フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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なさけない記

 3ヶ月以上空いたにも関わらず、そこに触れるとすべてが書かないでいたことの言い訳めいてくるのですっ飛ばすことにして、と。

 郵便局からの帰り道、仕事場近くの遊歩道の次第に緑が増していく樹々を見上げながら考え事をしていた。

 大したことは考えていない。

 今日はいい天気だな。今時分の緑は冴え冴えとして実に爽やかであるなあ。今日も仕事場にいい光が入っている。きのうの光も絶好でいい撮影ができた。光を作るのは苦手だけど、入ってくる光を遮ったり透過させたりして塩梅するのは得意だ。Y嬢との仕事はいつも、対象であるモノとそこに在る光をじっくり見つめながら進められる案件で、いい写真が撮れたという実感がある。そういう仕事をもっともっと増やしていきたいものだよ。その光を手放したくなくて店賃を払っているようなもんだしさ。店賃なー。これを捻出するのが大変なんだけど。頭のいい息子を中高一貫校の私立といくつかの学習塾に通わせているようなもんだな・・・というような流れでわたしの思考は動いていた。そこではたと止まった。わたしが仕事場に毎月払っている店賃は、学生時代に両親が仕送りしてくれていた金額と同額ではないか。借り始めて9年目の気付き。うひゃあとなった。

 仕送りプラス毎年の学費。結構な金額である。それを4年間算段してくれていた。なのにわたしはといえば、単位をぼろぼろ落とし、バイトと映画館通いに明け暮れ、ろくに勉強をしなかった。かつ不安定極まりない仕事を選び、結婚も出産もせず親に仕送りすることもなく40代後半に突入した。世間的にわかりやすい親孝行が全くできていないのだから、これはもう息災に真摯に幸せな気持ちで日々を全うしている姿を見せることくらいでしか親孝行は成り立たんだろ。父よ母よ出逢ってくれてありがとう。この世界に生んでくれてありがとう。奈緒美はめちゃめちゃ楽しく濃く充実した毎日を生きてます・・・わたしにできる唯一残された親孝行がこれなんじゃないか。

 ここのところ心のキレが悪くて、意気消沈気味だった。しょぼくれていると考えることも貧相になっていき、自分を見失っていた。光が明るい季節を迎えマスクを外した顔を見てシミが増えていることに愕然とし、物理的なケアすら怠りまくっていたことに気付いて、慌ててパックやらなんやらを購入した。髪を切りに行ってヘアメイクの美紀さんに近況報告したら「むーちょはね、ミソもクソも一緒になってるの。何にでも余計な感情を持ち込みすぎなの、整理できてないの」と頭の上から言葉が降ってきて、あまりにも思い当たることが多すぎて腑に落ちて、脳内を覆っていたもやもやの膜がペロリと剥がれた。憑き物が落ちたみたいに。「いちにち、いちにち、その日その日、と思って過ごすのよ。そういう思考に意図的に変えてゆくの。そしたらそういうふうになっていくんだから」と。しているつもりでいたけれどできていなかった。あれもこれもみっともないことであった。

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 自分の生のかたち。自分の在り方。いくつになってもそこでつまずくし揺れる。心のかたちがなかなか定まらない。美紀さんに言わせれば「余計なことを考えるのはね、むーちょ、暇ってことだよ」ということらしい。懸命に生きていないのかもしれない。いや、そうなのだろう、集中していないのだろう。言われて「うわっ、なさけない」と恥ずかしくなった。自分のことが一番わかっていない。

 仕事場の光を思ったことが引き金となって改めて親への感謝がつのり、そしてしあわせでありまくってやるぞという決意に至った。そろそろ連休だし久しぶりに帰省して親の顔が見たいなあと思ったのだけれど、「今年は町内会の班長だから感染拡大が止まらない東京から娘が帰ってきているなんて外聞がよろしくないもの、帰ってこなくていいわよ」と言い渡されているので、しゃあない、去年同様東京でいちにち、いちにちを刻んでいこう。

 相変わらず自分の取り扱いに手を焼き(美紀さんに言わせれば暇だから、だ。その通りだな)、自分の匂いを嗅ぎながら同じところをぐるぐるうろうろしているみたいなことの繰り返しなのだが、それでもわたしはそんな自分を諦める気にも見放す気にもなれない。善く、良く、生きたい、生きていたい。「今日いちにち、よく生きました」。その姿勢は基本だし真理なのだろう。そこだ、そこ。そこから。

 お知らせ。去年の自粛期間中に考えたことをようやく実行、ネットショップを開きました。
 オリジナルの紙類を写真で作ってみませんか?

