「む一ちょ写真日記」:お仕事
2020-06-28T23:05:14+09:00
naomu-cyo
フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。
Excite Blog
松山行き
http://muucyo.exblog.jp/240416449/
2020-06-28T10:29:00+09:00
2020-06-28T23:05:14+09:00
2020-06-28T09:38:50+09:00
naomu-cyo
お仕事
松山にはSNSでやりとりをしている同業者が居る。自粛期間中に何の気なしに作ってみた自前ポストカードを使った栞が思いの外いい出来だったので、instagramに「欲しい人、送ります」と栞写真を投稿したら、松山のMさんから名前と送り先を記したメッセージが届いた。栞三点と手紙を書いて送ると、届きましたの連絡。松山出張の際には連絡しますね、叶うよう念じておきますと返事をし、そのやりとりからふた月も経たないうちに決まった松山行き。へえええー、こんなこともあるんだ、念が通じるのが早い!と驚いた。しかも、今回は前泊して取材ふたつ、2泊3日の滞在。時間に余裕がある。前泊日は早く現地に赴くことにした。
この案件は遠出がほとんどで、せっかく遠出したのだから宿泊代は自腹を切って軽く観光でもして来ればいいものを、いつも慌ただしくしてしまいとんぼ返りが常だった。初めての宮崎行きも高知行きも、覚えているのは帰りに自分用に買った現地の食べ物(宮崎では国産ゴマ、高知では絶品芋ケンピ)だけで、街の雰囲気や風景をろくに覚えていない。納品が溜まっているとか翌日が撮影だとかで、毎回もったいないなと思いつつも、仕事の出張なんだしと割り切ってきた。この度のコロナ禍で遠出が制限されてみると、そんな慌ただしい遠出すらも恋しくなる。再び移動が叶うようになったら、遠出案件を存分に味わおう、そのくらいの気持ちや時間の余裕を持てるように変化していきたい・・・そう思っていたところだった。
前泊する日は天気が良く、フライト中は窓に張り付いて空からの景色を楽しんだ。ここ数年頭の片隅でずっと意識している琵琶湖を眼下に眺めうっとりし、瀬戸内の島々が見えてくると源平合戦屋島の戦いを想像した。地上から国土の形や川の線を確認するのが好きなのだ。加えて3か月ぶりの遠出である、いちいちが嬉しいやらありがたいやらで染み入るのだ。
そうするうちに松山空港に到着。リムジンバスで市内まではすぐで、チェックインしてひと息つく。Mさんと待ち合わせして、自己紹介もそこそこに、松山城を見上げる公園に連れて行ってもらった。SNSマジックとでも呼ぶのだろうか、お互いをよく知っているような気になるこの感じ。同業者であることも大いに影響しているんだろうけれど(そしてわたし自身が人づきあいにおいて大雑把であることも・・・)、変に気をまわしたり相手の出方を伺ったりが全くなく、ほんとにすっと会話に入った。それからずっと、お別れするまでしゃべり続けた。現地のお仕事事情、Mさんの家族の話、写真を撮ることについて・・・写真を撮ることそのものについてこんなふうに大真面目に話したのなんていつぶりだろう。久しぶりすぎて、まるで初めてのことであるかのように粟立つような心持ちになった。濁っていかないように澱まないように、こうして時々口の端に載せることは必要なのかもしれない。Mさんとその肩越しに広がる緑の多い風景を眺めながら、おそらくわたしは自分にとってポートレイトを撮るということについて再確認していた。
翌日と翌々日の取材撮影は順調に済み、帰京の便はいちばん遅いのを予約していたので、取材後に足を伸ばして内子の町に行ってみた。かねてより来てみたかった内子座は見物者が他になく、独り占めだ。ほうぼう写真を撮りまくり、あちこちの客席に座って舞台を想像した。建物があることで往時の隆盛を想像できるというもの。遺してくれてありがとう、である。思わず勢いで内子町の図録三冊を購入し、自宅に送ってもらうようお願いした。置かれていた見本誌をめくってみたらたまらず欲しくなってしまったのだ。「文化」「民俗」「歴史」に分けられた三冊はそれぞれが結構なボリュームだ。さてわたしは何処に行きたいんだろうね、何処を目指しているんだろうね、とひとりでにおかしくなった。
そのまま時間いっぱいまで内子の町を散策したいのは山々だったが、土砂降りが続いていた。電車が止まるなんてことが起きたら面倒である。仕方がない、町歩きは次回に残しておこうと、内子座をたっぷり見学するにとどめ、帰京した。
久しぶりの遠出仕事を通して、ちょっとしたことなんだよね、ちょっとした意識の変化で手ざわりが全く違ってくるんだよね、と確認する。今ならこれまでと違う手ざわりが得られそうなんだ、だから粘ろうと思う。今の年齢でフリーランスのフォトグラファーという立場はこれからしんどくなっていく気がしているけれど、それでもできるだけ粘ってみようと思うのだ。
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afterコロナに向けて
http://muucyo.exblog.jp/240257133/
2020-04-21T01:29:00+09:00
2020-04-21T01:32:46+09:00
2020-04-21T00:43:09+09:00
naomu-cyo
お仕事
