フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
 わたしの中の「みすゞちゃん度」はどれくらいだろう・・・稽古を観終えて真っ先に思ったことだ。

 本日12日19:30、みすゞちゃんの妄想炸裂な舞台が幕を開ける。その前にゲネプロ撮影をするので、役者さんの動きと照明加減をさらっておくために、きのう劇場での通し稽古を観てきた。

おおのの「みすゞちゃん」いよいよ開幕!_a0025490_1044753.jpg
 去年暮れの時点では金子みすゞを軸にした作品にするつもり的なことを話していた大野さん。半年後、その構想はすっかり変わっていて、太宰治の短編「女生徒」をベースに、太宰の他作品や金子みすゞの詩を絡めながら、主人公・みすゞの妄想が疾走する物語となっていた。大野さん、また愛しい作品を生み出してくれた。いつも大好きになる作品ばかり作ってくれる。撮影に備えた下見そっちのけで作品世界に没頭した。

 みすゞの目を通すと、彼女の周りにいる人たちも妄想疾駆型ばかりだ。会社の上司は失恋した部下を慰めるのに太宰治の「斜陽」を引っぱり出すし(その引用箇所がわたしの大好きな場面で、大笑いした)、デート相手の同僚は美術館内をいきなり合戦場にしてしまう。一方、こうした大いに飛躍する妄想の先にノスタルジーも感じられたりするので、合間合間にしみじみさせられる。大野さんのこういう押し引きの加減、わたしはとても好きだ。

おおのの「みすゞちゃん」いよいよ開幕!_a0025490_1047690.jpg
 「妄想女子と妄想男子の闘いだから」と大野さん笑って言う。妄想男子?と問うと、「俺がね」と。書いてて恥ずかしくなっちゃってさ、と通し稽古後の喫煙所でほんとに照れくさそうにしていた。それも立派に大野作品の魅力のひとつだよ。

 毎年「おおのの」名義で文学ネタの舞台をこしらえる大野さん。ふだんは花組芝居で演出助手をしている。花組芝居のエッセンスも薫らせながら、現代にあっては昔気質風の文学世界に今の風を吹き込んで、新たな魅力を伝えてくれる。太宰の命日「桜桃忌」が近付くこの時期に、この舞台。久しぶりに「女生徒」を読み返した。主人公の少女がそのまま大人になったらみすゞちゃんみたいな人になるんじゃないかしら・・・。改めて、太宰作品の普遍性に感じ入ったりなんかした。

 おおのの公演「みすゞちゃん」は12日から16日まで。下北沢小劇場楽園にて。詳細はこちらで。
# by naomu-cyo | 2013-06-12 10:48 | お芝居 | Comments(0)

「うじうじ」now on sale!

 梅雨入りしたこの時期にあまりにも寄り添いすぎるタイトルの「うじうじ」(PHP研究所)が発売になった。著書は噺家の立川志ら乃さん。帯と中ページに撮影した高座写真を使用していただいた。ありがとうございます!

「うじうじ」now on sale!_a0025490_1111380.jpg
 企画から5年で出版にたどりついたんだそうで、志ら乃さんの独演会を撮り出したのが2008年だから、同じ頃に企画も芽吹いたことになる。独演会の楽屋横で担当編集T氏とはよく顔を合わせており、本ができる暁には写真をよろしくお願いします、と声をかけていただいていた。

 先日、志ら乃さんから宣材写真を撮って欲しいとの依頼をいただき、事務所で撮影した。撮りながら四方山話が止まらないし、話しながらのほうがいい表情が出てくる。ここ1,2年くらいとても疲れているように見えることが多かったのでそう伝えると、昇進後の3月の披露目の会ではっとした、今まさに気力があふれている、という。話をきいていると、志ら乃さんが先輩にかわいがられ後輩には慕われる姿が容易に想像できる。愛嬌があるし、コミュニケーション能力も高いし、なにしろ機転がきく。そしてしっかりと空気を読める観察眼もある。そういうキャラクターが高座にももっとふんだんに生かされていったら強いんじゃないかしら、と思う。

 志ら乃さんが真打ちを目指している途上で、撮りながら感じたことがある。師匠から評価されることが絶対、と思っているかのように見えた時期があった。精神的な拠り所や指標はたしかに師匠かもしれない。でも、あなたの芸を受け止め支えてゆくのはお客さんなのだから、もっとお客のほうに心を傾けてもいいのでは、とらわれていませんか・・・そんなふうに感じたことが何度かあった。ところが今回、真打ち昇進を果たされて半年がたち、撮りながら話していて、なんていうか風穴が空いたような風通しの良さを感じた。