# by naomu-cyo | 2021-04-20 12:29 | フォトダイアリー | Comments(0)

新年明けたものの

 あけましておめでとうございます、本年もよろ・・・
・・・なんてのんきに言っている場合じゃない、もう7日だ。それにまた緊急事態宣言出たよ、出た。新しい年をことほぐ気持ちがすっかり吹っ飛んじゃった。

 実に約半年ぶりの更新・・・よくもまあ、そんなに放置したものだ。
あれやこれや、書き留めることは毎日とはいかないにしてもあった、いくつもあった。でも、去年の自粛解除以降のわたしはなんだかずっとせかせかしていて頭の中がパンパンで、多分疲労を溜め込み続けていた。ありがたいことに解除になった後仕事が順調に回復して、それに懸命に取り組むので精一杯だった。

 年が明けた。今年は年女だ。そして聞いた話だと風の時代という層に突入したらしい。そして来年から2年間わたしは天冲殺に入るらしい。種まきは今年のうちにね、と助言をいただいた。この状況下でどう種まきしていこうか・・・1月いっぱいは緊急事態宣言に再び行く手を阻まれそうだ。半ば籠城のような状況になるだろうから今年の陣立て(年をまたいで歴史小説「じんかん」(今村翔吾/講談社)を読みふけり、戦国時代の大和国へと現実逃避していた影響でこんな表現に・・・)はその間に考えることにしよう。

 何はともあれ、元気だ。ありがたい。ゆくぞ、2021。
(写真は2018年11月にベルギーのゲントからブリュッセルに向かう列車から撮った牛景)
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# by naomu-cyo | 2021-01-07 20:00 | フォトダイアリー | Comments(0)

松山行き

 いちばん遅く復活するか、そのままなくなってしまうなんてことも・・・と危惧していた毎度遠出の案件がいちばん早く復活した。ダメもとで取材の打診をしたら快く受けてもらえたんだそうで、今回は豊田と松山です、と連絡が入った。まさかの松山。こんなに早く実現するとは。

 松山にはSNSでやりとりをしている同業者が居る。自粛期間中に何の気なしに作ってみた自前ポストカードを使った栞が思いの外いい出来だったので、instagramに「欲しい人、送ります」と栞写真を投稿したら、松山のMさんから名前と送り先を記したメッセージが届いた。栞三点と手紙を書いて送ると、届きましたの連絡。松山出張の際には連絡しますね、叶うよう念じておきますと返事をし、そのやりとりからふた月も経たないうちに決まった松山行き。へえええー、こんなこともあるんだ、念が通じるのが早い!と驚いた。しかも、今回は前泊して取材ふたつ、2泊3日の滞在。時間に余裕がある。前泊日は早く現地に赴くことにした。

 この案件は遠出がほとんどで、せっかく遠出したのだから宿泊代は自腹を切って軽く観光でもして来ればいいものを、いつも慌ただしくしてしまいとんぼ返りが常だった。初めての宮崎行きも高知行きも、覚えているのは帰りに自分用に買った現地の食べ物(宮崎では国産ゴマ、高知では絶品芋ケンピ)だけで、街の雰囲気や風景をろくに覚えていない。納品が溜まっているとか翌日が撮影だとかで、毎回もったいないなと思いつつも、仕事の出張なんだしと割り切ってきた。この度のコロナ禍で遠出が制限されてみると、そんな慌ただしい遠出すらも恋しくなる。再び移動が叶うようになったら、遠出案件を存分に味わおう、そのくらいの気持ちや時間の余裕を持てるように変化していきたい・・・そう思っていたところだった。

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 前泊する日は天気が良く、フライト中は窓に張り付いて空からの景色を楽しんだ。ここ数年頭の片隅でずっと意識している琵琶湖を眼下に眺めうっとりし、瀬戸内の島々が見えてくると源平合戦屋島の戦いを想像した。地上から国土の形や川の線を確認するのが好きなのだ。加えて3か月ぶりの遠出である、いちいちが嬉しいやらありがたいやらで染み入るのだ。