このいきなり出現した時間を、過去の写真の整理、先々の営業のためのファイル作り、ほったらかしのウェブサイトの更新等々にあてればいいことは重々承知だが、なかなかそっち方面に触手が伸びてゆかない。これまで、過去でもなく未来でもなく「今」ばかりに気持ちを置いてきた。それは自分にとって「今」と向き合っているのがいちばん楽チンだからにほかならない。そして現状、「今」をとても持て余している。
先日、時々お世話になっている編集者さんと仕事のメールをやり取りした際に、時間ができたのであれこれ企画を考えていますとさりげなく伝えたところ、5月に別部署に異動になるけれどそれまでだったら企画受け付けられますよ、と返事をもらっていた。今朝、もう20日なのか・・・と日付を認識した瞬間にそのことを思い出した。大型連休のことを考えると今週中に提出しなければ間に合わないだろう。今週は・・・半ば以降に撮影が2つ入っている。ならば今日まとめようと思い立ち、午後から企画を練った。
もともと考えていた企画は、コロナが落ち着かないとまず実現不可能で、でもこれが彼女の関わる旅絡みの媒体でいちばん叶えたい内容。これは外さない。そして新たに考えた企画はコロナが下火にならなかった場合を想定した内容。コロナ下にあって旅をイメージするには何ができるかを考えた。無理くりひねり出したと言っていい。それが2案。夕方遅くに3案をメールに添付して送った。本日の仕事、これにておしまい。
通るかどうかはわからない。そもそも企画出しを意識するようになったのがほんの去年のことだから、企画書としての体を成していないかもしれないし不足だらけかもしれない。それでも出していかねばならない。afterコロナの先にはフリーランスの諸先輩方が口々に言う「50の壁」が立ちはだかっている。これに阻まれることなく仕事をし続けていくためには、待っているだけではあかんのだ。焦って、あがいて、学んで、自覚して、自分はこんなことがやってみたいんです、撮ってみたいんですと訴えて、それでもその先の扉が開くかは未知数だ。考えるだに怖いことだが、だからこそやれることはやっていかねばなるまい。そして過去もやっぱり見つめないといけないだろう。
コロナによる不全状態がどれくらい続くかわからない。希望を自分の中で維持できるようこの期間を実りあるものにしたい。まだ間に合うよ。
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しごとのありがたみ
http://muucyo.exblog.jp/240247834/
2020-04-16T13:06:00+09:00
2020-04-16T15:25:45+09:00
2020-04-16T13:06:53+09:00
naomu-cyo
お仕事
3月後半以降、取材の中止と延期の嵐、月変わって4月は実に寒々しいスケジュールになっている。元々の予定を修正液で消して・・・という作業がぐんと減った。動きが止まっているからもう修正のしようがない。
一方、外出自粛や休業要請が出ても、なくならない案件がある。メディアに顔を出すことが仕事であり宣伝になる方々の取材は規模を最小限にして決行された。
先週、いとうせいこう氏との共著「自由というサプリ 続・ラブという薬」(リトルモア)を上梓された精神科医・星野概念氏の取材があった。去年1月、仕事仲間・小野民さんがインタビュー執筆を担当した記事で前書「ラブという薬」を知り、心穏やかに暮らすための一助となるような本だぞとありがたく感じていたので、この取材依頼が某新聞社の記者・Sさんからもたらされたとき、嬉しくて思わず声が上ずってしまった。状況が状況だから余計に。
概念先生はいわゆる「医者」という職業から思い浮かべるビジュアルとはいい意味で程遠く(素敵なメガネ男子!)、この日は白衣ではなく私服だったことも手伝ってか気さくな雰囲気で、薄いカーテン越しに日射しが差し込む先生の周りは不思議とクリーム色がかって見えて、世間のピリピリムードとは別世界の趣きがあった。途中落語が好きだという流れからSさんが「武藤さんは東京かわら版などで落語家さんの写真をよく撮っているんですよ」と紹介してくれたのがきっかけでわたしまで話に参加し出し、先生の雰囲気、Sさんのスマートな話運び、落語自体がもつコミュニケーション能力のおかげですっかり打ち解けてしまった。わたしはわたしなりに最近の状況に心が強張っていたのだと思う。いつまででも話を聴いていたかった。
きのうは落語家・春風亭昇太師匠の取材があった。カード会員誌のお城特集の取材で、以前師匠の独演会に行った際にサイン入りのご著書「城あるきのススメ」(小学館)を購入し、並々ではない師匠の中世城郭愛に触れていたので、直にそのお話を聴くのが楽しみだった。
コロナ禍で叫ばれるようになったソーシャルディスタンスを確保してのマスクを着けたままのインタビューはやはり独特で、どことなく堅い雰囲気でスタートしたものの、師匠の話はあっという間に熱を放ち始め、中世城郭を讃える言葉が積み重なるうちにこちらもすっかりその気になり、諏訪原城や一乗谷に行ってみたい気満々になっていた。話すことを生業にしている方のしゃべりの渦にすっかり巻き込まれる幸せなひとときであった。
落語の興行が全て止まり他のロケもできないし・・・という状況もあるのだろう、取材にたくさんの時間を費やしていただいた。コロナ禍の中のせめてもの幸いと言うべきか。最初スタジオにいらしたときに「お久しぶりでございます」とご挨拶したら「おー、久しぶりだね」のリアクション、記憶していただいていたようで安堵した。
これでしばらく現場がなくなる。月並みではあるけれど、人に逢って写真を撮っていられることの尊さを次の現場までの間に何度も何度も嚙みしめるだろう。この状況下に在って心身ともに健やかでいることに心を尽くそうと思う。さて、そのためには飯だ、飯!
