11月が近づくと、ああもう巡っていくるんだ、とじわっとしてしまう。4日は愛猫ぱちの命日だった。もう丸4年が過ぎた。
今年の命日は新潟出張にあたっていた。前日にいつもより豪勢な花を買い求め、当日は少し早起きして魚を焼き身をほぐし骨をきれいに除いて仏前に供え、ぱちの遺毛が入っている木箱を開けて懐かしい毛色を眺めそして触れ、長いこと手を合わせ話しかけた。4年経っても悔いは残っていて、だから詫びる言葉が多くなる。そのあとは我が家に住み着いてくれてありがとう、長いこと一緒に居てくれてありがとう、もしあなたが生まれ変わったらちゃんと私に知らせておくれ、そしたらまた一緒に暮らそう・・・そんなことを口にしていると最近は治まっていた涙がどどどとあふれてきて、しんとした気持ちになる。
命日前後は、4年前の日々を日付とともに覚えていて、10月31日はこうだった、11月1日はああだった、11月2日は「こればっかりは我慢できないよ」ってな風情でクリームコロネのクリームをぺろっとなめたんだった、11月3日はずっと横たわったままで、11月4日朝はすでに意識がなかった・・・11月7日に両親が上京してお葬式を挙げ、11月8日の自分の誕生日はそれどころじゃなくて・・・あえて書き出さないけれど、1日ずつ振り返るとものすごく細かいことを覚えている。
twitterで過去にやはり愛猫を亡くしたことのある物書きの人が、猫は自分がこの世からいなくなる時をちゃんと自分で決めているものだ、というようなことをそう感じる理由とともに述べていて、それを読んで思い当たる節がないでもなかった。きっとそうなのだろう。ただ、すっかり受け止めるまでにはもうちょっと時間がかかりそうではある。

ここ数年、11月はそんなふうにして始まる。今年の11月は怒涛の9月10月を経てちょっと落ち着きそうだったが、蓋を開けてみたらずっと納品に追っかけられていて、時間がほんとに足りない。あっという間に1日が終わっていく。焦ったところで終わるわけではないので、その日やることを書き出し、消化するたびに赤線を引いて消していく。はかどる日もあれば見込みちがいで全然消化できない日もある。そうこうするうちに気温が低い日が続き、慌てて冬物を引っ張り出す。私の働き方改革はなかなか進まない。
それでもなんでも、朝ごはんは毎日作ってしっかり食べる。前の晩に煮干しの頭とハラワタを取り除き水につけておく。お米も研いで浸水しておく。ありものの野菜を炒めたり蒸したりして、納豆とヨーグルトでたんぱく質を摂る。昼を食べなかったり夜がどうなるかわからなかったりするから、朝に摂れるだけ栄養を稼ぐイメージで用意する。長年そうしてきた。朝ごはんをしっかり作って食べることは、その日1日の自分を支える基になる。
今年は友人知人の記念日撮影が例年よりずっと多い。成人式の前撮り、七五三の撮影、挙式の撮影。もともと何かしらの縁のあった人たちが、その縁で家族の特別なシーンの撮影をわたしに依頼してくれる。自らの家族を築くことがいまだ始まっていないわたしが、いろんな家族に触れるという面白さ。
ある3歳の女の子の撮影で、彼女はちょっと緊張していたのか最初全然コミュニケーションが測れなかったのだけれど、神社の境内に落ちているドングリを拾って彼女の着物の袖口からそれを落とし、たもとの中に溜まっているのを見せて、「ほらここにこんなに!」と教えたらそれがすっかり気に入った様子で夢中でドングリ拾いを始めた。相手が幼子だからといって幼児言葉で話しかけたりということをわたしはしないので、一緒に夢中でドングリ遊びをするだけなのだが、徐々にコミュニケーションが生まれ、しまいに彼女はドングリでいっぱいになった袋を振り回しながら参道で踊り始めた。すごくいい表情だった。彼女にしかできない七五三だ、オリジナリティーあふれる、彼女自ら生み出した、誰にも真似できない七五三だ。それがいい、それでいいんだって思いながら、めちゃめちゃ撮った。まさにライブ、セッションであった。
広島の神社で式を挙げたUさんの撮影では、両家の親族の陽気さが居心地よく、わたしまで親族に連なったような気持ちになった。新郎側で列席したおじさまと食事の席で隣りになり、どういうわけか60年代安保と70年代安保の違いの説明を受けた。書家である新婦の父上からは、明日宮島に行くなら厳島神社でちょうど平家納経の本物が公開されているから見たほうがいいと勧められ、書の見方のレクチャーを受けた。写真好きの新婦の叔父とはカメラや写真の話になった。積極的に関わってきてくれるそのアプローチが楽しくて、撮影できていることを忘れそうだった。結婚によって親類が増えることのあったかい部分をめいいっぱい見せてもらった。
宮島では、新婦父に勧められた平家納経やその他の所蔵品に感激した。鎌倉時代末期のものがガラスケースの向こうにある。平清盛という歴史上大きな存在が書いた文字を900年くらい経った現在に見ることで、同じ地平の延長に自分が在るんだと実感する。時間は連綿と続いているのだと確認できる。また、秀吉が安国寺恵瓊に造らせ秀吉の死によって未完成の千畳閣では、あえて靴下を脱いで広々とした板間を歩き回った。足裏を通して安土桃山時代に直に触れるかのような感覚。その間には何百年もの月日が横たわる。秀吉もこの板間を歩いただろうか。そういうことを思うと、心が遠くへ飛び、清々しい気持ちになる。
11月に限らずだが、さまざまな感情が訪れじきに去っていくのを日々繰り返している。毎日毎日が違ってて、同じ1日なんてない。誰かが言ってた、今日がいちばん若い、と。ほんとその通りだ。いちばんの若さに身を任せ1日1日夢中で生きていたい。50の大台がうっすら見えてきたから余計にそう思うのだろうか。わたしの肉体がもうあかんと鼓動を停めるそのときまで、夢中で。ああ、そうか、ぱちも4年前の11月4日、鼓動が停まるそのときまで、夢中で生きてたんだな。