「む一ちょ写真日記」:フォトダイアリー
2022-05-03T03:27:22+09:00
naomu-cyo
フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。
Excite Blog
4月、一瞬で暮れた
http://muucyo.exblog.jp/241440296/
2022-05-03T03:25:00+09:00
2022-05-03T03:27:22+09:00
2022-05-03T03:25:08+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
褒めてもらう機会がやたら多いひと月でもあった。別に褒めてもらいたくて写真を撮っているわけではないけれど、褒められたらやっぱり嬉しい。あ、大丈夫ね自分の方向性は、と確認もできる。生きていくための術として選んだ仕事だから、評価されれば次の幕が開く可能性が生まれ、結果首がつながる。
とはいえ、常に背水の陣であることに変わりはない。調子がいいときでも常にそういう念を持ちながら暮らすことにさすがに慣れた。この2年間続いているコロナウィルスの蔓延がもたらした影響のひとつと言えるだろう。老後の不安を先取りして備えていたって、いったん強力なウィルスが蔓延したら全部ひっくり返るのだ。先取りして憂えたって無駄だ。極端だけど、明日はどうなるかわからないから今日目の前のこの仕事をめちゃめちゃ頑張るのだ、今日は今日、明日は明日、いちにち一日なのだ・・・ちゃんと心からそう思えるようになってからなんだか強くなった気がする。ある意味これもウィルス耐性。
この連休は前半は作業と撮影、後半は帰省すると前々から決めてあったから、連休前にひとまず仕事は片付けておいた。時間を調え、前半の作業・・・動画の編集に取り組む。やってみて気付くこと知ることがたくさんあって、目はしょぼつくし老眼がいよいよ始まった気配が薄々あるのだけど、この作業がやたら面白い。まだちゃんと仕事化はしていなくて、スチールの撮影を受注した折に試しに動画も撮らせて欲しいと申し出て撮り、編集も試みている。そうでもしないと覚えられないと思ったから。
作業をしているとあっという間に日が暮れる。今日も朝からずっと作業して、気付けば夜になっていた。まだまだひ弱なスキルだけど、20代から30代前半まで映画を見まくっていたのはおそらくとても役に立っていて、どんなに短い動画でもストーリーを感じられるものにということを念頭に置いている。
明日からはウェブサイトのリニューアル作業に着手する。去年の今時分、リニューアルを掲げたけれど頓挫した。今度こそはと思い、作業の段階ごとに締切を設け、友人に見張り役になってもらい、締切を破ったらペナルティで罰金を払うことに決めた。友人は「嫌いな政党に寄付されたくなかったら締切厳守ね」と言っている。最初の締切は連休末日、ウェブ全体の構成を決めるところまで。すでに時間が足りなくなっている。
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再開。
http://muucyo.exblog.jp/241409532/
2022-04-02T05:58:00+09:00
2022-04-02T19:31:37+09:00
2022-04-02T05:58:08+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
「この日から」とはっきり意識しているわけではない。ただ2年おきにこの時期更新手続きの書類が届く。更新料を振り込んだばかりだから、さてここから新たな2年が始まると思ったのだった。
去年の春から健康食品会社のウェブマガジン内でフォトエッセイの連載をしている。一年続けてみて、ふだん文章を書かないと言葉というのはなかなか見つけられないんだということを痛感。にもかかわらず、ブログ再開を先送りにしてきた。年を重ねてそういうようなことが増えてきてしまっている。どうにかしたい。まずはアクセスしやすいことから。代々木の11年目、そして新年度の始まりに乗って、放置したままだったこのブログを再び始めよう。以前同様、肩肘張らず、思ったことを気ままに。
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なさけない記
http://muucyo.exblog.jp/240937047/
2021-04-20T12:29:00+09:00
2022-04-15T21:41:47+09:00
2021-04-20T12:29:28+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
郵便局からの帰り道、仕事場近くの遊歩道の次第に緑が増していく樹々を見上げながら考え事をしていた。
大したことは考えていない。
今日はいい天気だな。今時分の緑は冴え冴えとして実に爽やかであるなあ。今日も仕事場にいい光が入っている。きのうの光も絶好でいい撮影ができた。光を作るのは苦手だけど、入ってくる光を遮ったり透過させたりして塩梅するのは得意だ。Y嬢との仕事はいつも、対象であるモノとそこに在る光をじっくり見つめながら進められる案件で、いい写真が撮れたという実感がある。そういう仕事をもっともっと増やしていきたいものだよ。その光を手放したくなくて店賃を払っているようなもんだしさ。店賃なー。これを捻出するのが大変なんだけど。頭のいい息子を中高一貫校の私立といくつかの学習塾に通わせているようなもんだな・・・というような流れでわたしの思考は動いていた。そこではたと止まった。わたしが仕事場に毎月払っている店賃は、学生時代に両親が仕送りしてくれていた金額と同額ではないか。借り始めて9年目の気付き。うひゃあとなった。
