票用紙を受け取る役を勤める。ほんとはずらーっと過去写真を並べるつもりでいたけれど、準備が全然間に合わなかったので、埋め合わせ提案でもあった。過去のサンタ師匠方と出演される師匠方の過去写真の中から未掲載のもの10点だけの展示。会場がでかいとA4写真はやはり小さかった・・・。
笑二 「弥次郎 沖縄編」
一之輔 「館林」
談笑 「粗忽の釘」
中入り
兼好 「宮戸川」
ナイツ 漫才
喬太郎 「歌う井戸の茶碗」
舞台袖で高座撮影しつついちばん強く印象に残ったのが談笑師匠の二番弟子、笑二さんの高座。ほら吹き弥次郎があることないこと隠居さんに話してきかせるという噺で、元の噺では北海道では雨が凍るとか火事が凍るとかのべつまくなしにほらを吹く。笑二さん、ご自身が沖縄出身であるところから設定を沖縄にして、きわどい沖縄の問題を織り交ぜ実に絶妙に笑いに転化していく。
少し前に新聞だったかで沖縄の芸人さん(コンビだったかピン芸人だったかはうろ覚え)の話が取り上げられていて、あえて沖縄の問題をネタにすることで笑ってもらいたい、笑ってもらうことがこの問題に対して考えてもらうきっかけになれば、というインタビューを読んだ。笑二さんの高座でそのことを思い出した。開口一番で出てきて客席から大きな笑い声が何度も上がった。撮りながら、何度もすごい!と思った。タブーのような話題が笑二さんにかかると笑いになっちゃう。すごいもん見せていただいた。開口一番が受けまくった後に出ていらした一之輔師匠がちょっとやりづらそうに見えたのは気のせいか。
当代の人気噺家さんそろい踏みでハレ感たっぷり。次は600回記念落語会を大いに期待してしまうね。
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