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送り出す心地。
http://muucyo.exblog.jp/240067565/
2020-02-10T00:11:00+09:00
2020-02-10T00:13:01+09:00
2020-02-10T00:11:09+09:00
naomu-cyo
お仕事
前座さんは楽屋で師匠方の着付けを手伝うけれど、手伝うのと自分が身につけるのとでは勝手が違うんですよと聞き、さすがにわたし自身は袴の着け方まではわからないので、撮影前に練習してきてくださいねと伝えるようになった。体型の似た方に教えてもらうといいですよ、と一言添える。
撮影で初めて身につけるという人が大半だから、板についてないしなんとなくバランスも悪い。羽織の左右の紋の高さがずれていたり袴の裾が後ろの方が長くなっていたり、全体的に丈が短く着付けられていたり。宣材写真はしばらく使うものだから、撮り手は責任重大だとはっとした。板についていないのは仕方ないにしても、少しでも見栄えがいいようにもっていかねばならない。ファインダーを覗いては直しにいき、本人とカメラの間を何度も行き来する。後ろの襟の上から半襟が見えていたら、着物の裾から手を入れて長襦袢を引っ張る。半襟の左右の見え加減を確認する。バランスを調えながら撮るうちに、これから本格的に噺家の道を歩んでいく彼らを送り出す、母のような気持ちになってくる。これは自分でもちょっと意外な心境だ。
二つ目昇進記念で寄席の出番が連日与えられる彼らは、その記念の日々が終わる頃には黒紋付姿もこなれて、自分の着方に落ち着くようになる。緊張を伴いながら経験を増やすことが何より上達につながるんだと思う。カメラマンなりたての頃、自分もそんなふうだった。とにかく撮ることに集中しすぎて見えてなかったあれやこれやが、撮ることに慣れるうちに見えてきた。何においてもそういうものなのだろう。
撮られているという状況にも慣れてもらうために、とにかくたくさんのシャッターを切る。慣れてもらって初めてその人らしさがあらわれてくるんじゃないかと思うから、たくさん言葉をかけてとにかくリラックスしてもらうように努める。梯久美子さんの著作の中にあった、人に向き合うときに「時間をけちらない」の精神で。とにかくいい写真を撮って送り出したいという気持ちで、撮影がはねた後はとっぷり疲れている。正しい疲労感とでも言おうか。そこそこにあしらってハイ撮れた、なんていうのは嫌なのだ。本人がいい写真ばかりでどれにしようか迷う、っていうレベルは常にキープしたい。本人が気付いていないであろう秘めたきらめきを引っ張り出したい。まあつまるところ、イイ男あるいはイイ女に撮りたいのだ。
(写真はキッズ伝統芸能体験の狂言の楽屋で撮影したもの)
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ようやく新年が。
http://muucyo.exblog.jp/239979538/
2020-01-27T01:50:00+09:00
2020-01-27T01:50:28+09:00
2020-01-18T11:41:51+09:00
naomu-cyo
お仕事
そこからわたしの怠惰な日々が数日続く。食べて寝て、箱根駅伝を見て、年賀状を書いて、食べて、寝て・・・。年が改まったことによる出来事は、恒例の家族そろって神棚に手を合わせる、お雑煮を食べる、親戚がやってくる、くらい。こたつの住民と化して、ほんとに動かなかった。
4日午後、帰京。その足で仕事場へ行き、年末に取りかかったボリューム多め案件ふたつの納品作業に追われ、8日に納品が完了。わたしの新年、ようやくやってきた、という晴れ晴れとした気持ちでいっぱいになった。それが8日。
ふと、思う。大晦日から4日の昼までの実家で過ごした時間は、わたしにとってモラトリアム期間なのではないか、と。去年でも新年でもない、その間にたゆたっている調整の時間、新年を迎えるにあたっての猶予期間。毎年同じような年末年始を過ごしているが、今年初めてそんなことを思った。暦は容赦なく大晦日から元旦に切り替わるけれど、それは暦の都合であって、こっちの気持ちはそう簡単に切り替えられるものではないのだ。
年明け早々そんな日々だったから、おかげで正月ボケすることもなく、2020年いい入り方をしたかなと思う。そして、面白い案件が続いている。埼玉にある福祉作業所・工房集の表現活動風景の撮影でスタートし、中小企業の事業承継の取材、お笑いコンビの宣伝ビジュアル撮影、渋谷らくごの高座撮影、ノーベル化学賞の吉野氏の対談撮影、角田光代さんの「源氏物語」取材・・・などなど。近い将来やってくる50代に向けて、好きな人と仕事をすること、心から面白いと感じられそうな仕事をすることを徹底していきたい。こちらの気持ちを削ってくる、ちっ!と舌打ちしながら納品作業する羽目になるような案件は受けないぞ。
まだ出逢ってない、一緒にものづくりをしてみたい人たちがたくさんいる。「こんなことやりたい」も山ほどある。時間は有限だ。出逢いにゆこう、ゆくのだ。セッションするのだ。
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誰が撮るよりも。
http://muucyo.exblog.jp/239537810/
2019-09-04T09:18:00+09:00
2019-09-04T16:27:51+09:00
2019-09-04T09:18:28+09:00
naomu-cyo
お仕事
