フォトグラファーの武藤奈緒美です。日々感じたことや思ったことを、写真とともにつれづれなるままに。


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再びの舞台「組曲虐殺」

 今月は観たい舞台が多く、同時に仕事の方もてんやわんやだったので、おのずと落語会に行く回数が少なくなった。

 それにしても観劇はお金がかかる。じわじわと高騰を続け、ある程度以上の規模の公演は10年前よりも2000円くらい値上がりしている気がする。8000円、9000円はざらだ。あらゆる価格が上がっているのだから致し方ないが、文化の恩恵を受けられるかどうかの分かれ目は以前なら居住地だったのが、今はそれに収入も加わった気がする。各公演でU-24などの割引価格を打ち出したのは、客席に若い人が少なくなっていることへの危惧なのだろう。自分は若者ではないけれど、観たい舞台がいくつかあってひとつ1万円近くかかるとなると二の足を踏んでしまう。

 こまつ座公演「組曲虐殺」を観てきた。前回の2012年公演を観たのが、遅ればせながらこまつ座デビューだった。井上ひさし氏の生前に観に行かなかったのを悔やんだものだ。

 築地署の前を通るたびに、「ここで小林多喜二はリンチ殺害されたんだよな」と思っていた。小林多喜二のことは、プロレタリア作家、「蟹工船」の作者、デスマスクが残っていることくらいしか知らなかった。その「蟹工船」がSABU監督により映画化され、数年後DVDで観て面白かったので原作を読み、小林多喜二という作家に興味を持った矢先の「組曲虐殺」の公演で、年の瀬押し迫った時期に観て、立ち上がれないほど胸を打たれた。澄明な彼の思想とは裏腹の無残な死に方。彼の思想と行動は労働者たちから大いなる支持を受け、それゆえ支配階級から危険人物と見なされ隙あらば排除してやろうと狙われた。彼らがいかに多喜二に嫉妬し畏れたかは、死に方を見れば一目瞭然だろう。

 前回も今回も多喜二役は井上芳雄さん。前回から7年、その分年齢と経験を重ね精進を続けてこられたのだろう、今回の多喜二は前回よりもずっとタフで説得力があった。内側から湧き出すエネルギーが感じられ、井上さんが多喜二そのものに見えた。また、多喜二をめぐる3人の女性たちのバランスが前回よりも安定したように思う。どこまでも多喜二を支えた姉・チマ、多喜二が身請けした酌婦・瀧子、妻・ふじ子。瀧子というのは、多喜二が救いたいと考える搾取されている人々の象徴なのではないか。多喜二の理想世界のミューズが瀧子で、現実世界のミューズは思想の理解を深め合えるふじ子、という対比。子どもの頃搾取される側の家庭に育った男は、長じてのち多喜二を狙う特高刑事になった。ものすごい努力をして被支配側から支配側へとのし上がったのだろう。一方、多喜二も搾取される側で育ったが、搾取する側とされる側、支配と被支配をなくすための運動に身を投じた。この対比。小林多喜二、労働者にとっての希望のような存在だったに違いない。

 身体の一部を使って書いたものじゃダメだ、あなたの胸の中のフィルムに映った本当に書きたいことを身体全部で書くんです、というニュアンスの場面があったと記憶している。多喜二と接した人の胸の中のフィルムにはそれぞれの多喜二が映し出され、彼の肉体が消滅しても思想や著作は残る。草葉の陰から今も、自分が顧みられないで済む時代が来ることを望んでいるに違いない。
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# by naomu-cyo | 2019-10-31 02:04 | お芝居 | Comments(0)
 2年前の欧州落語ツアーですっかり懇意になった、日本語ペラペラの落語研究者であるドイツ人のC女史に、最近少しずつ英語の手ほどきを受けている。LINEで英文メッセージが届き、それに英文で返事をするのだが、中学から高校、浪人時代、大学2年間と9年も英語教育を受けていたのに、学んだことは7割方忘れ去り、語彙力や表現力の乏しさゆえに毎度キーを押す指が止まる。ネット辞典で調べた言葉はノートに書き残しておこうと決めたのはつい先週のことだ。

 9月最後の日曜日、愛知に暮らす友人Tを誘ってあいちトリエンナーレに行ってきた。彼はスタジオ時代の同期、同じ釜の飯な仲間で、東日本大震災がきっかけで心に期すことが生じ、フォトグラファーを潔く廃業して実家に戻った。カメラをきれいさっぱり売っ払い、決断を伝えにわたしの仕事場にやってきたTに複雑な気持ちでエールを送りつつ、めちゃめちゃ心細い気持ちになったのを覚えている。

 それからというもの愛知で仕事があるたびに連絡をして、名古屋で待ち合わせてご飯を食べるようになった。去年はお父上の容態が悪化したのちお亡くなりになって慌ただしかったこともあり、二度ほど愛知に赴いたけれど逢えなかった。うち一度は○日に名古屋行くんだけどと連絡を入れたら、「むーはいつもジャストなタイミングで連絡寄越すなあ。連絡あったから言うけど、きのう親父が亡くなった」と返ってきて、なんて言葉をかけていいか戸惑った。