仕送りプラス毎年の学費。結構な金額である。それを4年間算段してくれていた。なのにわたしはといえば、単位をぼろぼろ落とし、バイトと映画館通いに明け暮れ、ろくに勉強をしなかった。かつ不安定極まりない仕事を選び、結婚も出産もせず親に仕送りすることもなく40代後半に突入した。世間的にわかりやすい親孝行が全くできていないのだから、これはもう息災に真摯に幸せな気持ちで日々を全うしている姿を見せることくらいでしか親孝行は成り立たんだろ。父よ母よ出逢ってくれてありがとう。この世界に生んでくれてありがとう。奈緒美はめちゃめちゃ楽しく濃く充実した毎日を生きてます・・・わたしにできる唯一残された親孝行がこれなんじゃないか。
ここのところ心のキレが悪くて、意気消沈気味だった。しょぼくれていると考えることも貧相になっていき、自分を見失っていた。光が明るい季節を迎えマスクを外した顔を見てシミが増えていることに愕然とし、物理的なケアすら怠りまくっていたことに気付いて、慌ててパックやらなんやらを購入した。髪を切りに行ってヘアメイクの美紀さんに近況報告したら「むーちょはね、ミソもクソも一緒になってるの。何にでも余計な感情を持ち込みすぎなの、整理できてないの」と頭の上から言葉が降ってきて、あまりにも思い当たることが多すぎて腑に落ちて、脳内を覆っていたもやもやの膜がペロリと剥がれた。憑き物が落ちたみたいに。「いちにち、いちにち、その日その日、と思って過ごすのよ。そういう思考に意図的に変えてゆくの。そしたらそういうふうになっていくんだから」と。しているつもりでいたけれどできていなかった。あれもこれもみっともないことであった。
自分の生のかたち。自分の在り方。いくつになってもそこでつまずくし揺れる。心のかたちがなかなか定まらない。美紀さんに言わせれば「余計なことを考えるのはね、むーちょ、暇ってことだよ」ということらしい。懸命に生きていないのかもしれない。いや、そうなのだろう、集中していないのだろう。言われて「うわっ、なさけない」と恥ずかしくなった。自分のことが一番わかっていない。
仕事場の光を思ったことが引き金となって改めて親への感謝がつのり、そしてしあわせでありまくってやるぞという決意に至った。そろそろ連休だし久しぶりに帰省して親の顔が見たいなあと思ったのだけれど、「今年は町内会の班長だから感染拡大が止まらない東京から娘が帰ってきているなんて外聞がよろしくないもの、帰ってこなくていいわよ」と言い渡されているので、しゃあない、去年同様東京でいちにち、いちにちを刻んでいこう。
相変わらず自分の取り扱いに手を焼き(美紀さんに言わせれば暇だから、だ。その通りだな)、自分の匂いを嗅ぎながら同じところをぐるぐるうろうろしているみたいなことの繰り返しなのだが、それでもわたしはそんな自分を諦める気にも見放す気にもなれない。善く、良く、生きたい、生きていたい。「今日いちにち、よく生きました」。その姿勢は基本だし真理なのだろう。そこだ、そこ。そこから。
お知らせ。去年の自粛期間中に考えたことをようやく実行、ネットショップを開きました。
武藤紙類制作室
オリジナルの紙類を写真で作ってみませんか?
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新年明けたものの
http://muucyo.exblog.jp/240783040/
2021-01-07T20:00:00+09:00
2021-01-07T20:00:31+09:00
2021-01-07T19:57:57+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
実に約半年ぶりの更新・・・よくもまあ、そんなに放置したものだ。
あれやこれや、書き留めることは毎日とはいかないにしてもあった、いくつもあった。でも、去年の自粛解除以降のわたしはなんだかずっとせかせかしていて頭の中がパンパンで、多分疲労を溜め込み続けていた。ありがたいことに解除になった後仕事が順調に回復して、それに懸命に取り組むので精一杯だった。
年が明けた。今年は年女だ。そして聞いた話だと風の時代という層に突入したらしい。そして来年から2年間わたしは天冲殺に入るらしい。種まきは今年のうちにね、と助言をいただいた。この状況下でどう種まきしていこうか・・・1月いっぱいは緊急事態宣言に再び行く手を阻まれそうだ。半ば籠城のような状況になるだろうから今年の陣立て(年をまたいで歴史小説「じんかん」(今村翔吾/講談社)を読みふけり、戦国時代の大和国へと現実逃避していた影響でこんな表現に・・・)はその間に考えることにしよう。
何はともあれ、元気だ。ありがたい。ゆくぞ、2021。
(写真は2018年11月にベルギーのゲントからブリュッセルに向かう列車から撮った牛景)
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此比都ニハヤル物
http://muucyo.exblog.jp/240354063/
2020-06-03T07:50:00+09:00
2020-06-04T09:50:43+09:00
2020-05-30T03:09:43+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
此比都ニハヤル物
夜討(ようち)強盗謀綸旨(にせりんじ)
召人早馬虚騒動 ・・・
思えばコロナ渦中で売れていたもの(流行っていたもの)って、マスクに消毒液、ビニールシート・・・何だか色気のないもんばっかりだな・・・と思った矢先に浮かんだのが「此比都ニハヤル物」だった。どれもこれも消耗品で、手元で慈しむ類ものではない。ウィルス蔓延状況でそれらが何よりも優先するべきものであることはもちろん重々承知しているが、モノ好き買い物好きなわたしとしてはその現象に何だかひどく悲しくなった。