発注元の担当女子とはかれこれ干支ひとまわりくらいの付き合いで、彼を取材したがっていたのでわたしが仲介したこともあり、ならば撮影はむーちょにと機会が転がり込んできた。一方的に知っている相手を撮るとかその日初めましてな相手を撮るいつもの取材とはちょっと違う。毎月お世話になっていて現場では頻繁に話をするけれど、よく存じ上げていると言えるほどの付き合いでもない。メディアにもちょこちょこ登場する方なので、わたしにとってはある意味2.5次元的な存在でもある。現場でするような話以外のことが聴けそうだという楽しみがある一方で、緊張もあった。よくお逢いする方だもの、誰が撮るよりもカッコよく撮りたい・・・と真っ先に思った。また、ふだん話している顔を眺めていて、泣きぼくろのある側の顔の方が表情が柔らかくて好きだな・・・という先入観もあった。そこに、自分がセッティングした取材場所が逆光が思ったより強くハレーションが起きた。そこまでふわっとした光で撮った写真にはしたくない。そういうあれやこれやが撮る自分をガチガチに縛ってしまって、なんだか空回り気味。多分なんとなく照れくささもあったんだと思う。いつもの撮影のときのような調子がまるで出てこなくなっていた。
インタビューにはそこそこ時間が取られているので、その時間中になんとか自分のリズムを取り戻し、結果ギリギリセーフだったかなとは思う。その後写真セレクトの時点になって、わたしが知っている彼のいい顔との脳内すり合わせが始まった。「っぽい」か「っぽくない」か・・・判断がよくわからなくなって、いつもよりたくさんの時間がかかった。やっぱり事前に余計なことを考えるといけない、まっさらな気持ちで臨めなくなる・・・そんなこととっくにわかっていたはずなのにまだそんな状況をふっと招いてしまうのだ、いともたやすく。そういえば去年、大好きな某作家の取材のときにも似たようなことがあった。わたしの記憶の中にあるよりも目の前のその人は明らかに肥えまくっていて、記憶の中の姿に基づいてカッコよく撮りたいのに実在の姿とうまく整合できなくて、いい塩梅に落とし込めず負け感たっぷりで納品した。思い込みやファン気が高じすぎたということか・・・あ、そうか、毎月現場でご一緒するその方のファンなのだ、わたしは。おそらく。
話自体はとても面白かった。どこまで原稿に反映させるかはライターさん次第だが、ふだん聴けないようなラディカルな意見も聴けて、思わず笑いながら撮った。多才な中にはしっかりと一本筋が通っていた。一方で、余計な思い込みに振り回されながらあーでもないこーでもないと撮っているわたし。このコントラストは自分に足りないものを容赦なく照らす。自分の思い込みに振り回されるなんて、まだまだですよ。果たして誰が撮るよりもカッコよく撮れただろうか・・・こう思うこと自体がそもそも余計ごとなのかもしれないが。
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わたしに働き方改革を。
http://muucyo.exblog.jp/239290651/
2019-05-31T02:46:00+09:00
2019-05-31T02:46:57+09:00
2019-05-31T02:46:57+09:00
naomu-cyo
お仕事
連休前の時点では5月はさほど忙しくない様子だったのが、連休が明けた途端ばたばたと撮影が入り、結果5月はずーっと仕事をしっぱなしだった気がする。もちろん毎日撮影が入っているわけではなく、でもそれなりに時間を要する現場が続き、となると自ずと撮影枚数も多くなり、結果納品に向けた作業にも時間がかかる。加えて年々作業効率が悪くなっているようで、「ああ、仕事場の家賃の払い甲斐があるなあ」とやや自虐的に振り返るほど、仕事場でたくさんの時間を過ごしている。
世間では「働き方改革」が叫ばれている。わたし自身にもわたしなりの改革が必要だなと最近つくづく思う。それは今の仕事を整理するということではなく・・・整理するだなんておこがましいことだ・・・、時間配分を改め、集中力を強化することで効率を上げ、睡眠を確保することだ。毎日to doリストを作ってその日その日の目標を掲げているにも関わらずうまく片付けられないのは、終電で帰ることに慣れきってしまい、それまでに終わらせればいいだろうと頭の中のどこかで思っているからな気がする。PCに向かって作業している時間が(楽しい)撮影の時間よりも長いなんて、本末転倒じゃなかろうか。遊びが足りてない、自分に栄養を与えてない。危機感を憶える。あれだけ頻繁に通っていた映画館にまるで行けてないじゃないの。
一生懸命その仕事に取り組んで、クライアントの仕事を理解し寄り添うようにさんざ頑張ってきても、ある日実にあっさりと仕事が来なくなったり少なくなったりする。そのたびに「わたし、何かやらかしたのかな」と不安が宿る。そして不安に支配される前に「どの仕事も一期一会なのだから」と自分に言い聞かせる。幸いなことに、減ってもご新規さんが突如現れて今のところはまわせている。ただ、フリーランスの先輩たちはしきりに「50の壁」の話をする。50過ぎると仕事が来なくなると口を揃えておっしゃる。今45歳。「50の壁」を意識して今から備え動かねば。どこかで自分はどうにか乗り切れるように信じてもいるけれど、これって正常バイアスっていうヤツなのか。大丈夫、と思いつつも怠らないようにせねば。お目にかかっていない制作会社や出版社はごまんとある。やれることはたくさんある・・・それは希望のひとつだ。
こないだ渋谷らくごで撮影後の夜の帰り道、代々木八幡まで歩く道すがら、なんだかとても夜の風景を撮りたくなって、リュックからカメラを取り出して思うままに写真を撮った。昔はそんなふうによく夜道で写真を撮ったっけ。足元がふわふわして、車がほとんど通らない横断歩道の白線と夜のコントラストに今更ながら新鮮味を覚えて、初めて訪れた外国の街を眺めるような感覚で、楽しくなってじゃんじゃか撮った。その気持ちのゆとりがとても久しぶりのことだった。捨てられるときはいとも簡単に捨てられるのだよ。Macの前で多くの時間を費やして気持ちをすり減らしてないで、強制終了して街へ出よう。45にもなってこんなこと言っているなんてね。あまりに成長してなくて、なんだか笑っちゃう。
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喬太郎師匠との旅が本に!
http://muucyo.exblog.jp/239087390/
2019-02-01T02:37:00+09:00
2019-02-01T08:43:08+09:00
2019-02-01T02:37:32+09:00
naomu-cyo
お仕事
2017年11月の、柳家喬太郎師匠と春風亭正太郎さんの欧州落語ツアーが書籍化することに!
「柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記」フィルムアート社から2月26日発売!
わたしもこの旅の一座に加わり、おふたりの姿をカメラ片手に12日間追っかけた。北欧の寒さの中、おふたりだけを自分の感覚で撮っていればいいだけの日々は、なんだかすごく純度の高い時間だった気がしている。雑念が取っ払われて、脳内がどこまでもクリアな、これまで味わったことのない、まさに「撮る」日々だった。一生、と言うのにはまだ早いのかもしれないけれど、それはまちがいなく一生忘れられないにちがいない、かけがえのない時間だったと振り返ってみて思う。
担当編集者から送られてきた原稿に目を通し、使用する写真の納品データを作成する間、何度もあの旅のことが思い出されて、見つめるモニターの中のデンマークやアイルランド、イングランド、アイスランドの風景の中に引っ張りこまれそうだった。そう、あの日わたしはここに居たんだ。ここで、師匠や正太郎さんを撮った。おふたりが北欧の空気の中で生き生きと呼吸するのを撮った。撮ったという感触がしっかとある。流れてゆかずに今も手元にあるその感触。
書籍の撮影にいろいろ関わってきたけれども、いわゆる作品写真がふんだんに掲載される本は今回が初めてだ。だからといって作家だとか写真家だとか名乗る気はさらさらないけれど、クライアントワークではない写真が載るのは素直に嬉しい。「あなたの写真で構成したい」と望まれるようなところにもっともっと近づきたい。
旅の一座へと誘ってくださった馬場さんとクララに、めいいっぱいの感謝の気持ちを。
(写真はデンマーク・オーフス大学の学生と観光中の喬太郎師匠と正太郎さん)
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飯舘村再訪、そして再会。
http://muucyo.exblog.jp/239069331/
2019-01-20T22:34:00+09:00
2019-01-20T22:34:37+09:00
2019-01-20T03:00:28+09:00
naomu-cyo
お仕事
前回よりも、暮らしの気配が感じられる。戻ってきてここでの暮らしを再開した人、借り上げ住宅から通っている人、村から離れた人。今回の取材対象の方からは、山積みの問題をいかにクリアしてこの村を再生していくかの考えを伺った。この地に足を運んで現実を見て欲しい、きちんと数値なりデータなりを見て欲しい。憤りと何としても復活させてみせるという気概とがビシビシ伝わってくる。大阪から見学に来た教師は、ここに来ていなかったら何も知らないままにただ福島は汚染されているんだと生徒に教えるところでした、と反省して帰って行ったんだよ、という話を聞きながら、何だかもう胸がいっぱいになって涙が止まらなくなった。あなたたちはメディアの側の人なんだから、一人でも二人でも多くここに人を連れてきてよ、そしたらこっちはちゃんと安全の根拠を示すから、と。その必死さに対し妙案が浮かばない不甲斐なさよ。
原発事故が起きてから、実家のある日立に帰郷するたび、この常磐線のずっと先にはひとが住めない場所があるんだ、ということを考える。危害を加えるひとがいないその地は動植物にしてみればいわば一種のユートピアなんじゃなかろうか・・・。好き放題自分の生命のままに振る舞える地。それはどんな世界だろう・・・などと想像していたら、「チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌」(NHK出版・2007年発行)という本を見つけた。ジャーナリストがベラルーシとウクライナの立ち入り制限区域に入り、現在の様子を様々なデータをもとに取材調査した記録本だ。表紙の折り返しのところに「チェルノブイリ原子力発電所事故から20年、人体には危険すぎる周辺地域は、動物が棲息する森に変わっていた。しかしその土地は、今なお汚染されているのだ」と書かれている。「汚染された」という枕詞付きの自由が展開している、という現状。汚染のせいで遺伝子に何らかの不具合が生じた場合、その生命は自然界では淘汰される。そして動植物自身は自らが汚染されていることなど知る由もない。
わたしが、帰郷のたびにこの先にひとが住めない場所がある、そこは動植物にとってはユートピアなんじゃないかと思う、という話を取材対象の方にしたところ、その住めない土地というのがイコール福島になってしまっている、という実感を述べていらした。わたし自身はそう思ってなく、あくまで第一原発があるエリアに限った意識でいたのだが、実際飯舘村に暮らし再生のための活動に従事していると、忸怩たる想いを抱く機会が多々あるに違いない。一度ついたイメージを払拭する困難が胸をついた。
取材先を辞し、担当編集者と以前取材した女性のお宅をちょっとのぞいてみようという話になり、前出の映画の主人公のひとり、榮子さんのご自宅に立ち寄ったところ、ちょうど庭にその姿をお見かけし声をかけた。思い出す間ののち、「ああ!思い出した思い出した!泣いて帰ったカメラマンさんだ、あなた!」と思い出してくれた。行った先でびーびー泣くのも考えものだが、それで覚えていてくれたのだったら結果オーライだ。お茶飲んで行きなさいよの言葉のままに新居にお邪魔する。
村に帰還することにしたはいいが、家が傷んでいてどうにも危ないということで急いで建て替えたのだという。農家の家の雰囲気はまるでなくなっていた。「もうなー、はー、80も過ぎたしさ、畑はやめたのよ」と彼女。年齢を理由にしていたけれど、耕すことが許される環境だったらきっと畑を続けていたんじゃなかろうか。つい最近まで暮らしていた伊達市の仮設住宅でこしらえた干し柿や漬物がお茶うけに並べられた。彼女がスーパーで食材を買う姿が想像できないけれど、これからはそうしていくことになるのだろう。相棒のよっちゃんももうじき帰還するらしい。畑はやめても二人仲良くガハハって笑って元気で居て欲しい。「部屋はあるし、今度は泊まりにおいでー」と言葉をかけられ別れた。飯舘村に泊まるところができた。嬉しい再会。
