フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


by naomu-cyo
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

送り出す心地。

 去年あたりから、二つ目昇進が決まった噺家さんの宣材撮影を依頼される機会がぐんと増えた。二つ目以前、前座の間は、羽織も袴も許されない立場。二つ目になって晴れて着用が認められる。

 前座さんは楽屋で師匠方の着付けを手伝うけれど、手伝うのと自分が身につけるのとでは勝手が違うんですよと聞き、さすがにわたし自身は袴の着け方まではわからないので、撮影前に練習してきてくださいねと伝えるようになった。体型の似た方に教えてもらうといいですよ、と一言添える。

 撮影で初めて身につけるという人が大半だから、板についてないしなんとなくバランスも悪い。羽織の左右の紋の高さがずれていたり袴の裾が後ろの方が長くなっていたり、全体的に丈が短く着付けられていたり。宣材写真はしばらく使うものだから、撮り手は責任重大だとはっとした。板についていないのは仕方ないにしても、少しでも見栄えがいいようにもっていかねばならない。ファインダーを覗いては直しにいき、本人とカメラの間を何度も行き来する。後ろの襟の上から半襟が見えていたら、着物の裾から手を入れて長襦袢を引っ張る。半襟の左右の見え加減を確認する。バランスを調えながら撮るうちに、これから本格的に噺家の道を歩んでいく彼らを送り出す、母のような気持ちになってくる。これは自分でもちょっと意外な心境だ。

 二つ目昇進記念で寄席の出番が連日与えられる彼らは、その記念の日々が終わる頃には黒紋付姿もこなれて、自分の着方に落ち着くようになる。緊張を伴いながら経験を増やすことが何より上達につながるんだと思う。カメラマンなりたての頃、自分もそんなふうだった。とにかく撮ることに集中しすぎて見えてなかったあれやこれやが、撮ることに慣れるうちに見えてきた。何においてもそういうものなのだろう。

 撮られているという状況にも慣れてもらうために、とにかくたくさんのシャッターを切る。慣れてもらって初めてその人らしさがあらわれてくるんじゃないかと思うから、たくさん言葉をかけてとにかくリラックスしてもらうように努める。梯久美子さんの著作の中にあった、人に向き合うときに「時間をけちらない」の精神で。とにかくいい写真を撮って送り出したいという気持ちで、撮影がはねた後はとっぷり疲れている。正しい疲労感とでも言おうか。そこそこにあしらってハイ撮れた、なんていうのは嫌なのだ。本人がいい写真ばかりでどれにしようか迷う、っていうレベルは常にキープしたい。本人が気付いていないであろう秘めたきらめきを引っ張り出したい。まあつまるところ、イイ男あるいはイイ女に撮りたいのだ。

 
送り出す心地。_a0025490_00082719.jpg
(写真はキッズ伝統芸能体験の狂言の楽屋で撮影したもの)


# by naomu-cyo | 2020-02-10 00:11 | お仕事 | Comments(0)
 先日のこと、取材で伺ったお宅で昼食をいただいた。せっかく東京からいらっしゃるから、大したものではないけれど地元のものを食べていただこうと思って、と食卓に並んだのっぺ汁、栃尾の油揚げ、炒め煮、玄米おにぎり・・・。ふだんからその土地のものを積極的に食べたいと思っているから、嬉しいことこの上ない。箸がすすむすすむ。

 そのお宅ののっぺ汁は会津のこづゆに似ていた。さまざまな根菜が細かく刻んでありダシ代わりの魚介。栃尾の油揚げにはチーズが載せてある。炒め煮は「煮菜(にいな)」と呼ぶんだそうで、打ち豆と青菜が入っており、これがいつまでも食べていられるほど美味しい。使う菜は地域によって異なるんだそうで、信州寄りの新潟出身の奥さんは野沢菜漬けを塩抜きして使うとのこと。菜っ葉の話から、お雑煮になんの青菜を入れるか話に発展する。その土地に根ざしたものでハレの食事を調えるわけだが、なんとこのお宅では、元旦からのっぺ汁を添えてお汁粉をいただくんだそう。小豆がとれるからね、とのこと。縦に長い新潟は、エリアによって食文化もだいぶ違い、信州寄りのエリアはやはり信州の食文化の多大なる影響を受けているんだそうな。伺って知る、食文化の細かさ。