マスクは友人からもらったものと実家から送られてきたものとを湯煎して繰り返し使ってしのいだ。並んで買うほどの真剣みもなければきれいに手作りできるほど器用でもなかった。消毒液は仕事場の来客用に購入しただけ、ビニールシートは買っていない。その一方で、やたら手紙を出したのでふだんよりも切手代がかかり、作品撮りで歩き回るためのウォーキングシューズを買い、これはどうしても欲しいと浴衣生地を買い、未読本がたくさんあるのにさらに何冊もの本を購入した。「此比都ニハヤル物」よりは色気があるだろうか。できることならミニシアターのクラウドファンディングや飲食店のテイクアウトにも積極的に協力したいところだけれど、東日本大震災のときとは話が違って、今回は自分の仕事もめちゃくちゃ打撃を食らってしまっていて先が見えない。無理はできない状況だ。
物品に限らず、コロナ渦中から今に至るまで「此比都ニハヤル物」はいつになくめまぐるしく移り変わっているように思う。SNSを眺めているとそのスピードにクラクラし、ついていけてない自分に気付く。こんな流れに身を任せなければいけないのだろうか。いや、いいのだ、ついていかなくても構わないのだ。マスクや消毒液、ビニールシートに対応したときのように自分のペースや考えでコロナ後の世界に慣れていけばいい。自分で決めていいのだ。
コロナのダメージはまだまだ後を引くだろう。むしろこれから本格化する可能性が高い。今年はもう半ば諦めた気で、コロナ渦中に思いついたことをひとつずつ形にすることを目標にしてゆこう。周りの流れは見ない。もともと歩調を合わせてきたわけではないのだ。
(写真 コロナ渦中で移り変わった花の風景)
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解除。そしてこれから。
http://muucyo.exblog.jp/240349108/
2020-05-27T23:32:00+09:00
2020-05-27T23:37:03+09:00
2020-05-27T12:18:00+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
自粛要請で仕事が飛びまくり、いきなり終わりの定かでないロングバケーションがわたしの前に差し出された。自分で自分をいかに楽しませられるか、それに尽きるんじゃないか。正体のわからないウィルスとこの休暇を乗り切るためのわたしの方策。今振り返ってみて、それは概ねうまくいったと感じている。毎日毎日やることややりたいことがどんどん湧いてきて、時間を持て余すということがなかった。だから前倒しで解除が発表されてちょっと焦った。手を付けたもののまだ片付いてないことがいくつかあったし、手を付けてないものさえあったから。
とはいえ、解除になりました、即コロナ前に戻ります、というわけではない。仕事はゆっくり動き出しそうな気配だけれど、果たしてコロナ前に戻るのがいいのかどうか、考えてしまう。今回たくさんの時間を手にしてみて、時間があるということが創造性を育むことに気付いた。自分の仕事の行方を考えて萎縮するどころか逆に伸びやかな心地になった。あれ、これいいんじゃない、こういうこともやっていけるんじゃない、と思いつくことがたくさんあった。これまでやってきた仕事と全く違うベクトルのことではなく、紐付けして広げられそうなことをいくつか思いついた。
コロナ前の自分は、新たに撮影するということにばかり重きを置いていて、次から次へと撮影したくてしょうがなかった。乱暴な言い方をすれば、撮り散らかしているかのようだった。止まるのがイヤだったんだと思う。怖かったとも言えるか。今回止まらざるを得ない状況になり時間の余裕がおのずと生まれ、夜中にポストカードや写真展DMの余りで封筒や栞を作って手元を動かすうちに、過去作に目が留まった。活かせるんじゃないの、これは。活かし方次第じゃないの、と気持ちが動いた。周囲のお世話になっている人たちに意見を求めてみた。某ギャラリーオーナーは「こんなときだからね、新しいこと始めるべき。わたしも新しいこと考えてて毎日忙しいもの!」と笑った。意見を求めた人たちがそろいもそろって、この時期を停滞とは受け取らず時間の余裕ができた何してやろうかというノリの人たちばかりだった。よし、やってみようか・・・早速懇意にしているデザイナーに発注をした。彼女も面白がってアイデアを出してくれた。
わたしが思いつくことだから大きなことではない。わたしの両手と時間で対処できるくらいのささやかなことだ。それでも、不安に駆られてもおかしくないこの状況で、自分の心の中にほのかな光を見出せたのは大きい。40代なかばにしてようやく進歩が感じられる。これからやろうとしていることはうまくいかないかもしれない、そしたらまた何か思いつけばいい。なにせひとりもんである、身軽なのだ。
緊急事態宣言は解除になった。でもコロナが収束したわけじゃない、第二波がくる可能性はある。それでも解除になった。ここからは自分のふるまいは自分で決めていかねばならない。わたし自身はどう解除していくか、どう対策していくか。その過程でどんなふうに仕事を続け新しい試みを進めていくか。お上の発表した新しい生活様式を読んで、なんでこんな細かいことにまで口を挟まれなくちゃならんのだ、と憤りを感じた。だからこそ、感染防止の基本をおさえた上で自分で考え自分の行動を決めていかねば。大きなものにからめとられぬように。
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鳥知らず
http://muucyo.exblog.jp/240337160/
2020-05-21T12:03:00+09:00
2020-05-22T02:09:15+09:00
2020-05-21T03:55:04+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
ご近所さんの玄関そばの植木の中に一瞬その姿を見た。しかし、植木の緑に紛れ判然としないまま間もなく、鳥は視界から飛び去った。
人間ですら頻繁にお目にかかるカラスやスズメ、ハトならともかく、滅多にまみえることのない鳥は繁殖のパートナーとどのようにして出逢うのだろうかと、こうしたことがあるたびにいつも不思議に思う。こちら(人間)が知らないだけで、鳥にも同胞が集う碁会所のような場所があるのだろうか。圧倒的に少数だとしたらめぐり逢うのだって難儀だろう。戦時中は疎開先にもなっていたとはいえ今の世田谷は住宅街だ。ウグイスが住まいそうな野山は身近ではない。