 そうするうちに松山空港に到着。リムジンバスで市内まではすぐで、チェックインしてひと息つく。Mさんと待ち合わせして、自己紹介もそこそこに、松山城を見上げる公園に連れて行ってもらった。SNSマジックとでも呼ぶのだろうか、お互いをよく知っているような気になるこの感じ。同業者であることも大いに影響しているんだろうけれど(そしてわたし自身が人づきあいにおいて大雑把であることも・・・)、変に気をまわしたり相手の出方を伺ったりが全くなく、ほんとにすっと会話に入った。それからずっと、お別れするまでしゃべり続けた。現地のお仕事事情、Mさんの家族の話、写真を撮ることについて・・・写真を撮ることそのものについてこんなふうに大真面目に話したのなんていつぶりだろう。久しぶりすぎて、まるで初めてのことであるかのように粟立つような心持ちになった。濁っていかないように澱まないように、こうして時々口の端に載せることは必要なのかもしれない。Mさんとその肩越しに広がる緑の多い風景を眺めながら、おそらくわたしは自分にとってポートレイトを撮るということについて再確認していた。

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 翌日と翌々日の取材撮影は順調に済み、帰京の便はいちばん遅いのを予約していたので、取材後に足を伸ばして内子の町に行ってみた。かねてより来てみたかった内子座は見物者が他になく、独り占めだ。ほうぼう写真を撮りまくり、あちこちの客席に座って舞台を想像した。建物があることで往時の隆盛を想像できるというもの。遺してくれてありがとう、である。思わず勢いで内子町の図録三冊を購入し、自宅に送ってもらうようお願いした。置かれていた見本誌をめくってみたらたまらず欲しくなってしまったのだ。「文化」「民俗」「歴史」に分けられた三冊はそれぞれが結構なボリュームだ。さてわたしは何処に行きたいんだろうね、何処を目指しているんだろうね、とひとりでにおかしくなった。

 そのまま時間いっぱいまで内子の町を散策したいのは山々だったが、土砂降りが続いていた。電車が止まるなんてことが起きたら面倒である。仕方がない、町歩きは次回に残しておこうと、内子座をたっぷり見学するにとどめ、帰京した。

 久しぶりの遠出仕事を通して、ちょっとしたことなんだよね、ちょっとした意識の変化で手ざわりが全く違ってくるんだよね、と確認する。今ならこれまでと違う手ざわりが得られそうなんだ、だから粘ろうと思う。今の年齢でフリーランスのフォトグラファーという立場はこれからしんどくなっていく気がしているけれど、それでもできるだけ粘ってみようと思うのだ。

# by naomu-cyo | 2020-06-28 10:29 | お仕事 | Comments(0)

意識の進化

 興行というものが軒並み中止になり数ヶ月。わたしがこよなく愛する落語の世界も同様で、寄席ですら閉まったのが4月上旬。それから続々と動画配信が始まった。

 昔、野田秀樹率いる夢の遊民社の公演が深夜だかにテレビ放送をされたことがあり、ここの舞台を観たことがなかったわたしは楽しみにテレビの前に陣取った。が、そのあとの記憶はない。全くのめり込めないままにおそらく寝落ちしたんじゃなかったか。同じことは落語の収録放映でもお能や歌舞伎の放映でも起きて、ナマモノはやっぱりその場で観ないとダメなんだと痛感した。同じ空間にいて受け取る空気の振動だとか音の響きだとか衣摺れの音だとか、映像になるとそれらが消えてしまっている、と。

 そんな経験もあったので落語の動画配信を観ることにあまり気乗りせずにいたのだが、こうまで増えるとどうにか苦手意識を克服したくなる。だから自分なりに理由の分析を試みた。実際に会場でこれらを観るときは、自分の視野自分の視点で観ている。舞台全体が視界に入っていても、主人公の横顔だけクローズアップして観ていたりする。自分の目がその都度望遠レンズにも広角レンズにも変化する、つまり恣意的な観方が可能だ。しかし、映像になってしまうと、映像のカメラはこちらの恣意的な視線には答えてくれないどころか、そのカメラそのものが一つの視点になっており、その視点で観させられているという状況が続く。これがストレスになり、集中できず寝落ちする羽目になる。ナマで観るというのはなんと自由で贅沢なのだろう。

 おそらく、わたしの感覚が硬いのだろう。もっと柔軟であったら、ナマと映像の間ですいすいとスイッチを切り替えられるのだろう。仕方なく落語に関しては動画配信の音声だけで楽しんでいたところ、民放深夜で落語の放送があるという。そうそうたる噺家さんが並ぶ。これはとりあえず観てみなくては・・・。

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 この放送、バラエティー番組の中での落語というスタイルをとっており、司会者が登場する噺家さんを紹介をして進められる。ああ、なるほど。こうなると現場でナマの感じとかいうことを気にしないな、最初からテレビ前の視聴者用に番組として作られているもの。落語の最中のカメラの切り替えや背景装飾の騒がしさは最初気になったけれど、途中で慣れた。落語会というよりも落語ショー感、見せ方のスタイルが別物なのだ。あ、いけるいける、観られる観られる。しかし気を緩めた結果腹ばいになり、深夜であることも手伝って寝落ちした。なにせこの日は朝6時台に起きたのだ、無理もない。