 そんなわけで逢うのは2年ぶりだ。お互いに現代アートというものに疎いことを露呈し合いながら愛知県美術館の展示をひととおり眺め、次の豊田市美術館へ・・・の前に「昼飯食うか」で目の前にあった串揚げ屋に入り、ここにすっかり居着いてしまった。まあ、想定内だ。串揚げにビールで長っ尻にならないわけがない。

 久しぶりのじっくり話。自分たちの近況、同期の近況、あーだこーだ。合間合間に挟まれる、Tの物事の捉え方、考えや感じ方を表現する言葉や姿勢、眼差し。ああ、変わらないなあと思う。以前から一本筋の通った、浮ついたところのない、責任感が強い、いわゆる男気にあふれる人だった。変わったのは、首がいてぇ腰がいてぇと言うようになったことくらいか。そりゃそうだ、わたしかて首は痛いわ肩甲骨周りがこわばっているわ。経年劣化をお互い吐露しあうほど長い年月友人をやってきた。同じスタジオに入社してから23年、ピチピチの20代前半から齢重ねて50代が見えてきた。どこかにエラーを起こしてたってちっともおかしくない。

 豊田市美術館に閉館30分前に滑り込んで、クリムト展を見た。クリムトが6歳の姪を描いた横顔の肖像画が印象に残った。Tは美術館の前で自撮りがうまくできないでいた女の子に声をかけて、スマホで写真を撮ってあげていた。その風景をニヤニヤしながら今度はわたしが撮った。その後、豊田駅前で再び飲み、いい時間になったので切り上げて名古屋方面の電車に乗り、乗り換えの高蔵寺駅のホームでバイバイした。手を振る姿を窓越しに撮ったら、なんだか照れくさそうだった。思えば、展示を見ているよりも、移動しながらあるいは飲みながら話している時間がずっとずっと長い1日だった。もとよりそうなる気がしてもいた。しゃべることがいくらでも湧いてきた。

I feel like・・・のような気がしている。_a0025490_11153602.jpg
 帰りの新幹線でふと、Tはいい男な気がする、うんいい男だ、と思い始めたら、その実感がたちまちじわじわと広がった。これまでもそう思っていたけれど、今回はこれまでにない感触で細胞のすみずみまで浸透していくようにそう思った。Tの生きる姿勢、彼自身にしっかり根付いて揺るぎそうもない価値観・・・わたしからすれば美意識と呼びたいくらいの・・・を自分の心の奥深くでしっかりとつかまえた気がする。言葉上の「いい男」ではなく、いい男であるという確信をつかんだ、ような気がしている。

 これからあいちトリエンナーレに行く予定のC女史に感想を英語で報告する約束がしてあった。さてこの日のことを英語で伝えきれるか・・・伝えられないような気がしている。

# by naomu-cyo | 2019-10-05 11:16 | 逢った人のこと | Comments(0)

静かな朝

 過日。めざまし時計が鳴る前にすーっと目が覚めた。またもや新聞を読んでいる途中で寝入ったようで、電気はついたまま、飲みかけのコーヒーカップがテーブルの上にある。庭に面したサッシからは冷えた空気が流れ込んでくる。ようやく朝晩に秋の到来を感じられるようになった。加えて、この朝のしみわたるような静けさはどうだ。これも秋の特徴だろうか。ラジオを入れるのをやめにした。

 その静けさに、自分の生活音を混ぜていく。バチンとガスを点ける。少しののち、ご飯を炊く鍋が吹いて蓋がカタカタ鳴り出す。玉ねぎをざくっざくっと刻む。煮干しダシをとっている鍋の蓋もカタカタ鳴り出す。板麩をぱきぱきと割る。わたしひとりの台所音など些細なものなのだろう。動きを止めるとたちまちに静けさに包まれる。

 ご飯を蒸らしている間におかずの準備に取り掛かる。撮影がある日の朝ごはんは昼の定食並のボリュームを用意する。朝は食欲がない、なんてことが皆無なので、冷蔵庫のあり合わせの野菜で炒め物をこしらえる。それに納豆をつけて出来上がり。部屋に運んでぱちの遺影に向かって「いただきます」と言い、食べ始める。その頃には静けさは近隣の生活音に侵食されている。通りをゆく人の靴音、ゴミ収集車のスタッフさんが掛け合う声、どこかの家の洗濯機が回る音。時間がようやく動き始めたみたいな錯覚を起こす。静けさはあっという間にどこかへ行ってしまった。

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 真夜中の静けさと早朝のそれはまるで違う。前者の静けさには圧がある。自己主張し抑え込むような有無を言わせなさがある。一方後者の静けさはそっとやってきて、やってきたことを告げずしれっとしているような唐突感がある気がする。気付いた人だけの特権のような静けさ。その朝わたしは特権階級だったらしい。静けさを味わい、生活音との混ざり合いを楽しんだ。
 