 駅のお土産売り場では、さすが米どころ新潟、米に基づく食土産が幅広く展開されていた。こんなとき、47都道府県が鎖国したとして・・・という想像をよくする。新潟はポイント高いぞ、食料自給率は相当高いはずだ。米あり野菜あり豆あり、海があるってことは塩だって作れる・・・。自宅の米が切れているけれど、機材が重たいからさすがに買って帰るのは控える。板もちを見つけた。以前の新潟出張で購入した玄米の板もちが美味しかったので、今回も同じものを買い求める。

その土地のものをいただく_a0025490_04420405.jpg
 それからの数日間、朝ごはんには玄米もちを焼いて米の代わりにした。網に並べ細い火でじわじわ焼くうちにぷわーっと膨らみ出す。焼いている間にお菜の準備をする。この、じっくり朝ごはんに取り組んでいる時間がこよなく好きだ。

# by naomu-cyo | 2020-02-01 04:45 | 食べ物 | Comments(0)

ようやく新年が。

 大晦日の昼過ぎに実家に向かうも、線路内に人が立ち入ったとかで出発は遅れ、強風の影響とかでいわきまで行くはずの特急は勝田止まりになり、在来線に乗り換え予定よりもずいぶん遅れて日立駅に到着、タクシーで実家へ。そこから年が明けるのはあっという間だった・・・というよりも、新年に切り替わったあたりの記憶がない。年越しそばを食べた後、そのままこたつでぐっすり眠り込んでしまったからだ。

 そこからわたしの怠惰な日々が数日続く。食べて寝て、箱根駅伝を見て、年賀状を書いて、食べて、寝て・・・。年が改まったことによる出来事は、恒例の家族そろって神棚に手を合わせる、お雑煮を食べる、親戚がやってくる、くらい。こたつの住民と化して、ほんとに動かなかった。

 4日午後、帰京。その足で仕事場へ行き、年末に取りかかったボリューム多め案件ふたつの納品作業に追われ、8日に納品が完了。わたしの新年、ようやくやってきた、という晴れ晴れとした気持ちでいっぱいになった。それが8日。

 ふと、思う。大晦日から4日の昼までの実家で過ごした時間は、わたしにとってモラトリアム期間なのではないか、と。去年でも新年でもない、その間にたゆたっている調整の時間、新年を迎えるにあたっての猶予期間。毎年同じような年末年始を過ごしているが、今年初めてそんなことを思った。暦は容赦なく大晦日から元旦に切り替わるけれど、それは暦の都合であって、こっちの気持ちはそう簡単に切り替えられるものではないのだ。

 年明け早々そんな日々だったから、おかげで正月ボケすることもなく、2020年いい入り方をしたかなと思う。そして、面白い案件が続いている。埼玉にある福祉作業所・工房集の表現活動風景の撮影でスタートし、中小企業の事業承継の取材、お笑いコンビの宣伝ビジュアル撮影、渋谷らくごの高座撮影、ノーベル化学賞の吉野氏の対談撮影、角田光代さんの「源氏物語」取材・・・などなど。近い将来やってくる50代に向けて、好きな人と仕事をすること、心から面白いと感じられそうな仕事をすることを徹底していきたい。こちらの気持ちを削ってくる、ちっ!と舌打ちしながら納品作業する羽目になるような案件は受けないぞ。

 まだ出逢ってない、一緒にものづくりをしてみたい人たちがたくさんいる。「こんなことやりたい」も山ほどある。時間は有限だ。出逢いにゆこう、ゆくのだ。セッションするのだ。
ようやく新年が。_a0025490_01443353.jpg
 


# by naomu-cyo | 2020-01-27 01:50 | お仕事 | Comments(0)

2019年の大晦日に。

 ぼーくらーの町にぃー今年も雪が降るー
 見ー慣れーた町に 白い雪が 積もる積もるー
 
・・・ユニコーンの「雪が降る町」がラジオから度々流れてくる。来た来た来た、今年も来た、大晦日。クリスマスが過ぎてから今日まで一気駆け。

 11月に入ったあたりから年末の気配は徐々に濃厚になってきて、都度都度片付けるべきことを先延ばしにせず済ませてきたつもりだけれど、12月に入ったらそれこそ瞬く間にクリスマスが来て大晦日まで一気だった。わりあい時間に余裕がある師走になるかと思いきや、ばたばたの撮影と納品の毎日で、12月半ばに刷り上がってきた年賀状に手をつける余裕もなく、大晦日イブの深夜、ようやく切手を貼るところから始めた。取り急ぎ、220枚。