庭の縁台に地域猫用のお食事処を用意している。猫用のドライフードを狙って一時はカラスがやってきて、今はムクドリがやってくる。それをムクドリだと知ったのは、インターネットで「鳥 嘴 オレンジ」で検索をかけて出てきた画像を確認したからで、つい最近まで縁台にやってきて時々糞を落としていく声の大きなその鳥の名前を知らなかった。ムクドリといったらメジャーな鳥の部類だろうに。おそらく身近に感じていなかったから知ろうともしなかったのが、わたしの生活圏にちょくちょく現れるようになって初めて「彼奴は何者ぞ」と気になり出した。地域猫2匹に加えムクドリカップルが加わり、小さな縁台は思わず生き物の密度を増している。
商店街をツバメが飛来する季節になった。もう少ししたら店々の軒先に巣が見られるようになるだろう。そして糞害防止のビニールが吊り下げられる。このビニールも含めて風物詩。やがて巣が壊れるんじゃないかと思うくらいに成長した雛の姿が見られるようになり、いつの間にか巣立ってもぬけの殻になっている。そして夏が来る。
コロナ禍で今年は春無し年になってしまった。近所の梅の香は憶えているのに、桜の記憶がおぼろだ。毎日が休みのようなものだから、大型連休も曖昧に過ぎた。袷の着物を楽しみきらないうちに単衣に衣替えした。それをまとうのではなく指先で実感するにとどまっているとは。
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なんだか忙しい。
http://muucyo.exblog.jp/240281669/
2020-05-03T08:18:00+09:00
2020-05-03T08:23:24+09:00
2020-05-03T08:18:49+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
仕事をしていないという状況に身体があっという間に慣れてしまった。こんなに働いていないのはスタジオを辞めて丸々一ヶ月何もしなかったとき以来だ。それから約20年間必死に仕事をしてきたけれど、たかがひと月で自粛生活という新しいリズムが身体にしみ込み始めている。いともあっさりと易きに流れるものなのだなあ・・・と自分の新たな側面を発見したような心地だ。怠け者なんじゃないか、と薄々気付いてはいたけれどここにきてそれは確信に変わった。図星すぎてちょっと笑ってしまう。
なぜに忙しいか。afterコロナを見越しての準備のためではもちろんない。
家に長く居ると、狭い中でもいろいろやることが見つかる。それらはふつうに仕事をしていたらやらなくてもいいことばかりだ。4月半ばにくるみボタンキットを買った途端、着物や洋服の余り布でひたすらくるみボタンを作ることに没頭、「くるみボタン制作期」が始まった。4月下旬、今度は友人や着物仲間に向けた「くるみボタン送り付け期」に移行した。余り布を眺めていると、ここ十数年に及ぶ着物散財の歴史が浮かび上がり、その布を招き寄せた当時のことが思い出される。あ、この布の来歴をエッセイにできるな、と気付く(ゆくゆく着手しよう)。数年前に購入してあった静岡の紙屋の染め紙を発見。そうそう、何かに使いたいなと買ってあったんだ、と取り出してブックカバーを作る。折るだけだからものの10分もあれば終わってしまうのだが。去年の写真展で余ったDMで封筒を作り始めたり、たくさんあるポストカードの在庫を適宜トリミングして栞を作ったり・・・武士の内職の如しである。一円にもならぬが。
一方、生活の中のシーンを頻繁に撮るようになった。以前はよく撮っていたものだが、ここ数年仕事の撮影でそこそこ満たされていたものか、日々の写真をさほど撮らなくなっていた。同じ場所に暮らして23年、自分の暮らしの中に目新しいものなどそうないと思っていたけれど、そんなことはない、けっこう新鮮なのだ。きのうなど、ストレッチしているときのアングルで見えた庭がなかなかに素敵で、転がしてあったカメラを引き寄せてストレッチの体勢のまま撮った。夕方の光の中の春の庭はなかなかに映画的だった。
手元を動かしたり本を読んだりしてstay homeしていられたのはほんの一週間ほどで、やっぱり鼻から息をするモノが撮りたくなってくる。そうか、不特定多数に接触しないよう歩いて撮りに行けばいいんだ、と思いつく。相手に負担をかけず家の前あるいは道路で、social distanceを確保して、撮る。家族写真を撮りたいなと思ったら西荻窪に住んでいるとある一家が思い浮かんだので、早速連絡をし快諾してもらった。1時間半かけて家にたどり着き、マスクをしたままと外したところと両方の家族写真を撮り、帰りにタケノコの水煮をいただいた。友人にも協力してもらい、次々と歩いて行けるところをラインナップする。面白い。西荻窪まで行けたんだから、ここも行けるよねとか考えながら住所録をめくる。快諾してくれたある人は「ああ、何着よう。イベントっぽいの久しぶり!」と返事をくれた。そう、それ、嬉しいリアクション!わたしもそうなんだもの。徒歩圏内、social distanceをキープして外で、マスク有り無し。これらの縛りを課しての撮影。この状況が終焉を迎えたら仕事場でコロナ慰労会を兼ねた写真展をしようか。そんな想像をしながら思わず、ウォーキングシューズを購入してしまった、収入ないのに。わはは、だ。
afterコロナの世界はどうなるのか・・・未来予想図を描くことにかけては全くの素人である。結局、自分は今どう在るか、しか決められない。それでいいのだろう。ただ、この期間に過去の写真の整理(とウェブのリニューアルと・・・)と、未来にこんなことをしたいなという希望は描いておきたいな、と・・・わたしは易きに流れがちだから・・・。
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2019年の大晦日に。