「うじうじ」now on sale!_a0025490_1017723.jpg
 先が長い噺家という商売、その長い途上でどんなふうに心模様が変化していくかなど、わたしには想像もつかない。途轍もない孤独感や虚無感に襲われることだってあるだろう。そのたびに高座での表現も変わっていくにちがいない。どんな状況であれ聴き手としてついてゆこうと思うのは、座布団の上の人がこれからどのような軌跡を描いてゆくのかが気になるからで、ひっくり返せば、気になるくらいの魅力が備わっているのを見い出しうるからだ。撮り手として聴き手として、わたしは今後も関わってゆくつもりでいるので、きっとこれからも様々な状況下の高座に接することになると思う。伸びゆくときもあれば停滞するときもあるだろう。いつか、志ら乃さん的至高の高座に接することができたらいい。とことんまで高座を楽しみ尽くしている姿を見たいし撮りたいって思う。

 (写真下、著者近影。実にすがすがしい笑顔。)
# by naomu-cyo | 2013-06-11 10:15 | 落語 | Comments(0)

今年の父の日には

 昼過ぎに撮影が終わったので、事務所に寄ってさっさとデスクワークを済ませ、夕方に帰宅。納品作業が久しぶりに落ち着いて、晴れ晴れとした気分だ。猫砂を買いに出た足で一週間ぶりに麗さんのお店に行き、お茶ではなく越後の黒ビール(名前失念、途轍もなくおいしい)をひっかけ、長居せずに帰宅して夕ご飯。ルッコラとエリンギとミョウガのパスタに南瓜の煮物という妙な組み合わせ。おいしくできたし野菜もたくさん摂れたので、この際組み合わせのことなどどうでもよい。

 さほど遅くない時間帯に余裕があるのは久しぶりな気がして、実家に電話を入れた。「あら、久しぶり」と母。「父の日、お父さん何が欲しいだろう?」と訊くと、「おとうさーん、奈緒美が何欲しいかって言ってるわよー」と受話器の向こうで訊いている。特に何もないんだって、でも夏の寝間着が一枚しかないからそれがいいわよ、と母。母の日に続き、贈り物は寝間着に決定。しばし近況報告をし合っていると、「将司が用があるみたいよ」といって「もしもし」と弟が出た。わたしに用なんて珍しいと思ったら、六本木のゴルフグッズの店でオリジナルウェアを二枚調達して欲しいという。さてはもうじき誕生日なのを見越しているにちがいない。身長を訊くと168だというので、「じゃ、お店の人に『168センチでけっこうデブ』と言えばサイズわかるかね?」と言ったら、「大丈夫でしょう」とわたしの「けっこうデブ」発言をさらりと肯定した。おいおい・・・。アメリカモデルならM、国内モデルならLか2Lだという。「入らなかったら入るように痩せなさいよ」・・・当人を前にしては言いにくいようなことでも、身内の気安さでバンバン言う。「痩せるつもりで最近走ってるから」と弟。痩せる前に膝が壊れなきゃいいが・・・。

今年の父の日には_a0025490_2365434.jpg
 うちの両親はそろって背が低くころっとした体型で、弟はけっこう太っている。注意しないとわたしも太るに違いない。肉体労働者としては太ると仕事にならないから、それなりに気をつける。痩せる、のではなく、太らないを目標とする。ここ数年連続で夏の暮れに入ってくる案件があり、この現場がけっこうハードなうえに残暑も手伝って、関わっているうちに確実に痩せる。冬場に体重が戻ってまた夏がきて・・・の繰り返し。今年も入るといいな、夏痩せ案件。
# by naomu-cyo | 2013-06-10 23:06 | フォトダイアリー | Comments(4)

季節のかわりめ

 先月末あたりからどうも睡眠が足りてない。夜は眠くならないし、遅起きで大丈夫な朝でも8時には目が覚める。おのずと睡眠時間が短くなる。それでなのか、飲むとところ構わず眠くなる。こないだなど二軒目に行ったバーで、照明が薄暗かったのも手伝ってかスツールに座った状態でうとうとし、友人を呆れさせた。帰りの電車で爆睡し乗り過ごすこともままある。

 こういう時期がたまーにある。仕事がさほど忙しくない時期に多いので、肉体労働者としての疲労が足りないせいだと決めつけていた。ところがそういうわけでもないらしい、どうやら。

 きのう撮影後に制作会社に勤める友人と麻布十番で待ち合わせ、松美屋のセールで夏着物たちを前に鼻息を荒くした。「着るのはタダですよー」と店主が言うものだから、気になるものをあれこれ羽織って大騒ぎして、ほかのお客さんの着姿に「素敵!お似合いですよ!」と声をかけ、「でも予算オーバーなの」というその人に、「予算とは常にオーバーするものです」なんて言ってみたりして、やいのやいの楽しんで、近場のバールに入った。わたしと合流する前にマッサージに行ってきたという友人は最近眠れないのだという。わたしもだよ多分疲労が少ないからだと思うけど、と言うと、なんでも季節のかわりめというのは気圧も変化し、それに順応する能力が女性は弱いのだという。ゆえに、眠れないとか疲れがとれない、ということになるらしい。健康や美容に関する媒体を数多く制作してきた彼女が言うだけに、説得力があった。