 せめて雰囲気だけでも新年を迎えるべく、帳尻合わせするように今年最後の土日を過ごす。自宅で写真のセレクトをし、飽きると台所の掃除。お風呂に入ったついでにタイルの目地を磨く。歯ブラシをくわえながら棚のホコリを拭く。大掃除とまではいかないけれど、なんとかまあそれなりになったかなと一息つく。

 あとは自分の気持ちの持ち様次第だ。さ、新年、ネジ巻き直して参ろうぞ、と大きく息を吸い込めばいい。新年を迎えたからといって、前年とのつながりがぷっつり切れるわけではない。新年は単なる区切りでしかない。でもこの区切りをバネにして前年の自分を乗り越えたい。

 幸い、12月半ば頃から気持ちを持ち直した。今年後半は息切れしたなとちょっと疲労感を覚えていたのだ。プレゼン準備をめいいっぱい手伝って、でも結果落ちてしまった案件のクライアントさんから、頑張ってくれたのでとランチに招待された。あのひとときがおそらくものすごく栄養になった。この感覚は今後に繋げてゆける、と直感した。これまで散らばっていたアレヤコレヤがまとまっていくような気がした。そこで話すうちに、そうそう、わたしはこういうことに興味があってこういうことができるんだ、と再確認できた。

 さて、年賀状の続きに取り掛かろう。ひとしきり終わらせてから実家に急ごう。ああ、今年もよく動いた。

2019年の大晦日に。_a0025490_07530792.jpg

 

# by naomu-cyo | 2019-12-31 07:53 | フォトダイアリー | Comments(0)

11月、つれづれ。

 11月が近づくと、ああもう巡っていくるんだ、とじわっとしてしまう。4日は愛猫ぱちの命日だった。もう丸4年が過ぎた。

 今年の命日は新潟出張にあたっていた。前日にいつもより豪勢な花を買い求め、当日は少し早起きして魚を焼き身をほぐし骨をきれいに除いて仏前に供え、ぱちの遺毛が入っている木箱を開けて懐かしい毛色を眺めそして触れ、長いこと手を合わせ話しかけた。4年経っても悔いは残っていて、だから詫びる言葉が多くなる。そのあとは我が家に住み着いてくれてありがとう、長いこと一緒に居てくれてありがとう、もしあなたが生まれ変わったらちゃんと私に知らせておくれ、そしたらまた一緒に暮らそう・・・そんなことを口にしていると最近は治まっていた涙がどどどとあふれてきて、しんとした気持ちになる。

 命日前後は、4年前の日々を日付とともに覚えていて、10月31日はこうだった、11月1日はああだった、11月2日は「こればっかりは我慢できないよ」ってな風情でクリームコロネのクリームをぺろっとなめたんだった、11月3日はずっと横たわったままで、11月4日朝はすでに意識がなかった・・・11月7日に両親が上京してお葬式を挙げ、11月8日の自分の誕生日はそれどころじゃなくて・・・あえて書き出さないけれど、1日ずつ振り返るとものすごく細かいことを覚えている。

 twitterで過去にやはり愛猫を亡くしたことのある物書きの人が、猫は自分がこの世からいなくなる時をちゃんと自分で決めているものだ、というようなことをそう感じる理由とともに述べていて、それを読んで思い当たる節がないでもなかった。きっとそうなのだろう。ただ、すっかり受け止めるまでにはもうちょっと時間がかかりそうではある。

11月、つれづれ。_a0025490_04085119.jpg
 ここ数年、11月はそんなふうにして始まる。今年の11月は怒涛の9月10月を経てちょっと落ち着きそうだったが、蓋を開けてみたらずっと納品に追っかけられていて、時間がほんとに足りない。あっという間に1日が終わっていく。焦ったところで終わるわけではないので、その日やることを書き出し、消化するたびに赤線を引いて消していく。はかどる日もあれば見込みちがいで全然消化できない日もある。そうこうするうちに気温が低い日が続き、慌てて冬物を引っ張り出す。私の働き方改革はなかなか進まない。