http://muucyo.exblog.jp/239919721/
2019-12-31T07:53:00+09:00
2019-12-31T07:53:20+09:00
2019-12-31T07:53:20+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
・・・ユニコーンの「雪が降る町」がラジオから度々流れてくる。来た来た来た、今年も来た、大晦日。クリスマスが過ぎてから今日まで一気駆け。
11月に入ったあたりから年末の気配は徐々に濃厚になってきて、都度都度片付けるべきことを先延ばしにせず済ませてきたつもりだけれど、12月に入ったらそれこそ瞬く間にクリスマスが来て大晦日まで一気だった。わりあい時間に余裕がある師走になるかと思いきや、ばたばたの撮影と納品の毎日で、12月半ばに刷り上がってきた年賀状に手をつける余裕もなく、大晦日イブの深夜、ようやく切手を貼るところから始めた。取り急ぎ、220枚。
せめて雰囲気だけでも新年を迎えるべく、帳尻合わせするように今年最後の土日を過ごす。自宅で写真のセレクトをし、飽きると台所の掃除。お風呂に入ったついでにタイルの目地を磨く。歯ブラシをくわえながら棚のホコリを拭く。大掃除とまではいかないけれど、なんとかまあそれなりになったかなと一息つく。
あとは自分の気持ちの持ち様次第だ。さ、新年、ネジ巻き直して参ろうぞ、と大きく息を吸い込めばいい。新年を迎えたからといって、前年とのつながりがぷっつり切れるわけではない。新年は単なる区切りでしかない。でもこの区切りをバネにして前年の自分を乗り越えたい。
幸い、12月半ば頃から気持ちを持ち直した。今年後半は息切れしたなとちょっと疲労感を覚えていたのだ。プレゼン準備をめいいっぱい手伝って、でも結果落ちてしまった案件のクライアントさんから、頑張ってくれたのでとランチに招待された。あのひとときがおそらくものすごく栄養になった。この感覚は今後に繋げてゆける、と直感した。これまで散らばっていたアレヤコレヤがまとまっていくような気がした。そこで話すうちに、そうそう、わたしはこういうことに興味があってこういうことができるんだ、と再確認できた。
さて、年賀状の続きに取り掛かろう。ひとしきり終わらせてから実家に急ごう。ああ、今年もよく動いた。
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11月、つれづれ。
http://muucyo.exblog.jp/239794479/
2019-11-24T04:09:00+09:00
2019-11-24T08:28:11+09:00
2019-11-24T04:09:45+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
今年の命日は新潟出張にあたっていた。前日にいつもより豪勢な花を買い求め、当日は少し早起きして魚を焼き身をほぐし骨をきれいに除いて仏前に供え、ぱちの遺毛が入っている木箱を開けて懐かしい毛色を眺めそして触れ、長いこと手を合わせ話しかけた。4年経っても悔いは残っていて、だから詫びる言葉が多くなる。そのあとは我が家に住み着いてくれてありがとう、長いこと一緒に居てくれてありがとう、もしあなたが生まれ変わったらちゃんと私に知らせておくれ、そしたらまた一緒に暮らそう・・・そんなことを口にしていると最近は治まっていた涙がどどどとあふれてきて、しんとした気持ちになる。
命日前後は、4年前の日々を日付とともに覚えていて、10月31日はこうだった、11月1日はああだった、11月2日は「こればっかりは我慢できないよ」ってな風情でクリームコロネのクリームをぺろっとなめたんだった、11月3日はずっと横たわったままで、11月4日朝はすでに意識がなかった・・・11月7日に両親が上京してお葬式を挙げ、11月8日の自分の誕生日はそれどころじゃなくて・・・あえて書き出さないけれど、1日ずつ振り返るとものすごく細かいことを覚えている。
twitterで過去にやはり愛猫を亡くしたことのある物書きの人が、猫は自分がこの世からいなくなる時をちゃんと自分で決めているものだ、というようなことをそう感じる理由とともに述べていて、それを読んで思い当たる節がないでもなかった。きっとそうなのだろう。ただ、すっかり受け止めるまでにはもうちょっと時間がかかりそうではある。
ここ数年、11月はそんなふうにして始まる。今年の11月は怒涛の9月10月を経てちょっと落ち着きそうだったが、蓋を開けてみたらずっと納品に追っかけられていて、時間がほんとに足りない。あっという間に1日が終わっていく。焦ったところで終わるわけではないので、その日やることを書き出し、消化するたびに赤線を引いて消していく。はかどる日もあれば見込みちがいで全然消化できない日もある。そうこうするうちに気温が低い日が続き、慌てて冬物を引っ張り出す。私の働き方改革はなかなか進まない。
それでもなんでも、朝ごはんは毎日作ってしっかり食べる。前の晩に煮干しの頭とハラワタを取り除き水につけておく。お米も研いで浸水しておく。ありものの野菜を炒めたり蒸したりして、納豆とヨーグルトでたんぱく質を摂る。昼を食べなかったり夜がどうなるかわからなかったりするから、朝に摂れるだけ栄養を稼ぐイメージで用意する。長年そうしてきた。朝ごはんをしっかり作って食べることは、その日1日の自分を支える基になる。
今年は友人知人の記念日撮影が例年よりずっと多い。成人式の前撮り、七五三の撮影、挙式の撮影。もともと何かしらの縁のあった人たちが、その縁で家族の特別なシーンの撮影をわたしに依頼してくれる。自らの家族を築くことがいまだ始まっていないわたしが、いろんな家族に触れるという面白さ。