 小説を紙で読んでも電子書籍で読んでも音で聴いても小説そのものは変わらない。わたしは紙の手触りも装丁もめくるという行為も好きなので紙で読むのを好む派だが、出版社の有料月刊web配信でいくつかの文学作品を購読している。気になった作品はスクリーンショットをしプリントアウトして手元に置いている。まあ、いつか書籍化すると思うが、手元に欲しい作品はそのとき購入すればいい。このことと落語の放送も同じなのではないかと今回気づいた。向こう側にいる演者と落語は(いい意味で)変わらない。受け手側の手触りの問題なのだ。それはそれ、これはこれ、なのだ。こうであらねばならない、の問題ではない。

 とはいえ、配信なり映像なりというのは受け取るこちら側の集中力が寄席などで聴くよりもずっと必要な気がする。モニターなりテレビなりで視界をいっぱいにすることは無理なので、視界に映る別物や手に触れるアレヤコレヤに気が削がれたりする。結果、アウトプットがどうであれ、受け取る側の問題なのだということを痛感したのだった。自分なりの原因がわかって苦手意識は克服できそうだれど、なにセ東京でお安くない家賃を払っているのだ、ナマで聴きに行ける距離なのだもの、ああ、気がねなく寄席に行きたい。新宿や浅草は営業を再開したけれど、まだ行きかねているところなのだ・・・。
 

# by naomu-cyo | 2020-06-08 12:48 | 落語 | Comments(2)

此比都ニハヤル物

 新型コロナウィルスによる緊急事態宣言が解除になって数日後、唐突に、「このごろ都にはやるもの・・・」という言葉が頭をよぎった。しかもJITTERIN'JINNのヒット曲の冒頭「あなたが私にくれたもの〜」のリズムにのって。あ、これ何だったっけ、歴史の授業で習った記憶がある・・・早速インターネットで検索したところ、後醍醐天皇の御代、建武の新政の渦中に掲げられた二条河原の落書の冒頭の言葉だった。

此比都ニハヤル物 
夜討(ようち)強盗謀綸旨(にせりんじ)
召人早馬虚騒動 ・・・

 思えばコロナ渦中で売れていたもの(流行っていたもの)って、マスクに消毒液、ビニールシート・・・何だか色気のないもんばっかりだな・・・と思った矢先に浮かんだのが「此比都ニハヤル物」だった。どれもこれも消耗品で、手元で慈しむ類ものではない。ウィルス蔓延状況でそれらが何よりも優先するべきものであることはもちろん重々承知しているが、モノ好き買い物好きなわたしとしてはその現象に何だかひどく悲しくなった。

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 マスクは友人からもらったものと実家から送られてきたものとを湯煎して繰り返し使ってしのいだ。並んで買うほどの真剣みもなければきれいに手作りできるほど器用でもなかった。消毒液は仕事場の来客用に購入しただけ、ビニールシートは買っていない。その一方で、やたら手紙を出したのでふだんよりも切手代がかかり、作品撮りで歩き回るためのウォーキングシューズを買い、これはどうしても欲しいと浴衣生地を買い、未読本がたくさんあるのにさらに何冊もの本を購入した。「此比都ニハヤル物」よりは色気があるだろうか。できることならミニシアターのクラウドファンディングや飲食店のテイクアウトにも積極的に協力したいところだけれど、東日本大震災のときとは話が違って、今回は自分の仕事もめちゃくちゃ打撃を食らってしまっていて先が見えない。無理はできない状況だ。

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 物品に限らず、コロナ渦中から今に至るまで「此比都ニハヤル物」はいつになくめまぐるしく移り変わっているように思う。SNSを眺めているとそのスピードにクラクラし、ついていけてない自分に気付く。こんな流れに身を任せなければいけないのだろうか。いや、いいのだ、ついていかなくても構わないのだ。マスクや消毒液、ビニールシートに対応したときのように自分のペースや考えでコロナ後の世界に慣れていけばいい。自分で決めていいのだ。

 コロナのダメージはまだまだ後を引くだろう。むしろこれから本格化する可能性が高い。今年はもう半ば諦めた気で、コロナ渦中に思いついたことをひとつずつ形にすることを目標にしてゆこう。周りの流れは見ない。もともと歩調を合わせてきたわけではないのだ。

(写真 コロナ渦中で移り変わった花の風景)


# by naomu-cyo | 2020-06-03 07:50 | フォトダイアリー | Comments(0)