季節のかわりめ_a0025490_11484961.jpg
 自分などわりと雑で図太い体質だと思っているので、女性の生理的なメカニズムも大雑把にとらえてきたのだが、もしかしたらそう思っているのは自分だけなのかもしれないなあと思った。ひょっとして季節のかわりめに順応できてないのか、わたしも。

 救いはどんな季節にあっても食欲が落ちないことだ。寝不足だろうと朝ご飯は時間が許せば定食並みにがつっと食べる。そのせいか昼はおなかがすかないので食べないことも多い。夕方に小腹がすいてせんべいやかりんとうを齧る。そして晩ご飯もがつっと食べる。基本的に自炊し、野菜や豆、海藻ばかり食べている。味噌汁はほぼ毎食付ける。我ながら地味食だなと思うようなメニューだが、それで体調がいいから足りているのだと思う。肉やあげものは外食のときに食べるくらいでちょうどいい。

 今朝はこないだサンちゃんにいただいた自家製スナップエンドウと、霞ヶ浦のレンコン、静岡のじゃがいものガーリックオイル炒めに、山形の漬け物、味噌汁とご飯、はっさく1個。寝不足だけど朝ご飯が今日も旨かった。眠れないということがまるでなさそうな我が家の猫のいびきを聴きながら、もしかしたら食べているからもっている身体なのかもしれない、と思った。さて、がつっと寝るにはなんとしよう・・・。
# by naomu-cyo | 2013-06-09 11:49 | 食べ物 | Comments(2)

「暑気払い」

 梅雨入りしたらしいけど毎日天気が良く、かといって夕方になると気温が下がるから、キンキンに冷えたビールで喉の乾きを潤さずにはいられない・・・というわけでもない。空梅雨も冷夏も秋の収穫にさしさわりがありそうだから困るけれど、なんだかとても過ごしやすい。

 「暑気払い」という響きがとりわけ好きで。新年会とか年度納めとか忘年会とかいう言葉もいい。久しぶりに逢いたくなった友人やちょっと気になっている人、交流をもっと深めたい人・・・などと一緒に飲みたいな、なんて場合に、これらにかこつけて誘いやすくなる気がする。ふだん頻繁に飲み歩いているわけではないから、誘うのに理由付けをしたくなってしまうのだ。まだ本格的な暑さを迎える前から「暑気払いでも」を乱発している。逢いたい人がやたらと多い。

 うちのアパート1階のいちばん奥の部屋は大家さんの姪の倉庫同様になっていて、今は彼女の友人が滞在しており、今朝ドアを開けたらその人とばったり遭遇した。年の頃は50代後半くらいか。初めましてと挨拶し合い、だんなさんの仕事の関係で滞在しているスウェーデンから一時帰国していること、生まれたときからずっと小田急線沿線で暮らしてきたことなどをひとしきり話した後で、「帰国中はほうぼうの友人と逢っているので帰りが毎日遅くて。この年になると、病気で入院している友人のお見舞いやお墓参りなんかも多くてね。逢えるときに逢っておかないと」とにこやかに、でもちょっとさみしげに話していらっしゃった。

「暑気払い」_a0025490_0491234.jpg
 スウェーデン行ってみたいです、白夜があるんですよね?と尋ねたら今がまさに白夜の時分だそうで、「こんなふうに薄曇りな感じなの、夜が。冬は寒くて食材も少なくなって。夫の仕事が片付いたらすぐ帰国するわ」と笑う。名前は忘れたんですけど、めちゃめちゃ臭い缶詰ありますよね?と尋ねたら、「そうなのよ。発酵して缶がぱんぱんになって、開けると爆発したみたいになって。ほーんと臭いのよー!」と。みんなそれを食べるんですか、と尋ねたら、一部の地域の人たちの郷土食みたいなものなのだという。「そんな臭いものを平気で食べるくせに、納豆を臭い臭いこんなの食べるなんて信じられない、っていうのよ。面白いわよね」と教えてくれた。

 彼女とお別れした後、駅へと歩きながらつくづく思った。逢いたいと思う人にはその都度逢っておかないとなあ、と。義務とかそういうんじゃなくて、逢いたいと思ったその気持ちに素直に従うだけの話だ。なにも「暑気払い」を持ち出さなくても、逢いたいなら逢えばいい。タイミングが合わずなかなか逢えそうもないときもあるけれど、それはそういう時期なだけで、次のタイミングを待てばいい。待つ間に逢いたい気持ちが落ち着いちゃうこともあるけれども・・・。
# by naomu-cyo | 2013-06-07 00:49 | フォトダイアリー | Comments(0)