# by naomu-cyo | 2019-10-01 19:06 | フォトダイアリー | Comments(0)

きのうのメガネ男子

 寄席に行ってみたいという友人を浅草演芸ホールにアテンドした帰り道、19時頃。そこそこ混み合っている電車の中で、横顔が理想的なメガネ男子を見かけた。

 あらっと思い、混み合っているのをいいことにそーっと観察する。真っ先に見るのは左手薬指・・・になって久しい。既婚者みんながみんな結婚指輪をはめているわけではないし、はめていないからといって「では」と行動に移すわけではないけれど、確認するのが癖みたいになっている。きのう見かけたその人は、きれいな手指をもっていた。つり革をつかむ左手の薬指に指輪はない。小柄でなで肩、程よい細身。柔らかそうな髪の毛にところどころ白髪が混じっている。ネイビーのTシャツに黒のパンツ。メインの革鞄にサブの荷物でちょっと重そう。普通の会社員ではなさそうだ。年の頃はわたしより2,3歳下くらいかな・・・誰かに似ているなあと思ったら、日曜日に京都音博で見てきたくるりの岸田繁氏の雰囲気に似ているのか。ライブの残像が脳内にあったのかもしれない。仕事中でこれからまだ予定が控えているといった張りのある面持ちで、そのON状態なたたずまいもなんとはなしに好ましかった。

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 新宿三丁目で降りたその人を、少しの間を置いて思わず追ってしまった。結局ホームの混雑に紛れて見失ってしまったけれど、なんの仕事をしている人だったんだろうとそこばかりが気になった。手指がきれいだったからかもしれない。服装からして裏方稼業っぽい。かといって、自ら身体を動かして汗する立場は卒業していて、今は現場で人を動かす立場な人なんじゃないか。目立つタイプではないけれど、堅実でいい仕事をする、現場にいたら安心感のある雰囲気の人だった。地味だけど素敵な人だったなあ・・・と思いながら、地下街を新宿駅方向に歩いた。

 こういう一目惚れ的現象が生じたとき、即行動に移せるような人というのはどういうアプローチをするんだろう。「あのー、手指がきれいだなって思ったんですけれど、お仕事何をされているんですか?あ、カメラマンをやっているんでそういうのがすごく気になるんです」とか言って話しかければいいんだろうか。そう、話をしてみたかったんだ。どんな声でそんな調子で話す人なんだろうか。横顔の残像がひと晩明けてもまだある。
 

# by naomu-cyo | 2019-09-26 11:16 | 逢った人のこと | Comments(0)

月命日には

 毎月4日は愛猫ぱちの月命日だ。早朝からの仕事でないかぎり朝ごはんに魚を焼いて、仏壇のぱちとシェアする。供えた魚は翌朝、庭に来る放浪猫のご飯に回す。ぱちが他界してから生まれた循環である。

 今年の11月でぱちが逝って丸4年になる。その間、いく匹もの放浪猫が庭を訪れた。ぱち在中の頃からよく来ていたブサイクなボスキャラ猫・ブサは、ぱちが逝った翌年の6月もおしまいの頃に、夜中に一声咆哮し絶命した。翌日朝から仕事が入っていたので、夜のうちにコンビニでダンボールをもらって来、呉服屋がくれるウコン染め(防虫効果があるようだ)の風呂敷に亡骸を包み、ぱちの仏壇の花を一輪失敬して供え、軒下の直射日光のあたらないところに安置し、区の窓口にFAXを送り手数料を添えて埋葬業者への仲介を託した。さすがにブサは家族ではなかったこともあり、ぱちのように手厚くは葬れなかったけれど、区の窓口を通すことで合葬してもらえ、後日お参りもできることを対処方法を調べている過程で知った。態度のみならず図体も大きかったブサがどんどん痩せていき、うちに寄るとものすごい勢いで水を飲んでいたのはおそらく、腎疾患だったと思われる。生前のぱちと網戸越しに対峙したこともあった。

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 今頻繁にやってくるのは、朝なら不二子(小股の切れ上がったいいオンナ風)、夜ならかあさんだ。朝カーテンを開けるとすでに不二子は飯碗を見下ろし静かに待っている。見た目はいいオンナ風なのに、声がまずい。だからなのか滅多に声による自己主張はしない。一方かあさんは、夜中であろうと明け方であろうと甘ったるい声で室内のわたしにご飯をせがむ。双方拠点ありの出歩き猫のはずだが、最近不二子に野生感が出てきた。もしや拠点を追い出されたかとちょっと心配している。

 彼女らのおかげで、ぱち不在の日々のさみしさが少しは緩和される。それでも顔を寄せ合って眠るわけではないから、時々あの幸せな朝を思い返す。あの日目覚まし時計が鳴る前にすうっと目覚めると、わたしの首のあたりにぱちが顔をうずめてすやすや寝息を立てていた。得も言われぬほど満ち足りた朝だった。いつでも何度でも思い出せる、あの感触と胸に広がったあったかさを。
 

# by naomu-cyo | 2019-09-05 04:00 | | Comments(6)