ある3歳の女の子の撮影で、彼女はちょっと緊張していたのか最初全然コミュニケーションが測れなかったのだけれど、神社の境内に落ちているドングリを拾って彼女の着物の袖口からそれを落とし、たもとの中に溜まっているのを見せて、「ほらここにこんなに!」と教えたらそれがすっかり気に入った様子で夢中でドングリ拾いを始めた。相手が幼子だからといって幼児言葉で話しかけたりということをわたしはしないので、一緒に夢中でドングリ遊びをするだけなのだが、徐々にコミュニケーションが生まれ、しまいに彼女はドングリでいっぱいになった袋を振り回しながら参道で踊り始めた。すごくいい表情だった。彼女にしかできない七五三だ、オリジナリティーあふれる、彼女自ら生み出した、誰にも真似できない七五三だ。それがいい、それでいいんだって思いながら、めちゃめちゃ撮った。まさにライブ、セッションであった。
広島の神社で式を挙げたUさんの撮影では、両家の親族の陽気さが居心地よく、わたしまで親族に連なったような気持ちになった。新郎側で列席したおじさまと食事の席で隣りになり、どういうわけか60年代安保と70年代安保の違いの説明を受けた。書家である新婦の父上からは、明日宮島に行くなら厳島神社でちょうど平家納経の本物が公開されているから見たほうがいいと勧められ、書の見方のレクチャーを受けた。写真好きの新婦の叔父とはカメラや写真の話になった。積極的に関わってきてくれるそのアプローチが楽しくて、撮影できていることを忘れそうだった。結婚によって親類が増えることのあったかい部分をめいいっぱい見せてもらった。
宮島では、新婦父に勧められた平家納経やその他の所蔵品に感激した。鎌倉時代末期のものがガラスケースの向こうにある。平清盛という歴史上大きな存在が書いた文字を900年くらい経った現在に見ることで、同じ地平の延長に自分が在るんだと実感する。時間は連綿と続いているのだと確認できる。また、秀吉が安国寺恵瓊に造らせ秀吉の死によって未完成の千畳閣では、あえて靴下を脱いで広々とした板間を歩き回った。足裏を通して安土桃山時代に直に触れるかのような感覚。その間には何百年もの月日が横たわる。秀吉もこの板間を歩いただろうか。そういうことを思うと、心が遠くへ飛び、清々しい気持ちになる。
11月に限らずだが、さまざまな感情が訪れじきに去っていくのを日々繰り返している。毎日毎日が違ってて、同じ1日なんてない。誰かが言ってた、今日がいちばん若い、と。ほんとその通りだ。いちばんの若さに身を任せ1日1日夢中で生きていたい。50の大台がうっすら見えてきたから余計にそう思うのだろうか。わたしの肉体がもうあかんと鼓動を停めるそのときまで、夢中で。ああ、そうか、ぱちも4年前の11月4日、鼓動が停まるそのときまで、夢中で生きてたんだな。
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静かな朝
http://muucyo.exblog.jp/239609334/
2019-10-01T19:06:00+09:00
2019-10-01T19:06:15+09:00
2019-10-01T19:06:15+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
その静けさに、自分の生活音を混ぜていく。バチンとガスを点ける。少しののち、ご飯を炊く鍋が吹いて蓋がカタカタ鳴り出す。玉ねぎをざくっざくっと刻む。煮干しダシをとっている鍋の蓋もカタカタ鳴り出す。板麩をぱきぱきと割る。わたしひとりの台所音など些細なものなのだろう。動きを止めるとたちまちに静けさに包まれる。
ご飯を蒸らしている間におかずの準備に取り掛かる。撮影がある日の朝ごはんは昼の定食並のボリュームを用意する。朝は食欲がない、なんてことが皆無なので、冷蔵庫のあり合わせの野菜で炒め物をこしらえる。それに納豆をつけて出来上がり。部屋に運んでぱちの遺影に向かって「いただきます」と言い、食べ始める。その頃には静けさは近隣の生活音に侵食されている。通りをゆく人の靴音、ゴミ収集車のスタッフさんが掛け合う声、どこかの家の洗濯機が回る音。時間がようやく動き始めたみたいな錯覚を起こす。静けさはあっという間にどこかへ行ってしまった。
真夜中の静けさと早朝のそれはまるで違う。前者の静けさには圧がある。自己主張し抑え込むような有無を言わせなさがある。一方後者の静けさはそっとやってきて、やってきたことを告げずしれっとしているような唐突感がある気がする。気付いた人だけの特権のような静けさ。その朝わたしは特権階級だったらしい。静けさを味わい、生活音との混ざり合いを楽しんだ。
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体幹の鍛錬
http://muucyo.exblog.jp/239332813/
2019-06-26T04:19:00+09:00
2019-06-26T04:22:49+09:00
2019-06-26T04:19:35+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
それまでは、疲労が溜まって腰が重たくなることは度々あっても、ストレッチや睡眠で解消される程度のものだったので、この降ってわいたような頑固な張りに不安を覚え、かかりつけの婦人科の門を叩いた。子宮とか卵巣とかに腫瘍ができ癒着等が原因で痛みが引き起こされているのではないか、と疑ったからだ。内診とエコーの結果女医さんは「可能性はゼロですね」ときっぱりおっしゃった。自分の杞憂っぷりと安堵から思わず「あはは」と大笑いしたのだった。
しかし、その痛みはその後も快癒することなくわたしの左腰に鎮座ましましている。前後に腰を曲げてもまるで痛くなく、ひねると痛む。ここが痛みの根源、という箇所も明白なので、親指でぎゅうぎゅう揉むと気持ちがいい。カイロの先生からは上半身の中心がずれていることを指摘され、「武藤さんの場合は職業病もあると思うんだけど・・・あとはですね、そろそろ体幹を鍛えないとマズイですね。筋力が弱いです」ときっぱり申し渡された。筋力が弱い、とな。重たいものをしょっちゅう持っているにも関わらず・・・?労働と運動は違うからね、というあっさりとした答えだった。