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快いショック。
http://muucyo.exblog.jp/239061944/
2019-01-15T02:21:00+09:00
2019-01-15T02:21:49+09:00
2019-01-15T02:21:13+09:00
naomu-cyo
お仕事
仲良しのデザイナーさんからの案件で、その日は自前スタジオにて商品の撮影とそれを使ったイメージカットの撮影が入っていた。最初の商品撮影で、こういう際によくやるライティングをこしらえ撮った。ぱっと見た感じでは及第点ではあると思った。「このハイライトの位置がちょっと気になるなあ・・・動かすとどうなる?」と彼女。商品の形状的に、トップライトが写り込むのは致し方ない。ハイライトの位置をずらすと影の落ちるところが変わる。ならばハイライトを弱めてみようということで、ディフューザーを商品とライティングの間にかませ、ハイライトを和らげた。「あ、こっちの方が算盤玉型の形状がくっきりわかるね」と彼女。ああ、そういうことか・・・と心底納得した。
物撮りを追究してこなかったわたしは、このライティングをしておけば及第点というか無難な商品写真が撮れるという経験則で臨んでいることに気付かされた。きちんと対象である商品を見られていないのだ。彼女には「むーちょにはどんどん人物を撮って欲しい、人物写真がとてもいいから。と言いながら、いつも物の撮影ばかりお願いしちゃっているんだけどね」と言われたことがあった。だから真っ正直に、あなたの指摘によって自分が経験則で物撮影をしてきたことに気づいた、物が見られてないんだね、ということを伝えた。そしてありがとう、とも。
人物の撮影はコミュニケーションだから、こっちが投げかけたことに対して被写体から何かしらのリアクションがある。それを受けて撮り進めるから、そもそもこういうことは起こらない。けれど商品撮影は違う。こっちが一方的に対象を理解しなければ、何もつかめない。リアクションを返してこないことに甘んじていた。なんたること!
ここから一歩も二歩も先に進むためのクリアすべき点が明らかとなった。この気付きはショックであると同時に未来に繋がるものだ。ああよかった、気付けて。魅力ある写真と自分が撮る写真の差異がわかったのだもの。そしてその都度その都度の解決方法はそれこそアシスタント時代に何度となく立ち会った商品撮影の現場で得ている。生きてこない経験はないのだ。経験を生かすも殺すも自分が気付くかどうかなんだ。
理解して撮りたい。去年から急に増え出した住まいの撮影しかり。フード撮影しかり。着物撮影しかり。人物撮影の際に対象に抱く愛情的な気持ちを人物以外の対象にもしっかり注ぎ、もっと見つめ理解しなければ、いい写真は撮れないや。
人物撮影だけしていればいいのかもしれないけれど、困ったことに自分は住まいの撮影もフードの撮影も商品の撮影も概ね好きなのだ。好きなのだから魅力ある写真を撮れるようであらねば。そう、そうなのだ。
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まずはお茶を一杯。
http://muucyo.exblog.jp/237902731/
2017-10-21T02:17:00+09:00
2017-10-21T02:17:24+09:00
2017-10-21T02:17:24+09:00
naomu-cyo
お仕事
茶道ととらえてしまうとなんだか急に敷居が高くなるけれど、たとえば仕事の休憩時や食後などに簡単にお茶を立て喫することで気持ちが落ち着く。それでいいんですよ、お茶って・・・なんて話。そういう習慣がこの店を長年支えてきたのだろう。そういえばこのお茶屋さんには随分前に別媒体で取材に来たことがあった。そのときに抹茶スターターキットを購入して、しばらくは自宅で作法なんててんでわからないままにお茶を立てていたのだった。よし、帰ったらそれを再開してみよう・・・と抹茶を買った。茶筅がおそらくけっこう傷んでいるけれど、まずは生活に取り込んでみる。ふだん珈琲ばかり飲んでいるけれど、その一杯を抹茶にしてみる。なんだか「ごっこ」みたいだけれど、やってみたら「喫茶」の奥行きが見えてくるかもしれないし、その店が続いていることの一端に触れられるかもしれない。なにより、息をつく時間を意識的にもつようになるかもしれない。
来月に欧州行きを控えて、猛烈に慌ただしい。撮影と納品が連日あり、スケジュールがかぶっていくつもの依頼を断らざるを得ない状態が続いている。ああ、もったいないと気ばかりが急いてくる。わたしというのが元々せわしい性分だから、そんな毎日の中にお茶を立てて喫する時間をぽんと持ち込めたら、珈琲のながら飲みではなくて、じっくりお茶を飲むいっときを持てたら、ちょっとは落ち着けるかもしれない。「落ち着けば一人前」とは落語の中に出てくる言葉だけれど、そう、落ち着こう。手は二本、脳みそはひとつしかないのだから、とりあえず落ち着いてお茶を一杯。お茶を口実に和菓子まで食べてしまう始末ではあるが・・・。
雨上がりの京都はあちこちで金木犀がこれでもかってくらい薫っていて、濡れて黒くなったアスファルトに落ちた花たちは夜空に散らばる星のようだった。そんな些細な京都を初めて見た気がする。