 それでもなんでも、朝ごはんは毎日作ってしっかり食べる。前の晩に煮干しの頭とハラワタを取り除き水につけておく。お米も研いで浸水しておく。ありものの野菜を炒めたり蒸したりして、納豆とヨーグルトでたんぱく質を摂る。昼を食べなかったり夜がどうなるかわからなかったりするから、朝に摂れるだけ栄養を稼ぐイメージで用意する。長年そうしてきた。朝ごはんをしっかり作って食べることは、その日1日の自分を支える基になる。

 今年は友人知人の記念日撮影が例年よりずっと多い。成人式の前撮り、七五三の撮影、挙式の撮影。もともと何かしらの縁のあった人たちが、その縁で家族の特別なシーンの撮影をわたしに依頼してくれる。自らの家族を築くことがいまだ始まっていないわたしが、いろんな家族に触れるという面白さ。

 ある3歳の女の子の撮影で、彼女はちょっと緊張していたのか最初全然コミュニケーションが測れなかったのだけれど、神社の境内に落ちているドングリを拾って彼女の着物の袖口からそれを落とし、たもとの中に溜まっているのを見せて、「ほらここにこんなに!」と教えたらそれがすっかり気に入った様子で夢中でドングリ拾いを始めた。相手が幼子だからといって幼児言葉で話しかけたりということをわたしはしないので、一緒に夢中でドングリ遊びをするだけなのだが、徐々にコミュニケーションが生まれ、しまいに彼女はドングリでいっぱいになった袋を振り回しながら参道で踊り始めた。すごくいい表情だった。彼女にしかできない七五三だ、オリジナリティーあふれる、彼女自ら生み出した、誰にも真似できない七五三だ。それがいい、それでいいんだって思いながら、めちゃめちゃ撮った。まさにライブ、セッションであった。

 広島の神社で式を挙げたUさんの撮影では、両家の親族の陽気さが居心地よく、わたしまで親族に連なったような気持ちになった。新郎側で列席したおじさまと食事の席で隣りになり、どういうわけか60年代安保と70年代安保の違いの説明を受けた。書家である新婦の父上からは、明日宮島に行くなら厳島神社でちょうど平家納経の本物が公開されているから見たほうがいいと勧められ、書の見方のレクチャーを受けた。写真好きの新婦の叔父とはカメラや写真の話になった。積極的に関わってきてくれるそのアプローチが楽しくて、撮影できていることを忘れそうだった。結婚によって親類が増えることのあったかい部分をめいいっぱい見せてもらった。

 宮島では、新婦父に勧められた平家納経やその他の所蔵品に感激した。鎌倉時代末期のものがガラスケースの向こうにある。平清盛という歴史上大きな存在が書いた文字を900年くらい経った現在に見ることで、同じ地平の延長に自分が在るんだと実感する。時間は連綿と続いているのだと確認できる。また、秀吉が安国寺恵瓊に造らせ秀吉の死によって未完成の千畳閣では、あえて靴下を脱いで広々とした板間を歩き回った。足裏を通して安土桃山時代に直に触れるかのような感覚。その間には何百年もの月日が横たわる。秀吉もこの板間を歩いただろうか。そういうことを思うと、心が遠くへ飛び、清々しい気持ちになる。

 11月に限らずだが、さまざまな感情が訪れじきに去っていくのを日々繰り返している。毎日毎日が違ってて、同じ1日なんてない。誰かが言ってた、今日がいちばん若い、と。ほんとその通りだ。いちばんの若さに身を任せ1日1日夢中で生きていたい。50の大台がうっすら見えてきたから余計にそう思うのだろうか。わたしの肉体がもうあかんと鼓動を停めるそのときまで、夢中で。ああ、そうか、ぱちも4年前の11月4日、鼓動が停まるそのときまで、夢中で生きてたんだな。

# by naomu-cyo | 2019-11-24 04:09 | フォトダイアリー | Comments(0)