運動。できれば避けて通りたい。高校三年間の部活ライフで十分だ。一生分運動したくらいの気持ちでいる。体力的な理由というよりはメンタルの弱さが災いして、しんどい部活ライフだったのだ。ゆえに運動したくない。しかし体幹が弱いままだといずれ仕事ができなくなるよと言われたら奮起するしかない。先生に教わった自宅でできる体幹トレーニングをまずは取り入れることにした。三日坊主にならないようにと強く意識していたらかれこれ20日程続いている。Twitterで流れてきたトレーニングも組み込むことにして、狭い台所で寝る前に「いーち、にーい、さーん・・・」と孤独に黙々と続けている。気のせいかもしれないが、お尻が少し締まった気がする。実際はどうかわからないけれど、この小さな実感のおかげでやり甲斐を感じられるようになった。そして暇さえあればストレッチをしている。とにかく、ほぐす。痛みの深部を意識しながら、ゆっくりほぐす。日常生活の中で姿勢や重心のバランスを意識するようになった。相変わらず痛みは引かないが、痛みを飼い慣らせている状態だ。
自分の年齢を考えると、完治や向上を目指すよりも焦らずに痛みとうまく付き合ってこれ以上悪化させないようにするのが賢明なのかもしれない。四十代半ば界隈というのはそんな風に考え始める頃合いなのではないか。一生の中の晩夏〜初秋あたりかな・・・という思いに耽る。今年ももう半分が終わる。あっという間である。気持ち良く前向きに人生の秋を過ごすために、今宵もまた「いーち、にーい、さーん」と体幹を鍛える。そうこうするうちに、今年の残り半分もあっという間に過ぎてしまうだろう。
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丹沢あんぱんのこと。
http://muucyo.exblog.jp/239304836/
2019-06-09T09:38:00+09:00
2019-06-09T09:39:46+09:00
2019-06-09T09:38:25+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
それにしてもだ。改札を出てすぐ右側にもセブンイレブン、そこから50メートルくらい先の左側にもセブンイレブン。立て続けに3軒もある。いくら新宿駅の乗降人数が膨大だからといったって、さすがに多いのではないか。改札内の売店くらい小田急のままであって欲しかった。丹沢あんぱんへの未練が普段気にも留めないようなことを気にさせた。
わたしもコンビニはよく利用する。デスクワーク時のお供のおやつを買うことが大半で、たくさんあると食べ過ぎる、こらえ性のないわたしにはちょうどいい塩梅の、一回食べきりサイズのものを多く扱っているから。煎餅にきんつばに冬なら肉まん。毎回200円くらいの買い物だ。食事の類を買うことは滅多にない。
以前、コンビニにおにぎりを卸している会社の取材に出かけたことがある。製造工程を改善することで、1日何万個だったか何十万個だったか・・・とにかく、大量の注文に応えることができるようになりました、と現場担当者は大いに胸を張っていた。企業努力をしてクライアントの要望に応えるのは会社として正しいとわかっちゃいるけれども、その先にある食品ロスのことが頭をよぎり、手放しで称賛する気にはなれなかった。
先日の新聞に、賞味期限切れ寸前のものを購入するとポイントを多めに還元するなどして廃棄を減らす試みについての記事が載っていた。おにぎりを卸している会社に取材に行ったのはもう5年くらい前で、その頃よりもずいぶん食品ロスに関するニュースを見かけるようになった。フードバンクの存在を知ったのは東日本大震災の年の秋、被災地で食事支援をしている団体の人と石巻でご一緒したのがきっかけで、「フードバンク」という発想そのものに感銘を受けた。食品を余らせているところから足りていないところへと橋渡しする担い手であるフードバンクが、一体どのようにして運営資金を得ているのかまではわからないのだが、こうした人の生き死にに関わる活動にこそ行政が助成して欲しいと思う。自分だっていつかお世話になるかもしれない、セーフティーネットのひとつなのだから。
丹沢あんぱんへの未練がまさか食品ロスの話に行き着くとは・・・自分の思考の流れが不思議でならない。とにかく新しくできるセブンイレブンでも丹沢あんぱんを是非とも扱って欲しい。個人のささやかな要望である。
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平成の終わりに
http://muucyo.exblog.jp/239237566/
2019-04-28T03:30:00+09:00
2019-04-29T22:32:06+09:00
2019-04-27T14:24:59+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
たとえば落語。2003年、某雑誌の江戸幕府開府400年特集で落語を取り上げることになり、東京かわら版に取材へ行ったのがそもそもの始まり。2004年本誌リニューアルで表紙に写真を入れることになったからと撮影依頼をいただき、ありがたいことに今も続いている。これが契機になり落語に関する撮影は広がりを続け、最近では欧州落語ツアーに帯同して撮影をした記録が書籍になったり、SonyMusicの落語レーベルのCDジャケット撮影を担当したりと新たな展開が生まれた。カメラマンになりたての20代後半の頃、SonyMusicの出版部門から当時出ていた音楽雑誌に営業に行き、しょっぱい経験をしたのを懐かしく思い出す。続けてこられたからこその感慨。
そのそもそもの始まりの取材をもたらしてくれたS氏とは、お互いアシスタントとして関わった現場で出会った。私は25歳くらいだったか。その後S氏はフリーランスから制作会社勤務へと場を移し、いまだに撮影依頼をくれる。先日も新たな案件で声がかかったので、お会いしたときに「おかげでこういう本につながりました」と、発売したての「柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記」(フィルムアート社)を渡した。思えばいちばん古いクライアント。間違いなく私がカメラマンを続けてこられた大いなるキーパーソンだ。