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わたしの城。
http://muucyo.exblog.jp/237829695/
2017-10-04T10:23:00+09:00
2017-10-04T10:22:59+09:00
2017-10-04T10:22:59+09:00
naomu-cyo
お仕事
先日わたしの作業場にヘアメイクを仕上げた姿でやってきて、まずはひといきとお茶を飲み飲み雑談をするうちに、この話している雰囲気のまま撮るのがいい気がしたので、テーブルを撮影スペースに移動、レフ板を立てて、一番大きな窓のカーテン越しの光で話をしながら撮影をした。
彼女との話はいつだって楽しい。機知に富み、テンポも良く、ツッコミもボケも自由自在で、かつ記憶力も達者、こっちの意図を汲み取るのにも長けていて、雑談力も高い。さすが、聞いたり書いたりをする人だ。一緒にいてまず楽しくないわけがない。撮るとなったら構えてしまう性分だろうと踏んでおしゃべりしながらを選んだのだが、初回はこれで正解だったと思う。窓の光が目の中に写り込んで大きな目がきらきらしていた。別嬪さんだなあと何度も思った。
撮影中からおなか空いた、早く呑みたい、と連呼していた彼女は、白ワインとつまみを用意してきてくれた。終わったらそのまま呑もうと日程を決めた時点で決めてあったので、わたしも取材先でいただいた金箔入りのシャンパンとつまみを用意してあった。さっきまで撮影で使っていたテーブルでささやかな酒宴が始まった。「きのう、独立記念日だったの」と彼女が話し出したのをきっかけに、お互いの共通事項である独身自営業にまつわる話をひとしきり交わし、そうこうするうちに「あれ?話してなかったっけ?」と家族のことをひとしきり話してくれた。親に対してうらみつらみがあってもいいような経験をしているのに愚痴ひとつ出てこない。程よくドライでもある。それは彼女が自分を養う能力を手にしているからだと思った。西原理恵子女史も言うではないか、「寿司と指輪は自分の金で」と。女は手に職つけろ、と。そしたらいつでもダメな男と別れてやり直せる、と。同じ独身自営業でも、彼女はお金のこととか先々のこととかもしっかり管理していて、自分に足りないのはまさにそこ、と痛感した。次第に彼女が歴戦の猛者に思えてきた。やたら未来への不安をあおって新しいプランをすすめてくる保険のおねえさんと話をするよりもよっぽど、彼女と話したほうが身になる。実体験は強い。そこを乗り越えてきたからなお強い。
参宮橋と初台の中間あたりに作業場を借りている。もともとシェア事務所として借りたのだが、もうひとりが早々に離脱し、今はカメラマン仲間が手助けしてくれたりイベントに貸したりしてなんとか維持を続けている。住まいとは別に場をもつことで引き受けられる仕事も増えてきた。借りものとはいえここは自分の城だからなんとか死守してやると思い、闘いの場のようにとらえていたのだが、思いもかけず撮影後にこんなじっくりした時間をもって、ここって闘いの場ではなく訪れた人と向き合ってじっくり話をする場なのかもなあと思った。そんなやりとりができる空間に育ってきているということか。これはわたし自身が意図的に志向したのではなく、訪れる人たちが導いてくれた方向だ。場は人が作るんだな。わたしひとりではそんなふうになれなかった。
来春、3度目の更新がやってくる。毎年遺影を撮るからと宣言した彼女と撮影後のいい時間を共有するためにも、やっぱり気張って維持していきたい。そうした時間もさることながら、入ってくる光もとても好きだから。
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夏の公演で
http://muucyo.exblog.jp/237710378/
2017-09-04T11:40:00+09:00
2017-09-05T01:05:32+09:00
2017-09-04T03:28:26+09:00
naomu-cyo
お仕事
あの人がこういうことをしたらどんなだろうとか、あの人にこんなことにトライしてみて欲しいとか、あの人とこの人が組んだらどんな化学反応が起きるだろうとか、観る側の想像や欲求を刺激する存在であるがゆえに、さまざまな企画がもたらされ、そして想像や欲求を大いに超えて応えてくれるから、また新たな企画がもたらされる・・・という循環がたしかにあるのだと思う。演ずる側のクリエイティブと興行する側のクリエイティブとの競演だ。どんなプラスαをのっけられるのか、どのくらいの奥行きがあるのか・・・これは何も落語にかぎったことではなく、なんにでもあてはまる。スポットライトを浴びる側の人に対してだけでなく、裏方稼業であるわたしのような側にも言える。しかし、どのあたりがプラスαなのか、果たして奥行きがあるのか等々、我が身のことはなかなかつかめない。もしかしたら全然届いていない、それ以前の問題であるかもしれない。
こういう案件は武藤さんに・・・と依頼を寄越していただけることはある。ありがたい。ようやく徐々にそういう機会をいただけるようになってきた。さて、その先だ。武藤さんが撮ったらどう転がるかしらと期待を抱いて依頼を寄越していただけるようになったら世界がぐんと広がるんじゃなかろうか。そのためにはどんなプラスαを育てたらいいんだろう。常々そういうことを考える。風穴を空けたい。どう空けたらいいかわかんないんだけども、かぶくというか化けるというか転調というか・・・根っこはそのままにして。
すごいなあ面白かったなあと口をあんぐり開けて喜んでるところでおしまいにしてはいかんのだ。もっとばりばりとショックや刺激を受けて自分の内で変化を起こしてゆかねばならぬのだ。周りの環境を変えるというところに甘えてはいかんのだ。
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naocoの宣伝ビジュアル撮影
http://muucyo.exblog.jp/237595544/
2017-08-20T00:56:00+09:00
2017-08-20T01:01:55+09:00
2017-08-20T00:56:49+09:00
naomu-cyo
お仕事
今回初めてカメラマンに発注するとのことで、じっくり顔合わせ兼打ち合わせをする。これまでの作品をひととおり見ていただき、今回かぎりではなくこの先も同じカメラマンにお願いできればと考えていると伺い、願ったり叶ったりですと応じ、某日新宿御苑に鎮座まします巨大なヒマラヤ杉のそばで、受注会のDMに使う写真を撮影した。さらに後日、自前スタジオ「武藤屋」にてリーフレットに掲載する商品を撮影。きもの以外のファッション撮影をそういえばこれまでほとんどしたことがなかったのだが、とても面白かった。カシミヤニットの風合いが自然光撮影にぴったりで、まとったときに生まれるドレープの形状がとても美しく、きゃあきゃあ言いながらの楽しい現場になった。
今回はスタイル抜群のご本人がモデルになったのだが、顔は出したくないし出さないほうがいいだろうということで、着手の表情に頼らずに、あの軽くて柔らかくてなめらかな質感をどう撮ったら表現できるか、そこに終始意識を傾けたように思う。やはり動きがあるのがいちばんだと思い、日常の場面を再現するようなイメージで動いていただいた。思えばいつもそんなふうにして人物写真を撮っているし、わたしにはそういう撮り方が殊のほか向いていると思っている。「ガラスの仮面」いうところの、「感覚の再現」というやつだ。わたしの撮影理論(って言うと大袈裟だが)の大半は「ガラスの仮面」に起因しているような気がする・・・。
今回発注をいただいた後で気付いたのだが、わたしもnaoco製品を一枚もっていた。naocoとitonosakiがコラボしたカシミヤニットロングカーデガンで、去年の冬に購入した。冬にきもので出かけるときに殊更重宝の製品で、これのおかげでもう冬のきもの用アウターに悩まなくて済むと大いなる確信をした。洋服にも使えるし、畳めばかさばらずに平らになるし、よくぞ産み出してくれた!と拍手喝采だ。いずれ色違いの購入も検討したい。受注会までにはリーフレットも刷り上がってくるだろうし、夏終盤の楽しみのひとつなのである。
受注会詳細はこちら。まだまだ暑いと思っていたのも束の間、きっとすぐに冬がやってくる。
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きものの本、続々と。
http://muucyo.exblog.jp/237264087/
2017-07-22T03:06:00+09:00
2017-07-23T18:40:36+09:00
2017-07-22T03:06:15+09:00
naomu-cyo
お仕事
去年秋に着手した、企画から関わっているきもの本は、編集ライター女性の仕事放棄により進行が止まっていたのだが、ようやく再開した。このまま順調に原稿を上げてくれれば秋には出版できそうとのこと。通常「撮る」だけの関わりだが、企画からだから撮る以上のことをやっているつもりだ。商品セレクト、リース、撮影、返却、その際に商品についての取材も少し。にも関わらず仕事放棄女性は相変わらず版元にわたしの文句を言っている様子。彼女としてはこちらをおとしめ自分は悪くないという方向にもっていきたいのだろうが、なんと言おうがわたしはこの案件にかなり注力している。版元さんと今週打ち合わせをし、ようやく全体像が整ってきつつある。集中力を切らさずにフィニッシュに持ち込んでなんとかいい本にしたい。この全体に関わるという経験は大いなる肥やしになるはずだ。
たかはしきもの工房・高橋和江さんの2冊目の著書の撮影も始まった。1冊目も全撮影に関わり、このたびも声をかけていただいた。きのう、きもの青木世田谷店の店内をお借りして表紙撮影をおこなったのだが、勝手知ったるスタッフが集合して、とてもいい現場だった。高橋さんの存在感はもちろんのこと、船頭役のフリー編集者・藁科さんのきもの知識やきもの現場の経験が頼もしくて、安心していい絵を撮ることだけに集中していられる。そもそもふつうはこうなのだ。前出の案件の現場が船頭が船頭として機能していなかったものだから、こちらの現場が楽でしようがない。来月に始まるきもの本の現場も、船頭役のOさんがきもの現場経験が豊富な方。以前きものMOOK本でご一緒したのが縁で、今回お声かけいただいた。打ち合わせをしてみて、頼りになる方だと改めて感じた。同じフリーランス同士だからこその気配りもしていただいた。とても助かる。
誰がエラいとかそういうんじゃない。それぞれがプロとしての仕事を現場でまっとうするのみなのだ。困難なことが起きたら、それをどう解決するかを話し合えばいい。自分は高みの見物決め込んで現場をともにするスタッフの文句ばっかり言っていては形あるものは生まれてこない。きものの撮影を武藤にお願いすれば安心、と頼もしがられるようになりたい。なにせ、きものだ帯だと少なからずの勉強代をかけてきている。その成果(?)がきもの撮影にしっかと反映されれば・・・言うことない。まだまだ、まだまだだ。
(写真は、今年も登場、夏の琉球絣とアンティークの絽の帯。双方このうえなく愛しいアイテム)
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