キーパーソンといえば。去年の2月から撮影機会をいただいている渋谷らくごのキュレーター・サンキュータツオ氏は最近のキーパーソンだ。会場で事あるごとに私の名前を出してくださる。おかげで出演する噺家さんたちが彼に寄せる信頼の分け前をいただいているなと感じる機会が多い。若手の芸人さんとの接点も増えて新たな広がりが生まれている。
自ら単身営業に乗り込んで仕事を獲得してきたわけではなく、ほとんどが誰かからの紹介や先方からのアプローチで成り立ってきた私のカメラマンdaysを思うと、足を向けて寝られない方向だらけだ。時々思い返しては感謝の念を新たにする。自分の力で切り開いてきたなんて錯覚すらも起きないくらい、実にたくさんの方たちに活かしてもらってきた。そろそろ、活かしていただくばっかりじゃなく、機会あらば恩返しや恩送りをしていきたい。そんなふうに考えるようになるなんて、30代の頃には想像できなかった。
去年夏に撮影した某大学のパンフレットの表紙モデルに起用された学生さんが、心のバランスを崩してしまい、このまま彼女案の表紙で進めるのはまずいのではないかという声が上がったそうで、再撮になりそうだとAD氏から連絡があった。飛行機で行かねばならないところで私が再撮に行くとなると予算超過になってしまうこともあり、結局現地カメラマンが撮った写真に差し替えになった。AD氏は次回のパンフレットで使ってもらえるよう画策しますとメッセージをくれたのだが、自分の写真が使われなかったことをどうこう思うよりも、モデルになった彼女が健康を回復して、無事に資格を取得し社会で活躍することを心底願っています、と返事をした。30代の頃の私だったら、どうにかならないの!?って反応をしたんじゃないかと思う。自分を推す気持ちが強かった。今だって、街中の広告を見かけては私がこの仕事をしたいよ、私ならこう撮るんだけどな、などと思うことは日々あるのだが、「私が私が」と思う気持ちの角が取れてきたように感じている。来るべきものはきっと遅かれ早かれやってくる、と少しずつ思えるようになってきたのかもしれない。応えられる準備が整ったときにやってくるのではないかと。そんなわけで最近心が静かだ。
元号が変わったからといって、全てが好転したり解決したりするわけではない。リセットではなく、平成の暮れ方になってようやく獲得したこの感触を次の元号でも引き継いでいきたい。
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人参の話。
http://muucyo.exblog.jp/239209098/
2019-04-09T01:59:00+09:00
2019-04-09T02:03:25+09:00
2019-04-09T01:59:15+09:00
naomu-cyo
フォトダイアリー
月に一度、福島県の白河・泉崎界隈の農家さんから野菜が届く「福野菜プロジェクト」の会員になってかれこれ4年程経つ。きっかけは旅媒体の取材。そのエリアのいくつかの農家を訪れ、原発事故以降福島の農業が直面している問題や打開策などをさまざまに伺い、これなら自分でも関われると思い、このプロジェクトに参加することにしたのだ。
これまでにも人参はちょくちょく配達される野菜の中に混じっていたのだが、3月便で届いた人参が殊の外美味しかった。自分では人参を滅多に買わない。スーパーで通常売っている人参がどうもシャバシャバと水っぽい感じがして、美味しいと思えないからだ。年にほんの数回買うのは、年末に正月料理用に並ぶ金時人参や駅などで臨時に店を出している有機農家さんの立派な葉の付いた人参で、前者はその味の濃さが好きだから、後者はその立派な葉を食べたいからで、それ以外には手を出さなかった。
ところがである。3月便の人参があまりにも美味しかったがために、福島の人参がとりわけ美味しいのかもしれないと、新宿にある福島のアンテナショップを兼ねたカタログハウスの店に行ってみた。そこで「郡山ブランド御前人参」なるものを見つけた。2本で200円越えだから割高ではあるが、美味しいと感じない近所のスーパーの3本200円を買うよりはと御前人参を買って帰り、セロリやレンコンと炒めて食べた。これがとても美味しかった。熟した味というのだろうか、みっちりとした味だった。その後も人参目的で店に行き、店員さんに「この人参がほんとうに美味しくって」と伝えると、「そうなんです、美味しいんですよ。でももうすぐ時期が終わっちゃうんですよー」と残念なお知らせ。スーパーでは年がら年中それこそ見かけないときがないというくらいいつもあるから旬というものを忘れていたが、人参にだって旬があるのだ。たまたま今年は旬の時期に旬としての人参を食べ美味しい人参の存在に気付けた。
先月取材で福島県三春町にある有機農家さんがやっている直売所兼カフェを訪れた。カフェの食事に使われていた野菜も買って帰った野菜も皆すこぶる美味しかった。均質化されていないそれぞれの個性がしっかり残った、土の存在が感じられる実直な味がした。主に農家さんの取材で福島にはちょくちょく行っている。そのたびごとに原発事故以降福島の農業が直面し続けている問題についての話を伺う。そしてなかなか夜明けが訪れないことも。こんなに美味しい野菜を作っていて、シビアに検査をしていても、なくならない問題の数々。自分は現地に行って話を聞き作物を味わう機会に恵まれている。ならば自分は美味しいものは美味しいと受け入れ続けていたい。この三春でも月に一度野菜の宅配便をやっているというので、早速このたび申し込んだ。同じ食べるなら、美味しい野菜でおなかを満たしたい。ただそれだけの、素朴な欲求だ。
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